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築留ヶ関東工業大学附属高等学校。通称「築留(ちくどめ)工業」。工業高校という土地柄、校舎内は常に油の匂いと鉄を削る音が響き、男子生徒が九割を占める。そんな色気のない学び舎に、その日は朝から異様な熱気が立ち込めていた。
「おい怜也! 聞いたかよ、ウチのクラスに転校生が来るって。しかも、女子だぞ!」
悪友が鼻息荒く報告してくるのを、長島怜也は力なく笑って受け流した。
「……へぇ、そうなんだ。珍しいね」
怜也は、いわゆる「モテない人生」を歩んできた男だ。性格は自分でも自覚するほどお人好しで、困っている人がいれば放っておけない。しかし、その優しさが仇となるのが怜也の人生だった。
中学時代、勇気を振り絞って学校一の美女に告白した結果、全校生徒の前で鼻で笑われ、こっぴどくフラれた。それがトラウマとなり、今では女子と目が合うだけで心臓が縮み上がり、何を話せばいいのか分からなくなってしまう。
「怜也、ニヤニヤしてキモいぞ」
背後から鋭いツッコミと共に、肩を小突かれた。幼なじみの高知由奈だ。
ボーイッシュなショートヘアに、男子顔負けの鋭い視線。由奈は昔から「怖いものなし」を地で行く性格で、怜也にとっては女子というより、気の置けない悪友に近い存在だった。
だが、由奈の胸の内は違う。怜也の優しさを誰よりも知っている彼女は、中学時代に傷ついた彼をずっとそばで見てきた。そして、その恋心は、怜也本人が鈍感すぎるせいで、一度も彼に届いたことはない。
「ニヤニヤなんてしてないよ由奈。……ただ、女子が来るってなると、また教室が騒がしくなるなぁって」
「ふん。あんたはどうせ、端っこで縮こまってるんでしょ。……それでいいよ、あんたは」
由奈が少しだけ寂しそうに呟いたその時、教室の扉が勢いよく開いた。
担任に続いて入ってきたのは、築留工業の風景には全くそぐわない、鮮烈な「黄金色」だった。
「おっはよー! 今日からここの仲間入りすることになった、鶴森茜でーす! ってか、この学校マジで男子ばっかじゃーん! ちょー盛れるんだけどー! やばくなーい?」
眩いばかりの金髪に、絶妙に崩した制服。耳にはいくつものピアスが光り、指先には派手なネイル。絵に描いたような「超ギャル」の登場に、教室中が静まり返った後、地鳴りのような歓声が上がった。
茜は教壇から身を乗り出し、満面の笑みをクラス中に振りまく。
「あーしのこと、みんな『あーちゃん』って呼んでいいよ! 仲良くしてねー!」
その輝きに、怜也は思わず視線を机に落とした。
(ダメだ……。あんな眩しい人、僕みたいな人間には絶対に関係ない……。関わっちゃいけないんだ……)
しかし、運命の神様は怜也に休みをくれない。
「えーっと、鶴森。席は……長島の隣が空いてるな。長島、色々教えてやってくれ」
「えっ……!?」
怜也が顔を上げると、そこにはすでに茜が移動してきていた。彼女は怜也の机を「バン!」と叩き、至近距離で顔を覗き込んできた。
「えっ、君が長島くん? ちょー優しそうな顔してんじゃん! やばくなーい? あーし、そういう顔マジタイプなんだけど!」
「ひっ、あ、はい……よ、よろしくお願いします……」
怜也は心臓が口から飛び出しそうだった。中学時代のトラウマが蘇り、冷や汗が止まらない。そんな彼を、少し離れた席から由奈が苦々しい表情で見つめていた。
昼休み。
怜也はいつものように、由奈と二人で屋上近くの踊り場で弁当を食べていた。
「……あの転校生、絶対あんたみたいなタイプ、カモにするわよ」
由奈が不機嫌そうにパンをかじる。
