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太宰のみ先天的女体化。
アイドル中也×オタク太宰。
眩いスポットライトが、ステージの中央に立つ男を白く焼き付ける。会場を埋め尽くした数千人の観客が、一斉にその名を叫んでいた。空気を震わせるような重低音のビートに乗せて、彼は重力を無視したような軽やかなダンスを披露し、マイクを握る指先一つで会場の熱狂を意のままに操る。
中原中也。今、この国で最も勢いのあるソロアイドル。
その完璧なパフォーマンスを、客席の最前列に近い特等席から、一人の女性が食い入るように見つめていた。長く波打つ黒髪を雑にまとめ、中也のイメージカラーである青いペンライトを両手に握りしめた彼女は、周囲のファンと同様、あるいはそれ以上に熱心な眼差しをステージへと向けている。
「中也ー! こっち見てー! 今日も顔面が国宝級だよー!」
彼女——太宰治は、声を張り上げて叫んだ。その姿は、どこからどう見ても推しに人生を捧げた熱狂的なオタクそのものだ。ステージ上の中也がふと客席に視線を投げ、不敵な笑みを浮かべてウィンクを飛ばすと、太宰は「ひっ」と短い悲鳴を上げてその場に崩れ落ちる。周囲のファンからは「今の絶対、こっちのブロック見たよね!」「やばい、死ぬ!」と興奮した声が上がるが、太宰は心の中で、誰にも聞こえない毒づきを零していた。
(あの中也、またやりやがったな。あの角度は私が一番弱いって知っててやってる。帰ったら絶対に膝枕を要求してやるんだから……)
コンサートが終わり、熱狂の余韻が冷めやらぬ会場を後にする人々の中で、太宰は一般客に紛れて出口へと向かう。彼女の格好は、中也の公式グッズであるTシャツにパーカーを羽織り、カバンには大量の缶バッジ。どこから見ても「中原中也推しの太宰さん」として認知されている。彼女が中也の古参ファンであり、SNSでも有名な存在であることは、ファンの間では周知の事実だった。
だが、誰も知らない。
その「有名なオタク」が、コンサート終了から二時間後、事務所の厳しい追跡を撒くために変装した中原中也と、都内の高級マンションの一室で落ち合っていることなど。
「……ただいま、中也。今日も世界一かっこよかったよ、お疲れ様」
玄関の鍵が開く音と同時に、太宰は飛び出した。そこには、ステージ衣装を脱ぎ捨て、帽子を深く被った私服姿の中也が立っていた。彼は太宰の姿を見るなり、深く溜息をついてキャップを脱ぎ、玄関の棚に放り投げた。
「おい、太宰。手前、今日も最前列で暴れてやがったな。目立ってしょうがねえんだよ」
「えー? 愛情表現だよ。私の愛の深さに、中也のダンスもいつもよりキレてたんじゃない?」
「うるせえ。手前が変なタイミングで叫ぶから、ステップ踏み外しそうになっただろ」
口では文句を言いながらも、中也の手は自然と太宰の腰に回された。ステージで見せるカリスマ的な表情は影を潜め、そこにあるのは一人の男としての、少し呆れたような、けれど深い慈しみを湛えた瞳だ。
二人はそのまま、どちらからともなく唇を重ねた。数時間前まで数万人の視線を独り占めにしていた唇が、今は自分だけのものとしてそこにある。太宰は中也の首に腕を回し、その熱を確かめるように深く縋り付いた。
「ねえ、今日の中也、すっごくエロかった」
「……仕事だよ。ファンサービスだっつーの」
「ふふ、でもあのウィンク、私に向けてだったよね? 私、腰が抜けちゃった」
「……当たり前だろ。手前があんなところでアホ面下げて見てんだから、釘刺してやったんだよ」
中也は顔を赤くして視線を逸らした。ステージ上ではあんなにも堂々としている男が、二人きりになると途端に初心な反応を見せる。このギャップこそが、彼女だけが知る中原中也の真髄だった。
リビングに移動すると、中也はソファにどさりと身体を投げ出した。アイドルのハードなスケジュールは、彼の体力を確実に削っている。太宰は手際よくキッチンで飲み物を用意し、彼の隣に座った。
「お疲れ様、中也。マッサージしてあげようか?」
「……ああ、頼む」
中也が太宰の膝に頭を預ける。アイドルの頂点に君臨する男を膝枕するという、全ファンが気絶するような状況が、この部屋では日常の風景だった。太宰の細い指が中也のこめかみや肩を優しく揉みほぐすと、彼は気持ちよさそうに目を閉じた。
二人の関係は、世間的には「絶対にあってはならないこと」だ。中也の所属事務所は恋愛に厳しく、ましてやトップアイドルがファンと、しかも同棲しているなどという事実が露見すれば、彼のキャリアは一瞬で終わるだろう。だからこそ、太宰は徹底して「ただのファン」を演じ続けている。
ライブ会場では誰よりも声を張り上げ、SNSでは彼を称賛する言葉を並べ、イベントでは一列に並んで握手を交わす。剥がしのスタッフに急かされながら、「応援してます!」と一言だけ告げて去る。その数時間後には、同じベッドで眠っているというのに。
