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呑気に某ネット漫画読んでたら書きたくなった話。
またまた太宰先天的女体化です。
家事代行バイト中也×オンオフ激しめアイドル太宰♀
ヨコハマの街角に立てば、嫌でも彼女の顔が目に入る。 巨大なビジョンの向こうで、あるいは雑誌の表紙で、その少女は完璧な微笑みを湛えていた。 アイドル、太宰治。 彼女を形容する言葉は、もはや「美しい」や「可愛い」といった既存の言葉を超越し、熱狂的な信奉者たちの間では一種の宗教に近い扱いを受けていた。
「中也さん、今日の新曲のMV、ご覧になりましたか。……あの一瞬の憂いを含んだ眼差し。あれこそが現代の救済、人類が到達した美の極致です。ああ、彼女と同じ時代に生まれた奇跡に感謝を……」
大学の学食で、後輩の芥川がいつになく饒舌に、そして深刻な面持ちで語っていた。彼の机の上には、太宰のライブグッズであるタオルが恭しく置かれている。芥川は彼女の熱狂的なファンであり、その情熱は時として周囲を怯えさせるほどだった。
「はいはい、わかったから。お前、その『聖域』だの『天啓』だのって言い方、一般人には通じねえからな。ほどほどにしとけ」
中原中也は、興味なさげに自分の定食の肉じゃがを口に運んだ。 彼にとって、アイドルは画面の向こう側の住人でしかない。綺麗な顔だとは思うし、歌も耳にはするが、それ以上の感情は湧かなかった。中也には大学の講義と、生活費を稼ぐための複数のアルバイトで埋まった忙しい現実がある。
「ふーん。そんなに人気なら、いつかテレビ以外でも見かける機会があるかもな」
「滅多なことを。彼女は我々のような凡夫が、日常の地平で出会えるような存在ではありません。彼女はただ、遠くから祈りを捧げる対象なのです」
芥川の重々しい言葉を「大袈裟だな」と笑い飛ばしながら、中也はその日のバイトの予定を確認した。
中也のバイトの一つに、富裕層向けの家事代行サービスがある。料理も掃除も手際よくこなす彼は、利用者からの評価も高く、時折指名での依頼が入ることがあった。
「……次は、中央区のタワーマンションか。依頼主は『ツシマ』。随分とセキュリティが厳重なところだな」
指定された時刻に、中也は超高層マンションの最上階に近い一室の前に立った。インターホンを押し、家事代行の中原です、と告げる。しばらくの沈黙の後、カチャリと解錠される音がした。
「……どうぞ。開いてるよ」
聞こえてきたのは、ひどく掠れた、消え入りそうな女性の声だった。体調でも悪いのだろうか。中也は失礼します、と声をかけて中に入った。
その瞬間、中也は自分の目を疑った。
廊下を抜けた先のリビングは、まさに「戦場」だった。高級そうなソファには脱ぎ捨てられた服が山積みになり、床にはブランド物のバッグとコンビニの袋が散乱している。そして、部屋の隅で毛布にくるまり、暗いテレビ画面を見つめて膝を抱えている人影があった。
「あの……中原です。お掃除と料理の依頼を……」
中也が恐る恐る近づくと、毛布がゆっくりとずり落ちた。
そこにあったのは、数時間前に学食で芥川が拝んでいた、あの「天啓」のような顔だった。
だが、あまりにも違う。 画面の中の彼女は、凛としていて、すべてを見透かしたような余裕を感じさせていた。しかし、目の前にいる少女は、髪はボサボサ、目の下には深い隈があり、今にもこの世の終わりだと言わんばかりの絶望に満ちた表情を浮かべていた。
「……中原、さん。ごめんね、こんな死体置き場みたいな部屋に呼んじゃって。でも、もう、私、限界。エゴサーチしたら『新曲の振り付けが微妙』って書き込みを見つけちゃって……。私の存在価値って何なんだろうって、三日間くらいずっと考えてたら、気づいたらゴミに埋もれてたの」
「……は?」
中也は呆然と立ち尽くした。 これが、あのトップアイドル・太宰治? メンタルが弱すぎるどころの騒ぎではない。これはもう、精神的な遭難者だ。
「……とりあえず、手前。死ぬ前に飯食え。塵になるのはその後にしろ」
中也は反射的に腕まくりをした。彼の中に備わった、困っている奴を放っておけないお節介な気質が火を吹いたのだ。
それから、中也の奇妙な二重生活が始まった。 週に数回、太宰のマンションを訪れ、掃除をし、洗濯をし、彼女のとりとめもない「死にたい」という嘆きを聞き流しながら、栄養のある食事を作った。
三ヶ月が経過した頃には、部屋は見違えるほど綺麗になり、太宰の顔色も以前よりはずっと良くなっていた。
ある日の昼下がり。太宰は仕事がオフだという。 中也が作ったばかりの親子丼を、ソファの上で丸まって頬張っていた太宰が、ふと箸を止めて中也の背中を見つめた。
「……ねえ、中也」
「あ? なんだよ」
