コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ピルルルル ピルルルル
スマートフォンが鳴っているけれど応答するのがしんどい。
電話、光貴だろうな。体調が悪くなったから早く帰るとしか、メッセージを送れていない。いろいろなことを伝えないといけないのに…。
ああ、それよりどうしよう。身体を動かすのが辛い。おなかも痛くなってきた。
こみあげてくるものがある。吐くならせめてお手洗いでしたい。こんな状況でリバースしたら、掃除が大変だ。
吐き気を堪えていたら、電話が鳴りやんだ。取れずに申し訳無いと思っていたら、数分も経たないうちに突然インターフォンが鳴った。
えっ。こんな夜遅くに来客?
まさか光貴が帰ってきたの?
まだライブ中のはずなのに…。だったら一体、誰?
返事ができずにいると、続いてドンドン、と少し乱暴にマンションの鉄扉を叩く音がした。
「律さん、律さん? いらっしゃいますか?」
声の主は新藤さんだった。
えっ。なんで新藤さんが?
『倒れていませんか? 大丈夫ですかっ!?』
彼の切羽詰まった声が、扉の外から聞こえた。ああ、私を心配してくれているんだ。
有難くて泣きそうになった。
『律さんっ』
ああ。早く新藤さんの声に応えなきゃ。あんなにいい人、私のせいで迷惑かけたくない。
壁に手をつきながら立ち上がり、玄関の施錠を解いて扉を開けた。
「律さん! ご無事でしたかっ! 電気も点かないし、連絡も取れないので、途中で倒れられたのかと…。良かったです」
新藤さんが心底安堵したような表情で、私を見つめた。
「ご心配をおかけしてすみませんでした。電気を点ける前に、眩暈がして動けなくなってしまったので…」
「いいえ。体調が悪い律さんをマンション前ではなく、最初から自室前まできちんと送り届けるべきでした。電気が点いたのを確認したら帰ろうと思っていたのですが、一向にご帰宅の気配がないので心配になり、電話しても出られなかったので駆けつけてしまいました」
ほっとしたのか力が抜けてしまい、バランスを崩して新藤さんの方に倒れ込んでしまった。
「す、すみません。ちょっと立ち眩みが…」
「大丈夫ですか? 許可して下さるなら、少しだけご自宅にお邪魔してもよろしいですか? もう少し顔色が良くなるまで、お傍にいます」
新藤さんに抱き留められたまま、彼の低くよく通る声を聞いた。
ドキドキする。すぐ傍に新藤さんの綺麗な顔があるのかと思ったら、鼓動が激しくなる。
だめ。これ、絶対だめなやつ。
さよならって手を振って見送ってもらって、まだ私の事気にかけて、更に切羽詰まった様子で走って来てくれたりしたら、嬉しいって思ってしまうよ新藤さん…。
彼に取って私は顧客。私の身体に何かあったら責任を取らされるから、親切にしてくれているだけ。住宅建設の話が頓挫してしまうと、大変な問題になるから。
でも、光貴にもここまで親切にされたことがないから、乙女ゲームみたいな展開で、ドキドキしてしまう。
男性用の爽やかなムスクの香りが鼻孔をくすぐり、更に心拍数が上がった。
新藤さんの愛用のものだと認識したから、余計に。
どうしよう。早く離れなきゃいけないのは、頭でわかっている。でも、離れたくない。どうしてだろう。どうして私、こんなに新藤さんに惹かれてしまうのだろう。
私の五感が、心が、魂が、彼を求めてやまないような、よくわからない不思議な感覚に陥る。初めて会った時から、私の中のなにかが訴えている――
「すみません、失礼致します」
新藤さんは私の肩を抱き、リビングのソファーまで運んでくれた。
ああ、今日は綺麗に片づけてないから、ソファー付近のテーブルの上が散らかっている。光貴が脱いだズボンがそのまま椅子に掛けてあるし!
あぁぁぁぁ、最悪。
「うっ」
再び吐き気がしたので慌てて手洗いに駆け込み、我慢していたものを放出した。その後も酷い胃のムカつきが残り、口の中が酸っぱくなってしまったので、洗面所で口をゆすいだ。
新藤さんに助けてもらって、本当によかった。今日は光貴の帰りが遅いから、玄関で大惨事になるところだった。
つわりというのは想像以上にしんどいものだった。吐いても一向に楽にならない。無理に手洗いから身体を引きずるようにして出ると、新藤さんが大丈夫ですか、と声を掛けてくれた。
この人を早く帰らせなければ。これ以上迷惑をかけれない。
「新藤さん、私、大丈夫ですから、もう帰って下さい。ご心配かけてしまって、病院まで付き添わせてしまって、本当に申し訳ありません」
「私は帰っても一人なので、なにも問題はありません。それよりも律さんのことが心配です。光貴さんがいらっしゃらないから、心細く不安でしょう」
新藤さんの優しさが胸に沁みていく。既婚者の私が、図々しく彼に惹かれてしまうのは、ただのファン心理だということはわかっている。新藤さんは、眼鏡にスーツ、とっても優しいのに時々ドSの漫画みたいなキャラだから。
帰って欲しいけれど、帰って欲しくない。一緒にいたいけれど、いたくない。何だかよくわからない心境になってしまい、頭が爆発しそうに痛くなった。更に吐き気が襲ってきたので、再び手洗いに駆け込んだ。胃液を吐き出して、トイレに伏せた。ああ、しんどい。
『ご気分はいかがですか?』
遠慮がちに扉の向こうから声をかけてくれた。
「はい。もう大丈夫です」
大急ぎで彼の前に姿を見せ、大丈夫とアピールした。つわりよりも、違う意味で大丈夫じゃない。迷惑にもなるし、早く帰ってもらわなきゃ。
「あまり大丈夫な顔色ではありませんよ。律さん、無理はいけません。寝室まで行きましょう。付き添います。早く横になった方がいいです」
寝室!?
わぁぁぁぁ。寝室は白斗のポスターがあるのよぉぉぉぉ――ー!!