「そんなことないよ。鶴森さんは、ただ元気なだけで……」
「元気すぎるのよ! あんなの、あんたの平穏を壊す嵐でしかないわ」
そこへ、再び嵐がやってきた。
「見ーつけたっ! 怜也きゅん、ここでランチとか、エモくなーい!?」
茜が、ビニール袋を提げて階段を駆け上がってきた。
「茜さん……え、怜也きゅん!?」
「いいじゃん、呼び方なんて盛ってナンボっしょ! それより怜也きゅん、あーし、お腹空きすぎて死ぬ! この学校の学食、激辛ラーメンあるってマジ!? ちょー食べたいんだけどー!」
茜は怜也の腕を強引に掴み、引きずり始めた。
「ちょ、鶴森さん! 僕はまだ弁当が……!」
「そんなの後で食べなよ! 一緒に行こ、ね! お願い!」
「……おい、金髪」
低く、冷たい声が響いた。由奈だ。彼女は怜也の反対側の腕を掴み、茜を睨みつけた。
「怜也は今、私と飯食ってんの。邪魔しないでくれる?」
一瞬、空気が凍りついた。工業高校の「番長」のような威圧感を放つ由奈に対し、茜は一歩も引かなかった。それどころか、茜の笑顔はさらに深まった。
「おっ、もしかして由奈ちゃん!? 君もちょー強そうでウケるんだけど! やばくなーい? 三人で激辛食べに行けば、マジで友情盛れるっしょ!」
「盛れるわけないでしょ……!」
結局、茜の底抜けの明るさに押し切られる形で、三人は学食のテーブルを囲むことになった。
茜の前には、見るからに真っ赤な、地獄のような色の「超激辛大盛りラーメン」が置かれた。怜也と由奈は、その見た目だけで顔を引きつらせる。
「いっただっきまーす! ……んんーっ! マジやばい、これちょー美味いんだけどー! 辛すぎて魂飛ぶわー!」
茜は汗をかきながら、本当に幸せそうに麺を啜り続ける。その姿を見ているうちに、怜也の緊張が少しだけ解けてきた。
(……この人、本当に嘘がないんだな)
怜也の好きなタイプは、昔から「嘘をつかない人」だった。フラれた美女は、影で怜也のことをバカにしていた。だが、目の前の茜は、好きなものに全力で、自分の感情を隠さない。
「怜也きゅん、何見てんのー? あーしの食べ方、そんなに盛れてる?」
「あ、いや……本当に美味しそうに食べるなぁって。……辛くないの?」
「辛いよ! でも、辛いからこそ生きてるー! って感じすんじゃん? 怜也きゅんも、食べたい? はい、あーん!」
「なっ……!?」
茜が真っ赤な麺を箸で持ち上げ、怜也の口元に突き出す。
「ストップ!! あんた、公共の場で何やってんのよ!」
由奈が叫び、割り箸を茜と怜也の間に突き立てた。
「えー、由奈ちゃん、嫉妬? マジ可愛くなーい? やばーい!」
「誰が嫉妬よ! 怜也は辛いのが苦手なの!」
「そうなの!? 怜也きゅん、マジ!? ごめん! あーし、そういうとこ無神経でマジ詰んでるわー……」
茜がシュンと眉を下げて謝る。その表情があまりに素直で、怜也は思わず微笑んでしまった。
「大丈夫だよ、鶴森さん。……ちょっとだけ、食べてみようかな。……せっかくだから」
怜也が箸を伸ばすと、由奈が絶望したような声を上げた。
「怜也……あんた、女子に弱いのも大概にしなよ……」
一口食べた怜也は、案の定、激しい咳き込みと共に悶絶することになったが、その様子を見て笑い転げる茜と、呆れながらも水を差し出す由奈の姿を見て、不思議と「女子への恐怖」が少しだけ薄れていることに気づいた。
数週間が経ち、茜は完全にクラスに溶け込んでいた。そして同時に、怜也、茜、由奈の三人は、奇妙なグループとして定着していた。
ある日の放課後。怜也は実習室に残って、溶接の片付けをしていた。
そこへ、茜が一人でやってきた。いつもの「やばくなーい?」という喧騒はなく、彼女は静かに怜也の隣に座った。