「なあ、太宰。いつまでこんな生活続けるつもりだ」
中也が閉じた目のまま、ぼそりと呟いた。
「いつまでって、中也がアイドルを辞めるまで? それとも、私に飽きるまで?」
「飽きるわけねえだろ。……手前にばっかり苦労かけてる気がしてな。外でデートもできねえし、手前は俺のオタクのフリまでして……」
太宰はクスクスと笑い、中也の鼻先を指で突いた。
「苦労なんて思ってないよ。だって、私がいちばん近くで中也を見られるんだもん。あんなにキラキラした人を独占できてるなんて、オタクとしてはこれ以上の幸せはないんだよ。……それに、外で会えない分、この部屋の中では全部私のものだし」
「手前は本当、……変な女だな」
「中也にだけは言われたくないよ」
太宰にとって、中也を推すという行為は、単なる趣味ではない。それは、彼を守るための偽装であり、同時に彼を愛するための儀式でもあった。大勢のファンの中に紛れることで、自分という存在を透明にし、彼との真実の関係を隠し通す。それが彼女にできる、アイドル・中原中也への最大の献身だった。
中也はふと目を開け、膝枕をしたまま太宰を見上げた。
「……来週、新曲のリリースイベントがある」
「知ってるよ。もう予約済み。もちろん参加するからね」
「……その日は、少し早めに終わるはずだ。終わったら、事務所の車じゃなくて自力で帰る。どっかで待ち合わせるか」
「え、大丈夫? 誰かに見つかったら……」
「変装は完璧にする。……一瞬でいい、外で手前と『普通のカップル』みてえに歩きてえんだよ」
中也の瞳は真剣だった。アイドルの仮面を脱ぎ捨てた、一人の少年のような真っ直ぐな願い。太宰は少しだけ困ったように眉を下げたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、私が中也を完璧にエスコートしてあげる。オタクの知識を総動員して、絶対にバレないルートを確保するから」
「……頼もしいね、おい」
中也は笑い、太宰の手を引き寄せて指先にキスをした。
リリースイベン当日。会場は新曲を待ち侘びたファンでごった返していた。太宰は今日も、中也のポスターが描かれたバッグを肩にかけ、最前列で彼を見守っていた。
ステージ上の中也は、先週のライブよりもさらに輝いて見えた。新曲の歌詞は、どこか切ない恋心を歌ったものだった。
『誰も知らない場所で、君の名前を呼びたい——』
そのフレーズが歌われた瞬間、中也と太宰の視線が重なった。ほんの一瞬のことだったが、太宰には分かった。彼は今、数千人の前で、自分だけに向けた愛の言葉を叫んでいるのだと。
周囲のファンが感動で涙を流す中、太宰もまた、演技ではない涙を瞳に溜めていた。
イベント終了後。夜の公園の隅、街灯も届かない暗がりに、黒いハットとマスクで顔を隠した男が立っていた。そこへ、同じく地味な私服に着替えた太宰が駆け寄る。
「……中也?」
「……遅えよ、太宰」
中也はマスクを少しずらし、安心したように息を吐いた。二人は人目を忍ぶようにして、夜の街を歩き出した。繋いだ手は、お互いのポケットの中で隠されている。
「ねえ、新曲。すっごく良かった」
「……そうかよ」
「『誰も知らない場所で』なんて、私たちのことみたい」
「……当たり前だろ。あの歌詞、俺が一部書き直させたんだ。手前のことを考えながらな」
太宰は胸が熱くなるのを感じた。アイドルの歌は、本来は万人のためのものだ。けれど、その中心にある核の部分に、自分との秘密が隠されている。その事実が、何よりも彼女を救っていた。
「中也。私、これからもずっと中也のファンだよ。一番の、理解者でいたい」
「ファンじゃなくて、恋人だろ」
「どっちも。欲張りなんだ、私は」
中也はふん、と鼻で笑い、ポケットの中の手を強く握りしめた。
「……ああ、勝手にしろ。その代わり、一生俺から離れるなよ。ファンを辞めるのも、恋人を辞めるのも禁止だ」
「了解。推しにそう言われちゃ、断れないね」
夜の静寂の中、二人の足音が重なる。 明日になれば、また彼らは「アイドル」と「オタク」という、果てしなく遠い距離の二人に戻る。何重もの嘘と偽装を纏い、世間の目から逃れながら、綱渡りのような恋を続けるだろう。
けれど、この暗闇の中で重なる体温だけは、どんなステージの照明よりも明るく、彼らの真実を照らしていた。
事務所に内緒の、世界で一番贅沢な秘密の恋。 それは、誰にも邪魔されることのない、二人だけの完璧なステージだった。
夜風に揺れる街路樹の隙間から、月が二人を見下ろしている。 中也は一瞬だけ立ち止まり、太宰の額に軽く唇を寄せた。
「……愛してるぜ、太宰」
「私も。……中也、世界で一番大好きだよ」
その言葉は、誰にも届かないほど小さな声だったけれど。 二人の心には、どんな歓声よりも大きく、いつまでも響き続けていた。