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「おかしい……前回の手紙もそうだった」
エアハルトは、クラーラからの手紙をじっと眺める。
もう何度も読み返した文面だが、違和感が拭えない。
「俺について何も言及しないなんて、あり得るか?」
その内容は修道院や孤児院での出来事のみ。
エアハルトへの想いや労わりの言葉が、どこにもない。
いくらクラーラが恥ずかしがり屋だとしても、最後の一文くらいは、相手への思いで締めくくるはずだ。
「俺へ宛てた手紙なのに、これではまるで報告書みたいじゃないか」
クラーラのサインを、すがるようにエアハルトの指が撫でる。
報告書と言えば、フリッツからの事業進捗が途絶えている。
「これも変だ。あの律儀なフリッツが、連絡を入れ忘れるとは思えない」
エアハルトはしきりに首をかしげた。
何か気持ちの悪いことが、身の回りで起こっている気がする。
富と権力にとりつかれた、魑魅魍魎がはびこる王城になど、長居するものではない。
「さっさとここを出て行きたいが、ヨゼフィーネさまが療養中では仕方がない」
これは王城へ着いてみて分かったのだが、昨年のパーティでは健康そうだったヨゼフィーネは、今は寝たきりのことが多いという。
婚約の申し込みを断りさえすれば、問題は解決すると思っていたエアハルトだったが、事態は長期戦の構えを見せていた。
「ヨゼフィーネさまの体調に、影響を及ぼす発言は控えろって……それじゃ、いつまで経っても断りを入れられないじゃないか。それだけでなく、ヨゼフィーネさまが早く回復するように、元気づけて差し上げろなんて無茶ばかり言うよ」
エアハルトは頭を抱える。
これまでヨゼフィーネと面会できたのは、両手で足りるほどの回数だ。
それも短い間、横たわるヨゼフィーネの隣で、当たり障りのない会話をするだけ。
その際に、侍女長から言われて、しぶしぶヨゼフィーネの手を握った。
「いつまでこんな茶番を続ければいいんだ? 俺はクラーラの待つオルコット王国へ、早く帰りたいのに」
思い通りにいかない毎日の鬱憤を晴らすように、エアハルトはクラーラへの手紙に愛をぶちまけていた。
愛しているという言葉は、何千回と書いたかしれない。
それでもまた伝えきれなくて、想いを綴った便せんに何度もキスをした。
「こんなに待たせてしまっている俺を、それでもクラーラは叱らないんだな。ああ……愛しい」
クラーラからの手紙を胸に抱き締め、エアハルトは悶える。
手紙のやりとりをするようになって初めて、エアハルトはクラーラの筆跡を知った。
一般的な女性がしたためるような、柔らかい文字が並ぶ紙面を目で追う。
「子どもたちと一緒に溌溂と過ごすクラーラは、もっと元気な文字を書くと思っていたけど――」
いくつかの疑問が浮かぶが、まだエアハルトは、これがクラーラからの本物の手紙だと信じていた。
だからシワを伸ばして大切に保管する。
「さっそくクラーラに返事を書こう。まだヨゼフィーネさまの病状が思わしくなくて、もうしばらくキースリング国へ滞在する予定だと詫びなければ」
クラーラと会えない日々は、もう何か月目になっただろう。
「こんなに離れ離れになるとは、思ってもいなかった。せめてクラーラや子どもたちに、キースリング国の美味しいものを食べてもらいたい」
エアハルトが心を込めて用意した贈り物も、愛を込めて書いた手紙も、クラーラや子どもたちのもとへ届いてはいない。
それにはエアハルトと婚約したいヨゼフィーネの思惑が、絡んでいたのだった。
◇◆◇◆
「なかなか、エアハルトさまの気持ちは動かないわね」
「またしても貧民の女相手に、手紙を書いておりましたよ」
忌々しいと言わんばかりに、侍女長がヨゼフィーネへ密告する。
「高貴で美しい姫さまに慕われておきながら、なんという不敬でしょう」
今にも破り捨てられそうなクラーラ宛ての手紙を、ヨゼフィーネは侍女長の手から慌てて回収する。
「駄目よ、破ってしまっては! エアハルトさまの愛の言葉が、書かれているのだから!」