「……怜也きゅん。あーし、この学校に来てマジ正解だったわ」
「え? 急にどうしたの?」
「あーし、前の学校でさ、ギャルだからってマジで偏見持たれてて。性格キツそうとか、遊んでそうとか。……でも、怜也きゅんは、最初からあーしのこと、ちゃんと見てくれたっしょ?」
茜は夕日に照らされた金髪を指でいじりながら、少しだけ照れ臭そうに笑った。
「あーし、モテる男とか、チャラい男、マジ無理なんだよね。……優しくて、ちょっと不器用で、でもいざとなったらちゃんと自分の気持ち言える。……怜也きゅんみたいな人が、マジでタイプなんだ」
怜也の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
これは、中学時代のトラウマとは違う。嘲笑の色など微塵もない、真っ直ぐな言葉。
「僕は……そんな立派な人間じゃないよ。女子が怖くて、逃げてばかりで……」
「逃げていいじゃん! あーしが全部追い払ってあげるし! それに、怜也きゅんは逃げてるんじゃなくて、優しいから傷つきたくないだけでしょ? ……あーし、怜也きゅんのこと、マジで好きになっちゃうかも。やばくなーい?」
茜の瞳が、悪戯っぽく、それでいて真剣に怜也を見つめる。
怜也は、今こそ言うべきだと思った。中学時代にフラれて以来、封印してきた言葉。
ここで逃げたら、一生自分を好きになれない。
「……鶴森さん。僕、まだ女子と話すと緊張するし、失敗ばかりするかもしれないけど。……でも、君と一緒にいると、すごく元気になれるんだ。……嘘じゃなく、君のこと、もっと知りたいって思う」
「……っ!!」
茜の顔が、瞬時に激辛ラーメンを食べた時よりも赤く染まった。
「……ちょ、怜也きゅん、マジ……!? 今の、ガチ告白じゃん! やばくなーい!? あーし、心臓止まるんだけどー!」
茜は両手で顔を覆い、バタバタと足を動かした。いつもの元気なギャルが、一人の恋する少女に戻った瞬間だった。
その様子を、実習室の扉の陰で聞いていた者がいた。
由奈は、握りしめた拳をそっと解き、天を仰いだ。
(……バカ怜也。……やっぱり、あんたは優しいわね。……あんな真っ直ぐなこと言われたら、誰だって落ちるに決まってるじゃない……)
由奈の頬を一筋の涙が伝ったが、彼女はすぐにそれを拭い、いつもの「怖いものなし」の表情に戻った。
「……ま、あんな派手な女に怜也が捕まるくらいなら、私が監視してあげなきゃね。……お幸せに、なんて、まだ言わないんだから」
由奈は、二人のいる実習室へ、わざと大きな足音を立てて入っていった。
「ちょっと! 二人で何しっぽりしてんのよ! 放課後の掃除、サボらないでくれる!?」
「あ、由奈ちゃん! やばーい! 今、怜也きゅんからマジでエモいこと言われちゃったんだけどー!」
「聞きたくないわよ! ほら、怜也、行くわよ!」
「あはは……。ごめん、由奈」
黄金色の髪をなびかせてはしゃぐ茜。
それを苦々しく、しかしどこか誇らしげに見守る由奈。
そして、その真ん中で、まだ赤くなった顔で頭をかく怜也。
工業高校の無機質な廊下に、三人の笑い声が響き渡る。
怜也の「女子が怖い」というトラウマは、この賑やかな嵐によって、いつの間にか吹き飛ばされていた。
彼の物語は、まだ始まったばかり。
これから続く「激辛」で「最高に盛れた」日々の中で、彼は本当の自分を見つけていくことになる。
「怜也きゅん、今日の夕飯も激辛ラーメンね! 予約したから!」
「えっ、今日も!? さすがに胃が……!」
「文句言わないの! 私も行くわよ、あんたたちが怪しいことしないようにね!」
工業高校の放課後は、今日も騒がしく、そして眩しい。