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【異世界・王都外縁/オルタ・スパイアへの丘道】
丘を登る風が、草の先を白く倒していた。
王都の外縁から少し離れた丘陵地帯。
その先に――一本の細い塔が、空を刺すように立っている。
《オルタ・スパイア》
まだ新しい石材の白さと、空間そのものを歪めるような薄い揺らぎ。
遠目にも、それがただの観測塔じゃないことがわかった。
アデルは、丘道の上からその塔を見下ろし、低く息を吐く。
「……あれが、薄点の中心か」
左腕の腕輪が、微かに痛むように脈を打った。
隣で、リオが右手首を押さえる。
「ユナのベクトルも、あの方向を指してる……んだよな」
「そのはずだ。ノノの計算が正しければな」
風が一瞬、止まった。
代わりに、耳元のイヤーカフが震える。
『――アデル、リオ! 聞こえる!?』
ノノの声。いつもより、ほんの少しだけ荒い。
「聞こえている。どうした!」
アデルが答えると同時に、ノノは早口で続けた。
『さっき現実側で、大きなベクトルの“抜け”があった!
コアの一つ――ID-05、名前が消されてたやつ。
あれが、完全に“向こう側”に持っていかれた』
リオの喉が、ごくりと鳴る。
「……ハレルの側から、奪われたってことか」
『うん。境界地図のベクトルが、一本だけ“特異点”として跳ねた。
行き先は――現実世界の《オルタリンクタワー》のデータ層。
で、その波がこっち側にも来てる』
ノノの指が、コンソールの上で連打される音が伝わってくるようだった。
『オルタ・スパイア周辺の薄点濃度が、一段階跳ね上がった。
今まで“候補”だった座標が――
ほぼ確実に、“次の再会ポイント候補”になった』
アデルはちらりとスパイアを見やり、短く言う。
「つまり、こちらの仕事は三つだな」
『三つ?』
「一つ、塔の周辺にどれだけ侵食が出ているかを確かめる。
二つ、その侵食を“座標ごと押し戻せる”か試す。
三つ――ここを、将来の“橋頭堡”として使えるかどうかを見る」
『……うん。まとめるとそう。
向こうは向こうで、器の集積施設にコアを運ぼうとしてる。
こっちは、この塔を“受け皿”にできるかどうか、早めに確認しなきゃいけない』
リオは唇を引き結んだ。
「……ID-05を持っていかれたのは、最悪だ。
でも、まだ四つ残ってる。
そのうち三つは、現実側の器に“帰せる”見込みがある」
『そのための場所合わせだよ。
“器のある施設”と、《オルタリンクタワー》と、《オルタ・スパイア》。
この三つを、いちばんマシな形で重ねなきゃいけない』
アデルが視線だけリオに向ける。
「怖いか」
「……怖いよ」
リオは正直に言った。
「三人を戻そうとして、全員失敗する未来なんて……見たくない。
でも、何もしなければ――全部、あいつらに好きにされる」
『だから、テストするんだよ』
ノノの声が、少しだけ柔らかくなる。
『小さな侵食から、“座標ごと押し戻す”実験。
大規模な再会イベントの前に、ここで一回、試運転』
「了解した」
アデルはそう言って、丘道を下り始めた。
スパイアは、丘を一つ挟んだ向こう側。
頂が、夕空の色を少しだけ歪めている。
#一次創作
眠狂四郎
590
麗太
593
Cafe Latteベース隊長
48
リオが、その背中を追おうと一歩踏み出した――その瞬間。
足元の土の感触が、変わった。
「……アデル、待て」
リオが声をかける。
さっきまで土と草だったはずの斜面に、
コンクリートみたいな灰色の板が、薄く混ざり込んでいる。
「材質の継ぎ目……か」
アデルも立ち止まる。
土、石、割れたタイル。
異なる質感が、パッチワークみたいに継ぎ接ぎされていた。
ざり……。
風の方向とは関係なく、草が逆向きに揺れる。
塔の影が、地面の形と少しだけズレた。
『来るよ』
イヤーカフ越しに、ノノの声が低くなる。
『小さいやつ。
でも、“あっちの素材”が混ざってる』
次の瞬間、斜面の一点が盛り上がった。
土の下から、鉄筋と石がごちゃまぜに飛び出す。
それが四本の脚の形になり、
コンクリートと岩塊と錆びた金属片でできた“何か”が、丘道の上に立ち上がった。
獣の輪郭。
だが、目の位置にあるのは割れた信号灯のレンズ、
背中には、どこかで見たことのある舗装路の白線が貼りついている。
「……境界現象の固まり、か」
アデルが剣を抜く。
左腕輪が、わずかに熱を増した。
『座標、取るね!』
ノノの指が走る音。
足元の地面に、淡い魔術のグリッドが薄く浮かぶ。
「まずは、止める」
アデルが滑るように前へ出た。
コンクリート獣が、こちらに気づいたのか、
ぎぎ、と金属を擦るような音を立てて突進してくる。
リオは、一歩だけ前に出て右手を払った。
「〈捕縛・第三級〉――絡め取れ!」
光の縄が、空中に走る。
獣の足元を狙って、幾重にも絡みついた。
ガシッ。
前足が、地面に縫い付けられる。
獣の身体がぐらりと前のめりになった。
「よし、今だ」
アデルが低く呟く。
「〈封縛・座標杭〉――三点!」
アデルの剣先から白い光が走り、
獣の周囲の地面に、三本の杭が打ち込まれた。
カン、カン、カン。
三角形を描くように配置された杭から、白い輪がじわりと広がる。
その内側だけ、空気の揺れ方が変わった。
『座標固定、入った!
