ーダンジョン第八階層ー
上層と呼ばれる、冒険者歴一〜五年ほどのルーキーばかりの階層に集められたのは、中層を攻略拠点としているか、 それが可能なほどの実力を持った腕利きの冒険者らだった。
何も最近、ダンジョンのモンスターが本来の出現階層よりも上に現れるという報告が後を絶たないらしい。
このまま放置していると、ダンジョンの外にモンスターが溢れ出る、いわゆる【モンスターパレード】が起こるかもしれないのだ。
それを見かねたギルドが出した、特別クエストが上昇中のモンスターの討伐。
特別クエストなだけあって報酬は、通常クエストよりも遥かに多い。
それに少なく見積もっても二十のパーティーが協力している今、深層のモンスターでも現れない限りは何とかなるだろう。
「それにしても、スゲー人数集まったなあ」
「そうですね。それに質も良いです。あの準一級剣士【連撃のカイネ】もいるみたいですし」
「ネームドもいるのか。今回のクエストは余裕そうだな」
「フォルテ。油断はよくありませんよ」
「なんだよ、そんぐらいわかってるって。冗談だよ冗談」
ちなみに、ネームドというのは、言い換えてしまえば通り名の事だ。
ネームドは大きな実績を持つ場合がほとんどなので、冒険者の中では強さの一つの基準になったりもする。
冒険者らはこうやって、近くの仲間と冗談を言い合いながら調査を進めていく。
それは単純に彼らが暇を持て余しているという事もあるが、主な理由は彼らの恐怖を誤魔化すことだろう。
いくら実力者であろうともダンジョンの持つ威圧と緊張感は常に全身を覆っている。
「よっ、姉ちゃん。今日はよろしくな。まあ、ネームドもいるみたいだし、後衛の俺らに役割があるかはわからんけどな」
「え、えっ、私……に言ってます?」
横にいる先輩冒険者の会話を盗み聞きしていた少女は、急に話しかけられた事に動揺しながらそう言った。
少女の年齢はおそらく十六前後。
冒険者になれるのは十五歳からと決められているため、そんなルーキーがこの場に来れているなんて大したものだ。
装備は軽め、それも安物だろう。防御面ではかなり危険な装備に思える。
「あんた以外に誰がいるんだよ」
「ちょっとフォルテ。その高圧的な態度では彼女が怯えてしまいます」
「怯える? 俺はだなぁ、ただ友好的関係を結ぼうと、ちょっとフレンドリーに話しただけだぜ? どこに怯えさせるような要素があるんだよ」
「はいはい、そうですね」
ローブを着た細身の男はそう宥めた後、少女の方に軽く頭を下げる。
「すみません。うちのパーティーメンバーが失礼をしました……。私はパーティーリーダーのフィーネ。こっちがフォルテです」
フィーネ。というその男は三十代あたりだとは思うが、笑顔が明るく、もう少し若くも見える。
高そうな赤い魔石の先についた、長い木の杖を持っているし、それなりの強さの魔法使いなのだろう。
どこか知的さがあって、魅力的な方だ。
「いえいえ、ご丁寧にありがとうございます。私は……、ソロで冒険者をしているサーシスと申します。本日はよろしくお願いしますっ」
サーシスは三十代男性には負けじと明るい笑顔で返す。
が、フィーネは更に強い笑顔で返した。
(ま……負けた)
サーシスが勝手に落ち込んでいると、もう一人の男が舌打ちをする。
あの人はフォルテ、と呼ばれていた人だ。
おそらくフィーネさんと同年代。 もし違えば、年上だろう
何故そう思うかって? そんなの簡単。フィーネさんと違って、髭が生えてるからだ。
フォルテは年はあるように見えるが、いわゆるイケオジってやつなのか、大人っぽさが多少ある。
それに背負っている武器は斧。前衛職特有の男らしさが溢れている。
てっきりパーティーリーダーは勇ましいフォルテの方だと思っていたが、今ならその訳がなんとなくわかる気がする。
この人は普通に感じが悪い。
フォルテは腰についたバッグからボトルを取り出し、豪快に飲んでぷはぁと息をもらした。
彼には悪いがおっさんっぽいと思う。
「ところで、あんたのその恰好。防御を捨てた素早さ特攻ってとこか? 悪いことは言わないから、それはやめたほうが良い。ダンジョンはそんな甘い考えの通じる場所じゃない」
急に口を開いたかと思えば、サーシスに対する辛口評価。
だが、意外と股を得ている発言でもあり、上手く言い返す事ができない。
サーシスがあてあてとしていると、だんだんフィーネさんも怒り気味になってきた。