「君ってさ、よく辞めなかったよね。今まで何度か家事代行を頼んだことあったけど、今までのみんなは途中で辞めちゃって……。私がちょっと『死にたい』とか言い始めると、みんな顔を引き攣らせて逃げていっちゃうの。君みたいに、私のネガティブを真正面から受け止めて、挙句の果てに『黙って食え』なんて言う人は初めてだよ」
太宰は自嘲気味に笑い、鶏肉を小さく突いた。
「普通、引くでしょ? こんなにメンタル弱くて、家事もできなくて、二十四時間絶望してる女なんて。それに、ほら、私は……」
中也は鍋を洗い終え、手を拭きながら何気なく言った。
「まあ、あのトップアイドルが、裏ではこんなにネガティブで面倒くせえ奴だったら、普通はそうなるだろ」
中也のトーンは、あまりにも自然で、まるで天気のことを話すかのようだった。
「…………え?」
太宰の動きが止まった。口元に運ぼうとしたスプーンが、カチリと皿に当たって乾いた音を立てる。
「え、……私、自分がアイドルだって、言ってたっけ、……?!」
「あ? ……ああ、そういや直接は聞いてねえな」
「じゃあ、なんで……?! 私、一応家の中では眼鏡もしてるし、髪型だって変えてるし、契約名も本名の『津島』で通してたのに……!」
太宰はソファから身を乗り出し、詰め寄るように中也の顔を覗き込んだ。中也はそんな彼女の勢いに少しだけのけ反り、心底意外そうに眉を寄せた。
「……何言ってんだ手前。初めて会った時から気づいてたよ」
「うそーーー!!」
太宰の叫び声が、リビングに木霊した。彼女は両手で頭を抱え、文字通りパニックに陥っている。
「気づいてたの!? 最初から!? 一番最初の、あのゴミ山の中で私が毛布にくるまって『塵になりたい』って言わんばかりの顔してた、あの最悪な初対面の時から?!」
「おう。手前の名前を聞いた時から、もしかしてとは思ってたけどな。顔見りゃ一発だろ。あんなに街中でポスター貼られまくってて、気づかねえ方が無理だ。……お前、俺が気づいてねえと思ってたのか?」
「思ってたよ! だって君、一言もそのことに触れないし! 私のことをアイドルとして扱わないし、むしろただの出来の悪い居候みたいに怒鳴り散らすし……! 他のファンみたいに、キラキラした目で私を見ないじゃないか!」
太宰は顔を真っ赤にして、膝をバタバタとさせた。その姿は、数千万人のファンを魅了するカリスマアイドルというより、隠し事がバレた子供のそれだった。
中也は鼻で笑い、呆れたように溜息をついた。
「当たり前だろ。仕事の時の手前がどれだけキラキラしてようが、俺の前にいるのは、掃除もできねえ、飯もまともに食えねえ、放っておけば勝手にのたれ死にそうな、ただの危うい女だ。そっちの方が、俺にとってはよっぽど『本当』に見えたんだよ」
中也の言葉は、飾りがなく、あまりにも真っ直ぐだった。
太宰は呆然としたまま、中也の瞳を見つめ返した。そこには崇拝も、特別視もない。ただ、目の前にいる一人の少女を、丸ごと受け止めている男の静かな熱だけがあった。
「……なんだよ、そんなに驚くことか」
「……驚くよ。だって、そんなの……ずるいじゃないか」
太宰は顔を伏せ、膝の間に頭を埋めた。長い黒髪がさらりと流れ、赤くなった耳を隠す。
「私がアイドルだって知ってて、それでもあんなに容赦なく怒ってたんだね。私が『死にたい』って言ったら、『肉食ってから死ね』って言ったんだね。……君って、本当にひどい人だ」
「……悪かったな、配慮が足りなくて」
「ううん、……いいの。それがいいの」
太宰は顔を上げ、潤んだ瞳でふわりと笑った。それは、どのカメラも捉えたことのない、心からの、本物の微笑みだった。
「中也。……やっぱり君がいい。君じゃなきゃ、だめだ」
「……いきなりなんだよ、気持ち悪い」
「気持ち悪くないよ。愛の告白だよ、トップアイドル様からのね!」
「……声がけけえんだよ、青鯖! ほら、さっさと食い終わらせろ。デザートにリンゴ剥いてやるから」
「わーい、中也の剥いたリンゴ大好き!」
太宰は再び元気を取り戻し、楽しそうに親子丼を口に運び始めた。
正体がバレていたという衝撃は、いつの間にか、彼女の胸の中で温かい安心感へと変わっていた。アイドルという虚像を剥ぎ取られても、自分を「自分」として見てくれる場所がある。その事実が、彼女の弱すぎるメンタルを、何よりも強く支え始めていた。
中也はリンゴを剥きながら、少しだけ口角を上げた。
「……まあ、知り合いには一生内緒にしてやるよ。あいつがこれを知ったら、ショックで寝込むどころか世界が滅びそうだからな」
「ふふ、そうだね。彼には悪いけど……この私は、中也だけの秘密にしてもらうよ」
「……ああ。……わかってるよ」
二人の秘密は、午後の柔らかな光に溶けていく。 アイドルとファンでも、依頼主と従業員でもない。 ただの名前を呼び合う二人の、ささやかで、けれど確かな時間が、そこには流れていた。
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