星崎視点
休憩していた非常階段から、
次の現場である歌番組の収録に向かうため、
しゃがんだままギターケースを背負って、
僕が立ち上がった時、
何故か大森さんが僕の腕を掴んだ。
僕が驚いていると彼の目は不安そうに揺れていた。
「あの、
仕事ーー」
「あんまり自分のことをぞんざいに扱わないでくれる?」
言い方は強めだが、
その言葉には心配の色や優しさが込められていた。
しかしその優しさに甘えられるほど、
僕の中に余裕がなかった。
一度頼ってしまうと、
ずるずると相手に依存してしまいそうで怖かった。
僕がこうやって定期的に一人になりたがるのも、
そういう人をつくりたくないからだった。
誰とも浅く短い付き合いで、
それ以上踏み込んだ関係に発展されないような、
ビジネスライクな付き合い方しか、
僕には出来なかった。
だからこそ仕事仲間とプライベート関係も、
可能な限り持ちたくないほどだ。
そのため友人と呼べる人も、
たった三人しかいなかった。
それでも味方でいてくれる人がいるのは、
有難いし心強かった。
しかし円滑で充実した人間関係と、
音楽の技術や才能は別問題だ。
生まれ持った音楽センス、
楽器の経験年数、
型にはまらない柔軟性とのびのびとした自由さ、
楽器や曲作りの技術、
どれか一つでも偏りや欠けがあると、
音楽として機能しなくなってしまう。
だからこそ常に完璧を求めなければならない。
僕は歌に片想いしてばかりだ。
歌に愛されるほどの素質がなかったから。
だからこそ人一倍の努力では足りない。
死ぬほどの努力を積まなければ、
上を目指すどころか今の立場さえ危うくなりかねなかった。
『僕はソロアーティストなので、
一人で出来る範囲のことしかしていませんので心配なく』
スマホを介して大森さんにそう伝えてみても、
渋い顔をするばかりだ。
この返答には納得していないようだった。
しかし他に適切な答えなど、
僕には持ち合わせていなかった。
(どう答えたら折れてくれるのかな?)
そろそろ移動しなければ本当に遅刻しそうなので、
僕はすぐに歩き出した。
三人が何か話し合っているようだったが、
追いかけてくることはなかった。
そのまま次の収録現場まで歩いていた。
「風が生ぬるいな」
ムワッとするほど熱気を含んだ風でないが、
春風のような心地よさはなく、
少し気持ち悪い温度帯の風だった。
「ここか」
しばらく歩いてようやく、
僕は収録現場に着いた。
ここから先は知らないスタッフや、
他の出演者とも顔を合わせなければならないため、
あまり気が乗らなかった。
気持ちが沈んでいくのを感じながらも、
覚悟して中に入る。
やはり雑誌の撮影とは異なり、
人の多さに圧倒されそうになった。
「今日はよろしくお願いしますね、
TASUKUさん」
「はい、
よろしくお願いします」
その後も何人かと同じやり取りをしていた時、
聞き覚えのある声が聞こえて、
安心したのと同時に、
僕は思わずそちらに向かって小走りした。
そこには思った通りの人物がいた。
「ふーさん!」
「あれ⋯たっくんと今日同じ現場だったんだね!
もしかしていつもの?」
「する!」
セカヲワの深瀬さんが優しく両手を広げ、
僕はその腕の中にすっぽりとおさまった。
甘い花の蜜みたいなフローラルな香水、
緊張をときほぐしてくれる体温、
まるで「大丈夫」というように全てを包み込む大きな手、
すごく安心できる存在で、
仕事上は先輩でありプライベートでは数少ない友人だ。
僕たちは数秒間だけ抱き合って離れた。
緊張すると接触癖が出てしまうが、
限られた相手にしか晒していないことなので、
こうして応じてくれる深瀬さんの優しさに救われていた。
「それって新曲の衣装ですか?
すっごく格好いいです!」
「へへっ⋯そうなんだよ。
俺も気に入ってるから嬉しい!
たっくんも頑張って」
少し照れくさそうに笑う深瀬さんが、
何だか小動物みたいで、
先輩なのに可愛らしく見えてしまう。
(なんかこういうのほっこりしていいな)
その瞬間をまさか大森さんに、
みられているとも知らずにーーー
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