確かその日は暑かった。
8月、夏の真っ只中、アイスを買いにコンビニへ向かう途中だったと思う。
いつもなら誰もいない公園に、貴方はいた。
真夏だというのに、長袖を着ていたのを今でも思い出す。それより印象的だったのは、美しく白い頬に涙が一筋流れていたことだった。
「熱中症になりますよ」
僕はそう声をかけた。人見知りの僕が知らない人に声をかけるなんて、自分でも不思議だった。
「、、暑くないから、大丈夫」
魅力的な低い声は、天使のような顔には似合わない。
「こんな所で何してるんですか」
「、、花が、枯れちゃったんだ」
「花、?」
「ずっと大切にしていた、、花が」
そう言った彼の表情が、少しだけ不気味で、だけどそれ以上に美しかったのを今でも覚えている。
その時は知らなかった。彼が___
「何してたんだよおせーな」
「すみません、寝坊です」
2つ上のジミン先輩に軽く肩を叩かれる。
「お前が来ないうちに僕、3人から声掛けられたんだけど?」
「モテるアピールだるいです」
「なっ、、遅刻してきたくせに〜」
春から大学生になり、ジミン先輩に声を掛けてもらってからは彼と共に行動している。
「あ、そういえば昨日お前の家にイヤフォン忘れたんだよ。今日取りに行っていい?」
「またですか?何回目ですかまったく、」
「先輩にそんな口の利き方するなんて、、お母さんそんな子に育てた覚えありませんっ」
「お母さんなのか先輩なのかはっきりしてくださいよ。てか育てられた覚えないですし」
いつもの小競り合いをしながら大学へ向かう。
「やべー課題やんなきゃ、」
「この前の子と上手くいったの?」
「彼氏に振られたぁー」
「講義終わったら飯食いにいこーぜ」
「あの子可愛くね?」
大学中に溢れる会話。人の声。僕はこの空間が好きだ。周りが騒がしいと、孤独を感じないから。
「じゃあ先輩、また後で」
「頑張れよー」
「どうして分からない。こんなにも熱心に教えてやってるのに」
「すみません」
「謝罪は求めてないんだよ。どうしてだと聞いているんだ」
「、、、」
「課題もどうせ適当にやってるんだろ」
あぁ、うるさい雑音だ。
僕が苦手な化学。課題も必死に取り組んで講義も真面目に聞いている。それなのに成績は良くならない。結果に繋がらない。化学の先生は少し、いや、かなり頭の固い人だった。だから成績の悪い生徒には容赦なく食ってかかるし人によっては暴言に近いことを言われたりする。
「真面目にやれよ」
「はい、(真面目にやってんだよ、)」
『大学はどう?』
「楽しいよ」
『そうじゃなくて。勉強はちゃんとしてるんでしょうね。悪いお友達は出来てない?』
「やめてよ母さん。大丈夫だから」
『それならいいけど、、ジョングクにはいい会社に勤めてもらわないといけないんだから』
「、、うん」
僕の母は自己中な人だ。僕のことを機械のように扱う。幼い頃から勉強を強いられ、習い事もたくさんやらされた。自由なんてなかった。だから大学に入学したのを境に一人暮らしを始めた。母は猛反対していたが父は許してくれた。それが原因で離婚することになったのだが。
「この後予定あるから、じゃあね」
『勉強!ちゃんとするのよ!』
「はいはい、じゃあね」
一人暮らしをしているからと言って完全な自由が手に入る訳では無い。
まるで広い檻に入っているようだった。誰も僕を救ってはくれない。いや、救えないんだ。
少し前までは視界がはっきりしていた。空もちゃんと青かったし、食べ物は味がした。今はどうだ。何もかもが無価値だ。空は灰色、何を食べても味はしない。話し声はただの雑音。こぼれ落ちていた涙はとっくに乾いてしまった。
こんな僕に、こんな人生に、なんの価値があるというのだろう。
全てやめてしまおうか。
「ジョングク」
「先輩、、」
「、、待ってたんだけど。どこ行ってたんだよ」
「ちょっと電話してて」
「放ったらかしにするなよ〜寂しいだろ」
「大人なんだから平気でしょう」
「冷たいっ」
「あったあったー」
「気をつけてくださいよ」
イヤフォンを見つけた先輩が当たり前のようにソファに座る。
「、、、お前さ、夢とかないの?」
「何ですか急に」
「質問に答えなさい、はい、答えて」
「夢、、」
僕の将来、、想像がつかない。というか、僕はそんなに生きていられるのか、?
