テラーノベル
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【現実世界・湾岸エリア/旧街路】
路面のひびには、まだ黒い焦げ跡が残っていた。
さっきまで“裂け目”があった場所だ。
軽バンは、そこから一本離れた通りに移動していた。
街灯の明かりだけが差し込む車内。
エンジン音は静かだが、空気は重かった。
後部座席。
ガラクタに紛れるように置かれた黒いケースの中で、四つの光が弱く脈打っている。
「……一つ、持っていかれた」
サキが、膝を抱えたまま呟いた。
声はかすれている。
「止められたと思ったのに……。
あの人、速すぎ……」
ハレルは助手席で、指先を組んだまま俯いていた。
胸元のネックレスは、まだ微かに熱を残している。
「偶然じゃなかった」
ハレルは、低い声で言った。
「名札を消されたコアだけ、最初から狙ってた。
――あれが、カシウスにとって一番“欲しい”やつなんだと思う」
「でも、誰のコアかも分かんないんだよ?」
サキが、唇を噛む。
「あたしたち、あの中の人のこと、何も……」
「だから余計に、だ」
ハレルは窓の外に視線をやった。
湾岸の暗闇の先、灯りの多い都心の空が、ぼんやりオレンジ色に滲んでいる。
「名前を消されて、“何にでも使える部品”みたいにされてた。
レアは、それを真っ先に持ってった。
……多分、あれを土台に、何かを作るつもりだ」
木崎がハンドルを握ったまま、短く舌打ちした。
「最悪の用途しか思いつかねぇな。
“人格のない器”ってのは、弄り放題だ」
しばらく、三人とも黙った。
ワイパーがフロントガラスを一度だけ撫でる。
小雨がまた降り始めていた。
やがて、木崎がぼそりと言う。
「引き返すって選択肢も、ゼロじゃない」
「……でも」
ハレルは、ゆっくり首を振った。
「ここで止まったら、残りの四つも、きっと全部奪われる。
それに――あの病院に寝てる人たちは、待ってくれない」
サキが、ケースの方をちらりと見る。
青、琥珀、桃色、薄緑。
四つの光は弱々しいが、同じ方角――都心の方を向いて揺れていた。
「……行こ」
サキが小さく言った。
「怖いけど、ここでウジウジしてるよりマシ。
どうせ、どっちにしろ怖いなら」
木崎は、前を向いたまま小さく笑った。
「決まりだな。
“戦う場所”は、こっちで選ぶ」
言いながら、自分で言った言葉に、ふと引っかかる。
昔、よく聞かされた台詞だ。
――戦場を選べ。
――相手に決めさせたら、負ける。
木崎は、その声の主を思い出す前に、アクセルを踏み込んだ。
軽バンは、湾岸を離れ、オルタリンクタワーの立つ都心へと滑り込んでいった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・都心/オルタリンクタワー周辺】
ガラスの塔は、夜の街に縫い付けられた一本の針のように立っていた。
無数の窓が白く光り、その足元には、まだ残業中のオフィス街の明かりが広がっている。
軽バンは、タワーから少し離れた立体駐車場の一角に停まっていた。
上階から見下ろせば、塔の全体が、ちょうど視界に収まる位置だ。
「ここなら、すぐには見つからないはずだ」
木崎がエンジンを切り、周囲を一周見回す。
駐車階には、他に二台ほど車が停まっているだけで、人の気配はない。
後部ドアを開けると、コンクリートの冷気が流れ込んできた。
ハレルは黒いケースをそっと持ち上げ、バンの床に置く。
ロックを外し、蓋を開ける。
四つのカプセルが、夜の光を受けて淡く光った。
「……さっきより、強くなってる」
サキが、小さく息を呑む。
青、琥珀、桃色、薄緑――
それぞれの光が、どれも、塔の方角に向かって“引かれる”ように揺れている。
「塔の中に、“穴”があるんだ」
ハレルは、胸元のネックレスを握った。
脈打つ熱が、塔とコアの間に引かれた見えない線を、はっきりと感じさせる。
「ここから、病院までのどこかで“座標”が重なる。
……ノノが言ってた、三つ目のポイントが」
「病院側が“器”、塔側が“コアの通り道”……だとすると」
木崎が腕を組む。
「どっちも押さえに行かなきゃならねぇ。
戦場を分けるか、同時に叩くか」
その時だった。
――ビリッ。
ハレルのスマホが、勝手に振動した。
画面が、一瞬だけ砂嵐のように乱れる。
「……ノイズ?」
サキが覗き込む。
画面の中央に、見慣れないアイコンが浮かんだ。
【CASE-K/Relay】
その下で、何かの接続バーが、じりじりと埋まっていく。
「セラ……?」
ハレルが小さく呼ぶと、スピーカーから、かすかな砂の擦れるような音がした。
《……聞こえる? ハレルくん》
少女の声。
以前より、少しだけはっきりしている。
「セラ!」
サキが身を乗り出した。
「よかった、生きて……いや、生きてるっていうのか分かんないけど!」
《“生きてるか”は、後にして》
どこか苦笑しているような声音。
《今、境界が少しだけ安定してる。
現実の塔と、あっちの塔――“オルタ・スパイア”が、ちょうど同じ高さで重なってる》
「リオたちが、スパイアにいるからか」
ハレルが呟くと、すぐ別の声が割り込んできた。
《――もしもし、聞こえる?
