「それでギアラのじいちゃんはまだ冥界にいるんだよな? 」
『あい…… 』
大粒の涙を意地らしく両手で拭って見せた。家族を失った悲しみは痛い程分る。その仕草で胸が締め付けられそうになる。
『あいたいれす…… 』
戦争で犠牲になるのはいつの世も、か弱き者達だ。戦の発起人たる指導者は、若い者達を戦場に向わせ、温かい寝床に包まれ、旨い飯を食い、戦況を聞き何をしているのかと叱責する。国民は謂《い》わば人ではない、只の駒なのだ。
「こんな事をいつまで繰り返せばいいんだ…… 」
不条理過ぎる運命に怒りがこみあげる。
『じいちゃんにあいたいれす。ウチにかえりたいよぉ』
拭けども拭けどもぽろぽろと、滂沱《ぼうだ》の如く流れる涕に、心が嘆き揺れ軋む。
小さくなった榾火に枝を焼べ、滾った心に火を灯す。
「帰る方法は無いのか? 黒霧ってのは何だ? 」
『クロキリはマジンのワナれす。フジョウなるクロいキリっていうれす。はまってしまうとほかのセカイにとばされて、かえれなくなっちゃうれす』
「…… 」
俺は涙でぐしゃぐしゃになったギアラの頬を温かい両手で包み込み、潤んだ瞳を真っ直ぐ見て問い掛けた。
「ギアラ俺と来るか? 」
―――――⁉
「此処の世界に居る限りお前はずっと独りぼっちだ、だが時間が掛かっても俺が必ずお前を元の世界に帰してやる、どうだ?俺と来るか? じいちゃんに会いたいんだろ? 」
ギアラの身体がフルフルと震えだす……
『うわーん、かえりたいよぉ、かえりたいよぉ、わーん』
緊張の糸が解けギアラの感情が爆発する。俺はただ、懐で大きな子猫が泣き止むのをじっと待っていた……
暫くすると落ち着きを取り戻したギアラが決心する。
『マジンサマはやさしいれすね』
焚火の炎をじっと見つめ想いに耽《ふけ》る。
「どうした? 」
パキパキと小枝が奏でる小さな響きが嫋嫋《じょうじょう》と心に残る。
『ずっといじめられてたれす。クロいのはヤミのオトシゴだっていわれて、でもいつもにいちゃんが、いじめられるのはヨワいからだって、つよくなれってだきしめてくれてたれす…… だから…… だから…… 」
その瞳には大きな決心の気持ちが現れていた。この子もまた、俺と同様に自らが強く成らなければならないのだと理解した。
「分かった」
ぐずぐずとまたギアラは涙を落とす……
「その代わり兄さんに胸を張れる位に強くなれ! 約束だぞ」
『あい…… 』
「それと…… 何故お前は俺に心を許してくれたんだ? お前の家族を殺した魔人なのかもしれないんだぞ? 」
俺はギアラの顔を予備の手拭きでゴシゴシと拭ってやった。
(目がとれちゃったりしないよな…… )
『アイツらは、わらいながらおそってきました。ニゲルこともできなかったれす、さいしょからコロシにきてました』
「…… 」
『でも、マジンサマはちがった。さいしょはスゴクこわかったけど、オレがこわがらないようにシテくれてるのがわかったれす。それと…… 』
「それと? 」
『マジンサマがまとっているマモンもナラクのマジンたちとしゅるいがぜんぜんちがったれす』
「魔紋《まもん》? 」
俺は少し首を傾げて眉を寄せて見せた。
『ワルイヤツからカンジるれす。ブワーって、ふんいきみたいなヤツれす』
両手をバタバタさせて身振り手振りで説明する。
「ふむ…… 」
『マモンはつよければつよいほど、おおきくみえるれす。マジンサマはそれがあまりにもでっかかったから、オレびっくりしてもらしたれす』
「魔紋は人間には見える物なのか? 」
俺は枝を小さく折って火に投げ込む。
『見えないとおもうれす』
「そうか…… 」
川の潺《せせらぎ》に西日が風雅な光の鱗を作る。
『ふつうマモンはケムリみたいにカラダからたちのぼるカンジにみえるんれすけど、マジンサマのは、うしろにまるでオーガみたいなバケモノが、たったままねてるようにみえるれす』
―――――オーガ⁉…… 寝てる?……
「オーガってのは神話に出て来るあのオーガか? 」
俺は少し驚きを含み目を見開いた。
『しんわ? 』
今度はギアラが可愛らしく首を傾げる。
『わかんないれすけど、メイカイのオーガよりずっとおおきいれす』
―――――⁉
(冥界にオーガが存在してるのも驚きだが)
―――しかし気になったのはその後の言葉だ……
(寝てるって事はやっぱり鬼丸の事なのか? )
―――実体が此奴らには見えてるって事なんだよな?……
「今も見えるのか? 」
