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『思い出だけが色ついてる世界』
世界は、灰色でできている。完全な白でも黒でもない、薄くて頼りない色。
初めてそれに違和感を覚えたのは、
小さいころだった。
母の手を引いて歩いていた帰り道、
歩道の端に落ちていた小さな水たまりだけが、
ありえないほど青く光って見えた。
「ねえ、ここ、色がある」
そう言った私に、
母は少し困った顔をして笑った。
「疲れてるのよ」
そのとき母の声は、もう思い出せない。
顔も、匂いも、全部曖昧だ。
でもあの水たまりの色だけは、
今も胸の奥で揺れている。
だから私は知っている。
色は、思い出の中にだけ残るのだと。
通学路には、ところどころ色が落ちている。
校門の前には、かすれた赤。
階段の踊り場には、薄い緑。
どれも、長くは持たない。
立ち止まって眺めていると、
色はゆっくりと灰色に溶けていく。
まるで、
「思い出しすぎないで」
と言われているみたいだった。
教室に入ると、
今日も窓際の席が淡い黄色を帯びている。
誰が座っていたのか、分からない。
いつからそこが
色づいているのかも覚えていない。
ただ、その席を見ると、
胸の奥がきゅっと締めつけられる。
悲しいわけじゃない。
嬉しいとも違う。
大切だった、という感覚だけが残っている。
昼休み、私はひとりで屋上に行く。
風は音もなく吹き、
空はいつも通り、色を持たない。
でもフェンスの端に触れた瞬間、
指先にぬるい夏の感触が走った。
見下ろすと、そこだけ空が少しだけ青い。
思い出す。
誰かが笑っていた。
「高いところ、怖い?」
って言われた気がする。
私は首を振った。
たぶん。
でも、その先がどうしても思い出せない。
青は、すぐに薄れていった。世界は優しい。
思い出を、全部は奪わない。
名前も、言葉も、時間も消えるけれど、
色だけは、最後まで残してくれる。
だから私は、色を追いかけない。
無理に思い出そうとしない。
そうしないと、
この世界に残っている、
わずかな色まで失くしてしまいそうだから。
放課後、教室を出る前に、
もう一度、窓際の席を見る。
今日の黄色は、昨日より少し薄い。
それでも私は、
静かに
「さよなら」
を言った。
誰に向けた言葉かは分からない。
でも、その瞬間だけ、
胸の奥で柔らかい光が灯った。
それで、十分だと思った。
コメント
2件
最初、題名を見た時どういう意味やろって思ったんだけど、、呼んですぐ理解した… ほんとネーミングセンス天才すぎね🫵🏻💖