「(何で死ぬみたいになってるんだ)」
「、、まぁ急に聞かれても困るよな。ちなみに俺は世界一周したい」
「、、そうですか」
「えっ反応薄っ悲しいんだけど。何かもっとこう、すごい!とかさ、無いわけ?」
「僕がそんなこと言うと思います?」
「思わない」
即答じゃないですか、と呟きながら先輩の隣に座る。
「ジョングク」
「はい?」
「お前、頼れよ?」
「何をですか」
先輩はらしくない真剣な顔を僕に向けていた。
「実は前から気付いてはいたんだよ。お前の元気がないこと」
「え、元気ですけど」
「お前はそう思ってるかもしれないけど、毎日一緒にいる俺からするとそういうのすぐ分かる」
先輩が僕の肩に手を置く。
「辛いことあるなら言えよ。できる限り力になってやる。だから無理だけはするな」
あぁ、先輩は気付いてたんだ。僕が気付く前から。
勝手に涙が溢れた。もう泣けないんだと思っていたのに。
「何だよ、ちゃんと泣けるじゃん」
「バカにしてるんですか、」
「違うよ。お前に感情があってちょっと安心しただけ。ほんとお前ひねくれてるよな笑」
先輩に抱き締められながら僕はただ泣いた。泣き続けて、疲れて、強い睡魔に襲われた。
こんなに眠くなったことが、今までにあっただろうか。
「、、ん、」
目を開けると空が暗くなっていた。先輩はいなくて、スマホに何件か通知が来ている。
『傍にいてやりたかったけどこれからバイト。ちゃんと飯食えよ』
『何かあったらいつでも言え』
『電話してきてもいい。無理するな』
「、、彼氏かよ」
僕はいつもそうだ。毒を吐きつつ本当は嬉しい。
「バイトいつ終わるんだっけ、、」
どっちにしろ夜までは連絡しない方がいいだろう。カーテンを閉めようとして手を止めた。
人が倒れている。
「え、大丈夫かな、、」
とりあえず様子を確認するために外に出ることにした。
「、、、先輩?」
倒れていたのは紛れもなくバイトに言ったはずのジミン先輩だった。
「先輩!どうしたんですか?!せんぱ、、」
体を起こそうと彼の腕を掴む。生暖かい感触。僕の手には血がべったりと付いていた。
「救急車っ、、救急車呼ばなきゃ、」
息をしていない。かなりまずい状況だろう。何があったのか全く分からない。パニックだった。
「残念ながら、、」
医師から告げられたのは先輩の死だった。
刃物のような物で腹部を何度も刺され、大量出血で死に至ったという。
「誰が、、こんなこと、」
先輩が死んだなんて信じられない。入学した時から僕を気にかけてくれた。いつも傍にいてくれた。先輩と過ごす時間が楽しかった。僕の異変にもいち早く気付いてくれた。そんな先輩が、大好きだったのに。
先輩を刺した犯人が許せない。でもそれ以上に自分が苦しかった。僕を支えてくれる人がやっと見つかったのに、その人はすぐにいなくなってしまった。僕を置いて。また独りだ。生きる希望なんてもう、見い出せなかった。
数ヶ月後
最近は暑くて体がだるい。大学は休学、バイトも辞めて、僕はただ生きているのか死んでいるのか分からない日々を過ごしていた。母からの電話は鳴り止まない。だからスマホの電源を切った。
「暑いな、、アイスでも買いに行こうかな、」
たまには外に出ないと、、本当に駄目な人間になってしまう。
「暑い、、死ぬ、」
近くのコンビニに向かって歩く。通り道にある目立たない公園にふと目をやると、人がいた。いつもの僕なら気にせずに通り過ぎるだろう。でも何故か、その人がどんな人で、何をしているのか気になって仕方がなかった。
「熱中症になりますよ」
……To be continued
コメント
1件
めちゃくちゃどタイプ!!最高ですな!?続き楽しみ❤︎