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「荒井律さん、おめでたですよ。妊娠反応が出ています。吐き気等もそのせいですね。詳しい検査は産科でしましょう。ご主人と一緒に、二階へ行ってください。産科は中央の階段を上って、まっすぐ行って左です。エレベーターは動いておりませんので、階段でお願いします」
あれから病院へ到着して受付を済ませ、一階の救急入り口すぐ横の診察室で、簡単な検査を行った。尿検査の結果、妊娠反応が出ていると内科の当直医師に言われた。
妊娠も驚きだけれど、それより大問題がひとつ。
何と、新藤さんが私の旦那に間違えられてしまったのだ。
すみません、これ以上迷惑をかけれないので帰って下さい、と謝罪したけれど、緊急事態なので別に構いません、最後まで傍にいます、と鋭い目線を湛えたまま言われた。
それにしても、私が妊娠…か。全然実感が無いなぁ。
最近セックスが辛いから、光貴に体調が悪いという理由で断ったりなだめすかしたりして回数を減らす努力をしていたから、驚きだ。
でも、嬉しいな。私たちに家族ができるんだ――
ただ、思った以上に体調が悪い。しかし新藤さんにこれ以上頼るわけにもいかず、ひとりで行きます、と伝えたが、全く聞き入れてもらえず、新藤さんに連れられて二階の産科に向かった。
夜間なので混雑は無く、男性の担当医が当直のようで、診察室に電気を点けて私を待っていた。
「先ほどお伝えしておりました、荒井律です。よろしくお願いします」
「では、下は全て脱いで頂いて添え付けのタオルを巻いて診察台に上がって下さい。ご主人はそこでお待ちください」
目の前の四十代くらいの顔も四角で四角の黒ぶち眼鏡の医師の先生が放った言葉が、一瞬で理解できなかった。
この四角い先生は、なにを言っているの――
今から惜しげもなく、女性の一番大事な所をこの先生の前で曝け出さなきゃいけないなんて。
嫌だぁぁぁぁぁ。
泣きそうな顔をしていると、さあ、頑張ってください、と新藤さんが声をかけてくれた。ここにいますから、と、傍の簡易椅子に座って待っている。
こんな姿を新藤さんに見られたくないし、申しわけない気持ちとか、色々相まってぐちゃぐちゃになって、最悪な気分だ。
なんで光貴は今日ライブなの!?
間が悪い旦那を恨みたくなった。
諸々診察を受け、相当恥ずかしい思いをした。
赤ちゃんは順調で七週目という判定をもらった。夜間で助産師が不在のため、明日また来るように言われた。
そしてなぜかエコー写真を片手に、私は新藤さんと歩いている。どうしてこうなった…。
「ご自宅まで送りますね」
「あ、いえ。もうこんなにしていただいて…本当にすみません。近いので歩いて帰ります」
「いけません。また倒れたりしたらどうするのですか? 心配なので送らせてください」
新藤さんはどうして私に親切にしてくれるのだろう。
家を建てる顧客という関係以上に思えるけれど、独身の彼が私を気にかけてくれる意味がわからない。誰にでもこんな風に親切なのかな?
新藤さんが私に優しいのは、大栄建設の大切な顧客だから――当たり前のことを考えて、何故か悲しくなってしまった。
あれ、おかしいな。どうしてこんな気持ちになるの?
結局新藤さんに車を回してもらい、徒歩数分の距離を送ってもらった。
「身体、お大事になさって下さいね。くれぐれも無理はしないように。今夜は光貴さんがいらっしゃらないでしょうから、もし律さんが困ったら、遠慮なく私を頼って下さい。それでは、お休みなさい」
光貴が打ち上げに行くことまで見越して、新藤さんは優しい笑顔を見せて気遣ってくれた上に、私がマンション内に入るまで見送ってくれた。
本当は私が見送りたかった。彼の車が見えなくなるまで手を振りたいと、私の方が思ってしまった。
車内で白斗の歌を聴きたいという欲もあったけれど、それ以上にもっと、新藤さんと一緒にいたいと思ってしまった。
彼と話をしていると、本当に楽しい。光貴とはできない音楽の話もできるし、白斗の話やRBの話も出来る。
博識やから音楽だけやなくて、色々な話に引き込まれてしまう――…
私は慌てて首を振った。
RBの代表曲に、『Desire』という曲がある。この歌詞は不倫の歌と噂されるほどに、歌詞の内容が男性視点の報われない恋を描いている。
『Desire』の歌ように、堕ちる側の女性になるわけにはいかない。
自室の玄関扉を開けた。誰もいない真っ暗な部屋が、どういう訳か今の心境に堪えた。
酷い淋しさが胸中を占めていた。光貴と寄り添いたい。傍にいて欲しい。
いつも傍にいるのに、光貴は肝心な時にタイミングを外す。プロポーズの時だってそう。
でも、光貴はそういう人だから、しかたないよね…。
考え事をしていると、酷い吐き気がして玄関で倒れそうになった。リビングの電気を点けようと手を伸ばしたけど、吐き気と眩暈に思わず屈んでしまった。
ああ、このまま倒れそう。
光貴――…