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『いいえ、とんでもありません。あれから知らないうちに眠ってしまい、つい今しがた目覚めたのです。ご心配をおかけして申しわけありません』
「そうでしたか。お疲れの所と承知しておりましたが、律さんが心配でしたから、諸々手につかなくて。声を聞くことができたので安心致しました」
『……本当にお世話になりました』
「お元気になられたら……約束、いつか叶えて頂けないでしょうか。楽しみにしておりますので、宜しくお願いします」
つい口走ってしまった。今言うことではなかっただろうに。
『約束……?』
空色はなんのことかわかっていなかった。
それもそうだ。なにもこんな時に言うことではなかった。
いつか、どこかのライブハウスへライブを見に行くという社交辞令な約束――彼女が覚えているわけがない。
『お忘れでしたら結構です。ゆっくりお休みください。それでは失礼致します』
逃げるように電話を切った。情けないな。好きとも言えずにやっていることも中途半端。欲どおしい思いを自分の中で膨らませすぎた。俺もこの思いを少しずつ昇華していかないと。
ため息を吐いて暗くなったスマートフォンの画面を見つめていると、メッセージアプリのお知らせ着信があった。空色からだったので、急いでメッセージを見た。
色々お世話になりました、ありがとうございました――そんなありきたりな言葉が並んでいるだけだと思っていた。だから油断していた。
――約束は覚えています、いつかまたどこかのライブハウスへ一緒に行きましょうね。
ドクン、と自らの胸の高鳴りを聞き、焦ってスマートフォンを落としそうになった。指が震える。彼女と約束を……叶うかどうかは別として、それでもまだ繋がっていられると思うだけで嬉しくなった。
この恋が決して実ることは無い。わかっていても僅かな約束や触れ合いにその先を期待してまう。0.0001パーセントでも望みがあるのかと想像してしまう。
彼女にすれば他愛もないメッセージ。俺にしつこく誘われて、本当は迷惑しているのかもしれない。それでも俺に気を遣って、約束を覚えていると――
顔が緩むやん。
たった三十文字足らずのメッセージで、俺はこんなに幸せになれるのか。
絶対に消したりしないよう、何度も確認してメッセージを保護した。メッセージを保護するなんて初めてだった。
消したくない。彼女との約束をこの画面内にいつまでも残しておきたい。
約束が果たされる可能性は、限りなくゼロに近い。今後もう会えないかもしれないけれど、それでも、すごく、すごく嬉しい。
ただ、純粋な気持ちが溢れてくる。本当なら醜い感情のはずなのに、清らかで美しく輝いている。まるで宝物のような大切なもの。
音が流れるように脳内に浮かんでくる。こんな時はピアノを弾こう。様々に交錯する想いを調べに乗せてしまおう。
どんなに苦しくても、今がどんなに地獄でも、必ず這い上がれる時が来ると彼女に伝えたい。
俺は六年もかかった。その這い上げれるきっかけをくれたのは、まぎれもなく空色。
彼女からの手紙に救われ、会えば存在に救われる。彼女とのたったひとつの小さな約束があれば、俺はこれを楽しみに生きていける。たとえ果たされなくても、『いつか』を夢見ることができるから。
この感情をなんと呼べばいいのだろうか。
恐らくこれが『愛』と名の付くフレーズのものなのだろう。彼女を慈しみ、尊び、心の底から甘やかせて抱きしめたいと思うこの感情は、俺の中で熱くたぎり、決して終わりを見せない。
誰にも秘密の恋は、切なさだけでなく彼女を大切にしたいという願いも育ててくれた。
この俺が、こんなにも人を好きになれる日がくるとは。
空想の世界なら、歌なら、俺の舞台なら誰にも邪魔されずに愛を囁ける。
そんな夢を自らの物語に色を付け、調べに乗せて歌った。