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「なあ、○○。」
酷く沈んだ声がするりと耳の中に入り込んで来る。
ホテルと呼ばれた建物から見える空は、もう太陽が天頂を通過したあとなのか、澄んだ青色からほんのりとした淡いオレンジ色にグラデージョンのように染まっていた。頬に僅かに感じる冬の冷気に身震いをしながらいざなの腕の中に自身の体を押し込む。
「○○が世界で1番好きな奴は誰だ?」
いざなは、ギュッとあたしを閉じ込めるように抱きしめる腕の力を強めながら、不安にせき立てられるように問う。目に見えない心理的な重圧に耐えているような息苦しい瞳にジッと見つめられ、無意識に口が開く。
─…答えなんて考えるよりも先に決まっている。
『いざな!』
固く力を込められたいざなの腕の間からなんとか自身の顔を出し、素直な笑みを添えながらそう言葉を下に弾ませる。
『あたし、いざないがいすきじゃないもん』
そう言葉を紡ぎながら微笑が口角に浮かぶのを感じる。
だいすき、あいしてる、と何度も繰り返し囁いていると、不安がくっついていたいざなの表情に段々と微笑が滲んできた。光の伏せた紫の瞳に正気が戻っていく。
「オレも愛してる。」
その言葉と同時に額にかかっていた髪を軽く払われ、いざなの唇がそっと触れる。
それをキスだと理解した瞬間、頬が太陽に照らされたように火照り、ドクドクと胸が大きく弾み出した。心を直接指でなぞられているようなくすぐったさを感じる。
照れ隠しのように目を伏せて少し歪な笑みを作るあたしをいざなは一度だけ手の甲で優しく撫でると、あたしを抱きしめていた腕を解き、いつもよりずっと真剣な物言いで言葉を続けた。
「今日、夜から“大事な用事”があるんだ。」
「危ないから連れて行ってはやれねェけど夜遅くまでかかるから先寝とけ。」
「あとオレかオレの仲間がここに来るまで絶対にこの部屋から出るな。絶対に。」
外に出るなを強調させながら真面目な目であたしを見つめるいざなに、莫大な寂しさを抱きながらコクンと小さく頷く。
夜遅くということはいざなはしばらく帰ってこないだろう。
もしかしたら朝までかかるかもしれない。
ここで“行かないで”と言えたらどれだけ楽だろうか。
だけどもしもその言葉を口にしても、いざなを困らせてしまう未来が容易に想像できる。
『…わかった、おるすばんする。』
出来るだけ何でもないような口調で言葉を紡ぎたかったが、隠しきれなかった寂しさが掠れた声に滲む。骨に食い込むような寂寞感が身体を蝕んでいく。
「出来るだけすぐ帰って来るから。な?」
あたしが返した言葉に染み込んでいる寂しさの籠った声色に、困ったように命じ理を下げ、いざなは“おいで”とでも言うかのようにあたしに向って両腕を広げた。あたしだけに見せるあの優しい視線が体を甘く貫く。
そのまま恐る恐るいざなの腕に体を近づかせ、そこで少しだけ躊躇った。
だってもしもここで甘やかされたらいざなが居なくなったあと、絶対に大泣きしてしまう。それ以前に、いざなと離れたくなくなってしまう。
「…来ねぇの。」
どうしようかと困っていると、一向に抱き着きに行く気配のないあたしに不満を抱いたのか、いざなは不機嫌そうに眉間の間に皺を寄せると不愛想な声で一つ言葉を落とした。だがそんな風に不機嫌に取り繕われたその表情の上には、僅かにだが黒い不安が塗りたくられているような気がして、、良心が痛み、その表情に引かれるままいざなの腕の中に勢いよく飛び込む。
そのままギュッと彼の首に自身の腕を絡め、肩に顔を乗せる。
「ン、いい子」
ぽん、と褐色の手があたしの頭を撫で、控えめな甘い声が鼓膜に触れた。
瞼に涙を滲ませて俯く。
『いざなといっしょにねるもん。』
「うん」
『かえってきたらえほんよんでもらうもん。』
「うん」
『いっぱいだっこしてね』
「うん」
そんな甘い声に我慢していた感情の糸が少しずつ断裂していき、やがてプツリと細い音をたてながら完全に切れてしまう。突風のように込み上げてきた嗚咽と涙を、危うくのところで堪える。
『すぐかえってきてね。』
「………頑張る」
多分遅くなってしまうのだろうな、とワンテンポ遅れたいざなの返事にそう察す。
だけど決して言葉にはしない。これ以上好きな人を困らせたくはないから。
『…っふ、ぃ…』
だけどそんな思いとは反対に涙だけがずっと止まらず、涙に洗わされたようにぼやける視界をゴシゴシと擦る。だけど何度擦っても涙は下睫毛にくっついており、両目から涙がはらはらと流れ続ける。
そんなあたしに呆れたような、それでもいてどこか嬉しそうな色を塗ったいざなの声が耳に入る。
「…泣くなよ、行きにくくなンだろ。」
泣きすぎて低く掠れたあたしの嗚咽を聞きながら、いざなはやれやれという風な軽い笑みを落とした。グッとあたしを抱きしめるいざなの腕に力が入る。
「なあ」
そう何か問いかけるような声色が耳に入った瞬間、グイッと身体が上に上がるような浮遊感が体を包み込み、足が地面から離れた。
いざなに抱き上げられ、視界がグンと変わる。
「○○は外に出たらどっか行きてェ場所とかあるか?」
紫の目に覗き込まれながら、そう問われる。
行きたい場所、と脳内で問われた言葉を繰り返し、思考を巡らせる。
『んー……いざなといれた らどこでもいい』
“外”と言われてもすぐに思い浮かぶような思い入れのある場所やものは無いし、何があるのかも分からない。それにいざなの傍に居られないのは嫌だし。
そう素直な気持ちを声に出しながらあたしを抱き上げるいざなを、まだ少し涙の残った瞳で見つめる。
そんなあたしの目に映るいざなは、一瞬驚いたような表情を顔全体に浮かべるとすぐに嬉しそうに目を細めて、口に軽いキスを落とした。
「じゃあ一緒に海行くか。」
『うみ!』
人魚姫の絵本に出てきた海という単語に意識を引っ張られ、思わず口角が上がる。
涙も嗚咽も気づけばもう完全に止まっており、海辺の砂のようにサラサラと乾いた涙が、目の下と頬に少しの異物感を作りながら張り付く。
『いざなだいすき』
「オレも好き」
誘惑という名の毒が胸に滲み込む。耳が落ちるくらい甘い言葉に心が弾む。
『えいえんにふたりきりでいようね。』
続きます→ ♡1000
次回❕❕(多分)最終回❕❕