念の為に言っておくと、それは別にサーシスに対してでは無い。フォルテにだ。
こういう場面では、フィーネの優しい性格が反して牙を向く。
「フォルテ。あなたなりに彼女を心配しているのはわかります。ダンジョンの恐ろしさもわかります。ですが、言い方というものがあるんじゃないですか」
「フィーネ黙れ!」
そんなフィーネをフォルテは一蹴。
その力強い声に思わず身体が震える。サーシスは怯え、本当に何もできなくなった。
それもそうだろう。二人の男が彼女を間に仲間割れを始めたのだから。
単純な怖さもあるが、このパーティーに亀裂を入れてしまったのではないかというある種の不安がかなり大きい。
「ラーシスちゃん、あんた何歳だ。いいか?俺には冒険者として二十年の経験がある。
そんな俺だが、十階層より下の層……つまり、中層には絶対に行かない。なぜだと思う? 答えは簡単だ。死ぬからだ。あんたの実力は知らんが、その軽装じゃあ、一発でも食らえば確実に致命傷だろうよ」
フォルテはそれだけ言い捨てると、また水を飲んだ。
中身がもう無くなったのか、思いっきり傾けて底をトントンと叩いている。
サーシスは一度、今の自分の装備を確認した。
防具は胸当てのみで、腰にメインのナイフ、ここからでは見えないが、太ももの裏にもそれぞれ一本ずつナイフがある。
速さを武器としている彼女にとって、フルアーマーというのはあまりにも危険過ぎる。
だが確かに、防御面では心持たないというのも事実であった。
不安が消える、どころかむしろ自然と笑顔まで溢れる。
(なーんだ。心配してくれてただけか……)
サーシスはホッと安堵の溜め息をつく。
なんだかフォルテの厳しい態度も、愛の裏返しなのだと思うと可愛く見えてきた。
「確かに少し危なかったかもしれません……。今度からは、防具もちゃんと着けようと思います。それと、フォルテさん……私はサーシスです」
まあ。それでも名前を間違っていた事は、ちゃんと許さない。
フォルテはサーシスの目も見ずに。ただし、少し安心したように言った。
「わかりゃあ、良いんだよ。わかりゃあ」
そんな彼にサーシスは眩しい笑顔を送るので、フォルテは少し反応に困った様子だ。
(フォルテさんは返してくれないか……)
少し残念そうにサーシスは息をつく。
『お前ら! 一旦全員引け!』
透き通った美声が、このダンジョン第八階層に響く。
突然の事に驚きながらも、サーシスらはその方向へ目を向けた。
「あれは……【連撃のカイネ】ではないですか」
「どうしたんだ、一旦よぉ?」
突然叫び出し、戦闘態勢に入ったカイネを誰もが不思議そうに見守る。
【連撃のカイネ】準一級剣士。 冒険者歴二年、十七歳。
ここ最近のルーキーでは、トップレベルの実力者で才能もあり努力も惜しまない。
ここに集まっている冒険者の大抵は準二級か二級。カイネはその誰よりも強いだろう。
だがそんな彼は今、奇行に走っていた。
彼が剣を構える先にあるのは、ただの壁。
『何をしている! 早く逃げろ!』
カイネは変わらず叫ぶ。
だがもちろん、逃げる者など一人もいなく、むしろカイネを止めようと近づく者すらいる。
彼だけが静寂の中で独り何かを感じ取ったのか、それともおかしくなってしまったのか。それは誰にもわからなかった。
『喰らえっ奥義、全羅万象!!』
壁へ向けカイネが自身の奥義、全羅万象を打つ。
その瞬間、カイネの攻撃とは別の要因で壁が崩れていく。何かのモンスターが向こうにいたようだ。
その剣捌きは見事なもので、絶え間なく飛び交う斬撃が、あまりの速さにいくつもの線として浮かび上がっている。
誰もがどんな敵に放ったのかは、わからずとも倒した。と思った。
「え……。嘘」
思わず言葉が漏れた。
カイネが技を打った先の壁から、何か信じられないほど巨大なものが近づいてくる。
実際にその奥から来ている者を目にした訳では無いが、反対側から何かが壁を押し倒して壊しながら近づいてきている事は、壁の崩れ方やそのスケールの大きさからして明らかだ。
崩れたとは言っても元は壁。落下してきたそれから、前衛にいた者たちは逃れられず下敷きになった。
彼らの断末魔が一瞬したと思えば、それの着地と共にその声も沈められる。
一気に砂煙と血液があたりに飛び散り、三十メートルは離れていたサーシスらすら飲み込む。
これらの今起こった現象全てが、現れたモンスターの規格外さを表しているようだ。