ノノ=シュタイン。王国警備局・解析担当》
少し早口で、息の混じる声だった。
「は、初めまして……雲賀ハレルです」
反射的に名乗ると、スマホの向こうで小さく息を呑む音がした。
《本当に……繋がったんだ。
“鍵持ち”同士の回線……!》
《ノノ、興奮は後だ》
今度は、落ち着いた女性の声。
アデルだ。
《通信猶予は長くない。
要点だけ伝える》
セラが間に入るように言った。
《ここは“橋”だから。
私が繋いでいられるのは、数分くらい。
――今のうちに、“戦場”を決めて》
「戦場……?」
《三つの座標》
ノノが素早く言葉を重ねる。
《一つ目は、こっちの“オルタ・スパイア”。
二つ目は、そっちの“オルタリンクタワー”のコア集積層。
三つ目が――そっちの“器”が置かれてる病院》
木崎が、ハレルと目を合わせた。
ハレルは小さく頷く。
「……聖環(せいかん)医療研究センター・第七特別病棟。
原因不明の昏睡患者が三人、保管されてる」
ノノの声が続く。
《観測地図上では、その病院の上に“意識ベクトル”が三本突き刺さってる。
あと一本は、君たちのケースの中――
そしてもう一本が、さっきレアに持っていかれたやつ》
ハレルは、透明だったカプセルを思い出す。
胸の奥が、また鈍く痛んだ。
「それ……こっちも見た。
名前を消されてたコアだ」
《うん。あれはもう、“敵のコマ”として見なきゃいけない》
ノノの声が、少しだけ低くなる。
《だから、今ここで考えるのは――残り四つの扱い》
アデルが言葉を引き継いだ。
《お前たちは、コアを持って病院へ向かえ。
私たちはスパイアを押さえる。
その上で、セラとノノが塔同士を“接続”した瞬間――》
《三点同期》
ノノが簡潔にまとめる。
《スパイア、タワー、病棟。
その三つを、境界地図の上で一瞬だけ“同じ部屋”として扱う。
そうすれば、コアと器を――少なくとも三人分は、“自分の体”に戻せる可能性が高い》
「……三人分?」
《ユナは特例だ》
アデルの声が、ほんの少しだけ柔らいだ。
《彼女の“器”は、こちら側にある。
まずは、現実に眠らされている三人を戻す。
その上で、ユナとお前たちの“再会”は、次の段階で考える》
サキが、ケースの中の青い光――ユナのコアを見つめた。
「じゃあ、ユナは……」
《置いていくわけじゃない》
リオの声が入る。
少しざらついた、けれど真っ直ぐな声。
《ユナは、境界そのものに引っかかってる。
一度に全部やろうとしたら、誰も戻れなくなる。
だから――順番を決めるんだ》
「……戦場の形を、こっちで決めるってことか」
ハレルは、指先に力を込めた。
「病院を“戦場”にするのは、本当は嫌だ。
でも、あそこから目を逸らしたら、多分全部奪われる。
だったら――」
《だったら、その戦場で勝つしかない》
アデルの声が、はっきりと言った。
《こちらは、スパイアを守り切る。
お前たちは、病棟で“器”を守れ》
《タワーの中身は、多分ボクらの方が詳しい》
ノノが続ける。
《ここから逆算して、いつ、どのタイミングで三点同期を仕掛けるかは、私が計算する。
その時間に合わせて――》
「こっちは病棟に潜り込む」
木崎が、スマホに向かって言った。
「元刑事の特権ってやつだ。
警備と搬送ルートの癖は、だいたい想像がつく」
《……あなたが、木崎透か》
アデルの声が、わずかに変わる。
《ハレルの“背中”なら、信じる》
短く、だが重い承認。
木崎は思わず苦笑した。
「そっちの隊長さんにそう言われると、プレッシャーが違うな」
《プレッシャーは、半分こだ》
リオが言う。
《……ハレル。
どこが戦場でもいい。
お前が“鍵”を持って来るなら、俺はそこで守る》
胸の奥の熱と、腕輪の熱が、微かに共鳴した気がした。
「……うん」
ハレルは、スマホを握りしめる。
「必ず行く。
必ず、全部取り戻す。
――だから、お互い死ぬなよ」
《死なない》
アデルとリオの声が、ほぼ同時に返ってきた。
その瞬間――スマホの画面が、急に激しくノイズを噛んだ。
《……だめ、境界が――》
セラの声が遠のく。
【SYNC ERROR】
赤い文字が一瞬だけ浮かび、画面は通常のホーム画面に戻った。
「……切れた」
サキが、小さく息を吐く。
静かな駐車場。
オルタリンクタワーは、相変わらず冷たく輝いている。
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