「も、申し訳ありませんでした」
侍女長から取り上げたエアハルトの手紙を、ヨゼフィーネは大切そうに開封する。
そして込められた愛の言葉に酔いしれた。
「ねえ? またエアハルトさまは、便せんにキスをしていた?」
「ええ、真ん中あたりにされておりましたよ」
「この辺かしら?」
確かめるように狙い定めると、ヨゼフィーネはそこへ己の唇を寄せる。
「ああ、エアハルトさま、心からお慕いしております。どうかヨゼフィーネを、あなたの恋人にしてください」
うっとりと呟くと、ベッドのサイドテーブルから、小さな鋏を取り出した。
そして、ショキンショキンと音を鳴らし、エアハルトの手紙から『クラーラ』の文字を切り取っていく。
散らばり落ちた紙片は、侍女長がさっと集め、屑籠へ放り入れた。
「これまで辺境伯家の当主になるために育てられたエアハルトさまは、貧しい者や弱い者を放ってはおけないのよ。そうした者を助けてこその、騎士ですもの」
クラーラの名前が抜け、穴だらけになったエアハルト直筆の便せんを、ヨゼフィーネは愛しげに眺める。
それを鋏と一緒にサイドテーブルへ仕舞うと、豪奢なベッドに横たわった。
「わたくしは貧しくはなれないけれど、病弱にはなれるわ。そのうち、エアハルトさまも貧民のシスターなど忘れて、か弱いわたくしに心を砕いてくださるはず」
くふふ、とヨゼフィーネは笑い声をこらえる。
「そうなったら、お父さまにおねだりして、余っている爵位をエアハルトさまに授与してもらいましょう」
「姫さまを目に入れても痛くないほど可愛がっていらっしゃいますから! きっと国王陛下は、お望みのままに取り計らってくださいますよ」
「いただく領地は、なるべく収入が多くて、王都へ遊びに行くのに便利な場所だといいわね」
侍女長と笑い合うヨゼフィーネは19歳。
クラーラとあまり年の差はないが、思考回路はまるで幼い。
「そろそろ、エアハルトさまと面会したいわ」
「姫さまとの特別な逢瀬の機会は、もっと出し惜しみした方がいいのではないでしょうか?」
「だって、せっかく王城にいらっしゃるのだから、遠くから眺めるだけでは嫌よ」
ヨゼフィーネの部屋は、エアハルトのいる客室が覗ける角度になっている。
侍女長が用意したオペラグラスで、室内でも鍛錬を怠らないエアハルトの肉体美を眺めては、日々惚れ惚れとしているのだ。
「それでしたら姫さま、車椅子を用意しましょう。そして庭園をゆっくり散策しながら、おふたりの関係を深めるのです」
「エアハルトさまに押してもらうのね? だったら、道中のガゼボにはティーセットを用意してちょうだい。逞しいエアハルトさまの腕に抱かれながら、お茶を飲みたいわ」
嬉々として当日の打ち合わせをするヨゼフィーネの寝室を、一人の侍女が訪れる。
「ヨゼフィーネさま、エアハルトさま宛てに届いた手紙をお持ちしました」
「いつものように取り計らってちょうだい。貧民の女が出してきたものは、当たり障りのない部分だけ書き写して処分よ」
クラーラの手紙は、ヨゼフィーネの命令によって偽造され、エアハルトへ伝えたい思いは、バッサリと削られていた。
「姫さま、偽物を用意するまでもなく、これからは即座に処分してしまいましょう。エアハルトさまもそれで、諦めがつくかもしれませんよ」
「急に途絶えたら、怪しまれないかしら?」
「すでにエアハルトさまの家臣からの報告書は、廃棄されているじゃないですか」
フリッツからの報告書に、エアハルトの手紙がオルコット王国へ届いていないという一文が混じり始めた辺りで、ヨゼフィーネは検めるのが面倒になってそれらを全て廃棄しているのだ。
配達事業が国営であるのをいいことに、王家の権力を使ってエアハルトの手紙を抜き取っているなんて、兄たちに知られたらヨゼフィーネは叱られる。
「早くエアハルトさまの心を、わたくしのものにしなくては。そうすれば、こんなことをしなくていいんだから」
ヨゼフィーネは、エアハルト宛てに届いたクラーラからの手紙をぐしゃりと握りつぶした。