冒険者らはダンジョンの恐ろしさはよく知っている。だが、これは明らかにそれを超越していた。
「みなさん、大丈夫ですか!」
「おうよ 、俺は無事だ。サーカスちゃんはどうだ?」
「私も無事です。みなさんご無事で何よりです」
視界は今頼りにならないため、声掛けで互いの無事を確認する。
どうやら三人とも問題は無いようだ。
「へっ。帰るときには、どうなってるかわからんがなっ」
「風魔法で煙を払います! 伏せて下さい!」
私たちはフィーネさんの言葉に従い、身体を伏せる。
私たちを囲うように風が渦となって砂煙を上にばら撒いていた。
フィーネは伏せておくようにと言っていたが魔法の制御は完璧で、正直そうしなくても結果は変わらなかっただろう。
そう思えるほど、その魔法は単純な強さとはまた違った凄さがあった。
やはりフィーネはかなりの実力者。二級相当はあるだろう。と、考えるとその仲間のフォルテもおそらく同等。
この煙の先に何がいようと対処は可能だろう、とこの時には思っていた。
砂煙も晴れ、遂にモンスターの姿が眼に映る。
そこにいたものを見て、私たちは固唾を呑んだ。
「おいおい、おいおいおい!」
「フォルテ! フィロス! 今すぐ撤退を!」
『『るーるる、るるるる、るーるー、るーるる、るるるる、るーる……』』
フォルテとフィーネが撤退を促したその時、優雅な歌が聞こえた。
別に冒険者の誰かが狂い、こんな状況で歌い出したのではない。
歌っているのはモンスターの方だ。
ヤツの周りには、まだ多少の砂煙が残ってはいたが、私たちには何が現れたのか理解った。
冒険者であれば知らぬ者はいないであろう存在。
この強さ、それに歌う魔物など一つしか考えられない。
ヤツの歌に込められた魔力によって、砂煙が一瞬にして吹き飛ぶ。その風圧でこっちまで押し倒されそうだ。
高さ二十メートルを越える巨体。にも関わらずヤツは華奢な女性のような形をしている。
その像は、人であれば誰であろうと常に思い浮かべている理想の女性のスタイル。
ここは戦場であると言うのに気を抜けば、あまりの美しさに惚れてしまいそうだ。
肌の色は生物とは思えないほど真っ白。
それは通常であれば気色が悪く思えるはずだが、不思議と輝いているように脳は捉え、ヤツが究極の美を体現する存在かのように感じてしまう。
人のようにドレスをしているがサイズが合っていないのか、五メートルくらいが地面についてしまっている。
そのドレスはどの黒よりも黒く、底のない暗闇でも覗いているようだ。
【謳う母】それがこのモンスターの名。
出現場所は十一階層だが、その強さは深層モンスターとも引けを取らない。
深くへ行くほど強いモンスターが出現する、というダンジョンの法則を無視する化け物。
実力はあるのに中層には行かない冒険者が一定数存在しているのも、大半がコイツを警戒してのものだ。
もちろん遭遇しなければ良いだけの話ではあるのだが、それでも多くの冒険者が殺されてきた。
更にはその歌声は精神に作用し、人を狂わせ、自身に引き付ける。
耐久力だけで言えばモンスターの中でも随一の性能を誇っており、剣で対抗するならば全身を細かく切断、魔法でならば全身を焼き尽くすぐらいはしなければ討伐できないという。
一級を超える特級、すらも超える強さを持つ【英雄級】モンスターの一体。
その圧倒的な強さから、冒険者の中ではこう呼ばれている…… 【Walking Dead】と。
「まじかよ。どうするフィーネ? 逃げるか?」
もはやそれしか無かった。
まともに戦って勝てるような相手では無い。だが、ヤツが既に歌っているのであれば話は別だ。
「フォルテ! サーシス! 絶対に、絶対に逃げないでください! 背を向け逃げる事は、ヤツに屈服したのと同意っ。私たちの全てがその瞬間ヤツの歌声に呑まれ、掌握されるでしょう」
「じゃあ、俺らに取れる選択は、たった一つって事だなあ。えっと、サーナスちゃんよ、準備は良いか?」
「フォルテさん。私はサーシスです。まったく……。
戦いが終わったら、覚えてるか確認するんで、それまでにしっかりその名を身体に刻んでおいてくださいね」
「へっ、言うじゃねぇか」
「それでは、我々は今より、ギルドからのクエストに従い上昇中のモンスター。【英雄級:謳う母】を討伐するっ!」
「おう!」「はい!」
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