その三角の中は、“こっち側のルール”が強くなる!』
「なら――」
リオは、脇腹の鈍い痛みを無視して、もう一度右手を上げた。
腕輪が、青白い光を放つ。
「〈閃撃・第二級〉――貫け!」
空気の中に、細い光の線が一本走った。
音もなく、真っ直ぐ。
線は、杭で囲まれた三角形の内部だけ、異様に濃くなる。
コンクリート獣の胸――舗装路の白線がねじれている部分を、正確に貫いた。
ギギギ……ッ。
獣の動きが、一瞬止まる。
割れたレンズの奥で、別の風景がちらりと映った。
灰色の廊下。
蛍光灯。
ベッドの列――。
(……現実側の、どこかだ)
リオが、喉の奥で息を呑む。
その一瞬の“繋がり”を、アデルが逃さない。
「〈封縫・戻り線〉――押し出す!」
杭から伸びた白い線が、獣を通って、空の一点へと収束する。
音もなく、そこだけ色相が反転したみたいに暗くなった。
コンクリート獣の身体が、崩れるのではなく、
“ほどけるように”ほどけていく。
土、石、鉄筋、塗装。
それぞれが元の材質単位に分かれ、そのまま風に溶けて消えた。
残ったのは、杭の光と、斜面の土だけ。
『……成功。
対象、完全消失。
残留座標ノイズ、許容範囲内』
ノノの声が、ほんの少しだけ明るくなる。
『今のコンボ、記録した。
境界現象を“殺す”んじゃなくて、“元の場所に押し戻す”形になってる』
リオは、右手を下ろしながら肩で息をした。
「……前に教わった攻撃式、やっとそれなりに形になってきたな」
アデルがちらりと彼を見て、口角をわずかに上げる。
「捕縛だけでは、敵を追い返せない。
だが、座標杭の中でなら――お前の閃撃が、“道”を作る」
リオは、塔の方角を見た。
さっき一瞬見えた灰色の廊下のイメージが、まだ頭の隅に残っている。
「今の向こう側が、“器のある場所”かもしれないのか」
『断定はできないけど、近い。
少なくとも、同じ座標系の“隣の部屋”くらい』
ノノの声が、いつもの分析モードに戻る。
『さっきの一撃でわかった。
オルタ・スパイアは、現実側の何かと“ペア”にされ始めてる。
この塔をちゃんと押さえられれば――
向こうの器の部屋と、こっちの塔前を、安全な形で“つなぐ”チャンスができる』
アデルは、スパイアを見上げた。
塔の周囲には、さっきより濃い靄がうっすらと絡みついている。
だが、さっきの侵食体ほど露骨ではない。
「小規模侵食のテストは、ひとまず合格だな」
「……あとは、本番で失敗しないかどうかだ」
リオの声に、アデルが短く頷く。
「三人分のコアを、先に器へ帰す。
その舞台として、この塔と向こう側の施設を使う。
そして――ユナとID-05は、絶対にあいつらに渡さない」
『うん。そのために、座標合わせのシミュレーションを詰める。
現実側には、セラ経由で条件を送る。
こっちはこっちで、塔の制御権をぎりぎりまでこじ開ける』
ノノの声が、少しだけ強くなった。
『次の大きな“再会”は――
うちらが決めたタイミングで、うちらのルールでやる』
リオは、右手首の腕輪を握る。
(ユナ。
今度こそ、こっちから“迎えに行く”)
丘の上の風が、また動き始めた。
オルタ・スパイアの細い影が、少しだけ長く伸びる。
侵入してくる影と、押し返そうとする光。
その両方が、塔の根元で静かにせめぎ合い始めていた。