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#執着
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数日が過ぎた。
窓の外では、朝から蝉にも似た夏鳥の声が響いている。
柔らかな陽射しが寝室へ差し込む頃になっても、リリアンナはなかなか瞼を上げられなかった。
(……まだ、眠い)
昨夜も十分眠ったはずだ。
それなのに身体が鉛のように重く、もう一度目を閉じれば、そのまま眠ってしまえそうなくらい強い眠気が残っている。
「リリー?」
隣から優しい声が降ってきた。
ゆっくり目を開けると、身支度を整え終えたランディリックが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「……おはよう、ランディ」
「おはよう。ひょっとして具合が悪い?」
「大丈夫よ。ただ、少し眠たくて……」
そう答えながら身体を起こす。
けれど立ち上がろうとした瞬間、ふわりと視界が揺れた。
「リリー」
すぐに伸びてきた腕が、その身体を支える。
「本当に大丈夫なのか?」
「ええ。最近なんだかやたらと眠くて……」
苦笑すると、ランディリックの眉間に小さな皺が寄った。
味覚が戻ってからというもの、リリアンナは以前のように食事も取れるようになっていた。
だからこそ、この数日の体調不良は、ただ疲れが溜まっているだけだと思っていた。
ランディリックは夏に入ってから、ヴァルム要塞とヴァン・エルダール城を何度も往復している。
辺境の警備に加え、何やら忙しそうに書簡へ目を通す姿も増えていた。
そんな彼へ余計な心配は掛けたくなかった。
「少しゆっくりすれば治るわ」
「……そうならいいが」
ランディリックは納得していない様子だったが、それ以上は何も言わず、リリアンナの歩調に合わせて食堂まで付き添ってくれた。
食卓には、焼きたてのパンや温かなスープ、香ばしく焼かれた肉料理が並んでいる。
以前なら、その香りだけで幸せな気持ちになれたはずだった。
味覚が戻ってからは、どんな料理も美味しく感じられていた。
けれど――。
「っ……」
ふわりと漂ってきた焼き肉の香りを吸い込んだ瞬間、胸の奥がかっと熱くなる。
込み上げるような吐き気に、思わず口元を押さえた。
「リリー!?」
ランディリックが椅子を蹴るように立ち上がる。
「ご、ごめんなさい……少しだけ……」
味が分からないわけではない。
むしろ逆だった。
肉の脂の香りも、香辛料も、お茶の香りさえ、何もかもが強すぎる。
鼻の奥へ刺さるようで、とても受け付けられない。
「水を」
ランディリックの短い一言で、控えていたナディエルがすぐにグラスを差し出した。
「ありがとう、ナディ……」
一口だけ含むと、ようやく吐き気が少し落ち着く。
その様子を見守っていた侍女頭のブリジットは、リリアンナのそばへいるナディエルとほんの一瞬だけ視線を交わした。
何かを察したような、けれど確信は持てない、そんな表情だった。
ランディリックはリリアンナの背をゆっくりと撫で続けている。
「今日は食事はやめよう。医師を呼ぶ」
「えっ、大丈夫よ。本当に少し寝不足なだけで――」
ランディリックは以前のように夜ごとリリアンナを求めることはなくなっていた。リリアンナの眠気が取れにくいことに気付いてからはなおさら、静かに隣で眠るだけの日々が続いている。
「寝不足? それは違うよね?」
穏やかな声だった。
けれど、有無を言わせない響きがあった。
「ここ数日、キミはずっと様子がおかしい」
「……」
「疲れだけで済ませていい顔色じゃない」
ちょうどその時、食堂の入口で控えていたセドリックが静かに一礼した。
「旦那様。ヴァルム要塞より急ぎの報告が――」
「後にしろ」
返事は一瞬だった。
迷いもない。
「今はリリーの体調が優先だ」
セドリックは一瞬だけ目を伏せると、「承知いたしました」とだけ答えて静かに下がっていく。
ランディリックはその背を見送ることなく、再びリリアンナへ向き直った。
「医師が来るまで部屋で休もう」
その声は辺境伯ではなく、一人の男として最愛の女性を案じる、優しい響きに満ちていた。
コメント
3件
絶対そうだ٩(ˊᗜˋ*)و ご懐妊に違いない🥰
ご懐妊なのかしら
リリアンナの体調不良、ここまで段階的に描かれると「もしや…」とドキドキしますね。焼き肉の香りで吐き気を催すシーン、あの「かっと熱くなる」感覚がすごくリアルで、思わず息を呑みました。そしてランディリックが「後にしろ」と即答してリリアンナを優先するの、もう…胸がぎゅっとなりました。仕事を後回しにできる男、最高です。今後の診察の結果が気になります🌷