『あい、ねてるみたいれす。こわくないれす』
「どのくらいの大きさなんだ? 」
『お山みたいれす』
「…… 」
―――考えるのは後にしよう……
『なんれすかそれ? 』
「知らん…… 」
するとドカンと聾《ろう》せんが響き渡り森全体を震撼させた。
―――――ひぃ⁉
咄嗟にギアラが飛退く。
「どうやら時間のようだな…… 」
俺は肩口を縛った布をきつく巻き直した。
『マジンサマそのキズって…… 』
「あぁ、今からこの傷を俺に負わせた奴が此処に乗り込んでくる。決着を付けなきゃならない相手なんだ、すまない、お前とは此処でお別れだ」
俺は麻布の残った干し肉を肩掛け鞄に押し込めギアラの首に掛けた。
「悪いなこんな物しかやれなくて、餞別だ持って行け。苦しくても辛くても生き残れ、そしていつかまた会おうなギアラ。それまでに強く成っていろよ、楽しみにしているからな? 」
―――元気でな泣き虫ギアラ……
俺はギアラの首に手を回し目一杯に抱きしめた。弱虫な大きな黒い子猫は大粒の涙をまた流していた……
『オ、オレは…… ラダーヌ…… ギアン・ラダーヌれす!! メイカイグンのセンショウ、ハルヴァス・ラダーヌのマゴれす!! 』
俺が走り出すと大きな声で胸を張り、その名を叫び見送った……
俺は小川を後にし、ギアラの方へエマが向かわぬように森に響く大声で発破を掛ける。
「ははは元気が戻ったようだなエマーリア!! 俺は此処だぞ、エマーリア!! 」
奴も木陰で体力を回復させてたようだ猛烈な殺気が高速で近づいて来るのが感じ取れる。
突然また訪れた天災に動物達が慄き逃げ惑う。
捷い! 機動力は四つ足以上、最早視覚のみで追う事すら儘ならない、軽く人間の領域を超えている。これが暗闇であったなら…… 考えただけでぞっとする。
此処で何故か老人の言葉が蘇る。
⦅エマの身体には何か特異な点は在ったか? ⦆
―――あれは何の事を意味してたのか……
―――何だ?何か胸騒ぎが……⁉
≪―――――殺してやる!! ≫
本能が心の叫びを感じ取った。
―――――後ろ⁉
外套に枝を括《くく》り付け擬態していた為、発見に誤差が生じ、脇腹を刃が掠め取り、怒りを示す悪狐面頬《あっこめんぽう》が間近に迫る。
「くっ!! 」
気が付いた時にはもう、既に触刃の間を制されていた。
―――形勢を整えろ、間に合わないぞ!!
「クソッ」
刹那にして後方に身体を投げ出し、手を着きまた身体に回転を与え連撃をようやく避け、更に連続で身体を後方に回転させながら刀を回転中に抜き距離を作る。
―――落ち着け……
(無傷で終われる程この戦いが甘く無い事は、十分過ぎる程わかっている)
―――死線を越えなければその先に成長は無い……
一意専心《いちいせんしん》、心魂《しんこん》乱さず。
エマは既に木の上に回避している……
―――反撃だ……
「さぁエマーリア降りてこい!! 」
俺は般若総面頬《はんにゃそうめんぽう》を付け心迄も鬼と化す。
降りて来たエマが土を巻き上げ高速で間合いを制す!! 太刀筋に偽り無しと見切り返すと紫電一閃!! 首筋目掛けて音速で刃を掛ける。エマは首の皮一枚を捨て木漏れ日に揺れる白銀《しろがね》の刃は血飛沫をまき散らすが、寸前で躱し更に恐怖と背中合わせに俺の左腕を落としにかかる。
次元領域で繰り広げられる力と力のぶつかり合いは、地表に亀裂を生み、落ちる枯れ葉の動きも止める―――
左腕で受け去《い》なすと、激しい衝撃で腕が打ち上ると同時に徹甲が砕け散る。同時に体軸の乗ったエマの脚を徒手術《としゅじゅつ》で以《も》って右下段蹴りで払い飛ばし、体制を崩す。更に左膝で下腹部を蹴り上げ、下がった頭を正面から抱え地面へと誘《いざな》った。
―――これで終わりだエマーリア……
僅か数秒、突然疑問が浮かぶ……
(しかし何故、敵の土俵に乗り込んで来た? )
俺が鳥肌を感じるよりも速くエマの息吹《いぶき》が舞う。
―――しまっ⁉ 誘いか⁉
エマを中心に竜巻がドンと天空を貫き打ちあげた。俺はその身を風圧により簡単に吹き飛ばされ、立木に背中を強打する。
「ぐはっ」
―――あんな状態からでも発動出来るなんて……
全く以《も》って俺の誤算だった。
苟且の別れの果てに想いを焦がす。偏に鮮ない出会いと雖ども、日進月歩をただ祈る。健気な瞳に中てられて嘆息は徐に雁来月の最中であった。
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