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四階層
エリーゼたちが通路を抜けると、広間には熱気が渦巻いていた。メイジの魔法が宙を奔り、スケルトンたちの剣が火花を散らす。
「四階層はさっきよりレベルが全然違いますね。」
ゼリアの緊張にエリーゼが笑みを浮かべながら前に進む。
「ここでも一緒に鍛えていきましょう!」
そして、その混沌の中を割って跳ね回るのは、二階層の比ではない巨大で色鮮やかなスライムの群れだった。
だが何よりも目を奪われるのは、その真ん中に堂々と立つ、ただ一人の男。
その名はカイル。
彼の周囲には、打ち倒されたモンスターの素材が山のように積み上がり、血の気の引いた冒険者たちが距離を取っていた。
「あいつ、どうやったら、あんなスピード出せるんだよ……」
「装備なしで沢山のモンスター倒すとは……ただ者じゃねえぞ……」
「きっと、格闘を極めた男に違いねえ……」
声にならない声がさざめき、エリーゼたちが踏み出すと、カイルが満面の笑みで振り返った。
「やっと来たんだね」
誇らしげに胸を張るその姿は、まるで英雄のように映った。
「これ、全部カイルさんが倒したんですか?」
エリーゼの問いに、カイルは前髪をかき上げて大きく頷く。
「もちろんさ。俺が本気を出せば、このくらい余裕なのさ」
「何をしたら、こんなに倒せるんだ?」
ゼリアの問いに、カイルは待ってましたとばかりに、語り出した。
「なんで避けるんだああ!!」
階段の壁面に怒声が木霊する。止まらない。止められない。カイルの体は階段を滑り落ちるように突き抜け、そのまま四階層へ飛び出した。
目に飛び込んだのは、ひしめくスライムの群れ。二階層で見たあの小粒とは比べ物にならない、宝石の塊のように巨大で、全身が脈打つように輝いている。
他の冒険者たちが息を呑み、狩りの準備をしていたその前を、カイルの体が突風のように駆け抜ける。
それを見て一斉に退く冒険者たち。スライムたちも気配を察し、魔術式を展開し始める。
「やばい!誰か止めてくれーー!」
叫びは広間に木霊したが、足は止まらない。魔法の光が編まれるより速く、もうスライムの懐に突っ込んでいた。
思考と恐怖が交錯する。
こんな中途半端なところで自滅なんてしたら、ダメだ!それだけは絶対にダメだ!!
パニックになる中、一つの考えが浮かんだ。
スライムって柔らかいから、ぶつかっても平気じゃね?
目の前は敵ではなくチャンスに変わる。
「俺一人でこいつら全員ぶっ潰すんだ!!」
さらにスピードが上がり、足が閃光のように加速する。
空気が裂ける。踏み切り、跳躍。
「これでも食らえーー!!」
空気を割る叫びと共に放たれたドロップキック。その一撃がスライムの群れに叩き込まれると、弾力を無視して巨大スライムたちが吹き飛んでいった。
衝撃波に巻き込まれ、スケルトンもメイジも押し潰される。魔術式が砕け、杖が宙を舞い、無数の素材が空中で煌めく。
だが、それでも止まらない。さらに奥のモンスターたちへと勢いそのままに突っ込む。
蹴り倒し、叩き潰し、転がり、積み重なる素材の山。
気がつけば、彼はスライムの頂点に立っていた。地面に叩きつけられたはずの体を、スライムの弾力が柔らかく受け止めていたのだ。
静寂が広間を支配する。誰も声を出さない。
足元には色とりどりの属性石。装飾が施された剣、魔術の痕跡が残る杖、小粒の魔力石まで。光が舞い、空気が澄む。
その中心で、カイルが高らかに叫んだ。
「俺は最強だぁぁ!!!」
昨日の激戦が脳裏によぎる。
拳法ゴブリンとの一騎打ちで流した汗、謎の男たちとの死闘で刻まれた傷、そして仲間たちと力を合わせて倒した赤い狼――すべてが彼の心に深く残っていた。
その戦いは、ただの勝敗を超えたものだった。
それは、仲間との絆を確かめる時間であり、自分自身と向き合う試練でもあった。
「俺は…まだ、終わってない。」
彼の瞳には、かすかに涙が光っていた。悔しさではなく、確かな成長と希望の涙。
拳を握りしめ、彼は再び地を蹴った。ドロップキックの構えに入る
その姿は、昨日の彼とは違う。
もう迷いはない。傷は勲章となり、痛みは誇りに変わった。挫折と友情、怒りと勇気が織り成す、一人の戦士の物語。
そして今、物語の続きを刻むために。カイルは再び立ち上がる。
視界がぐにゃりと歪む。足音すら置き去りにして、彼の体が戦場を貫いた。アドレナリンが熱を帯びて全身を突き動かし、瞳に映るのはただ獲物だけ。
広間のモンスターたちは、さっきの惨劇を見てすぐに動きを変えた。
メイジ、スケルトン、スライム――種族を越えた即席の陣形が生まれる。
前衛のスケルトンが盾を構え、中央に弾力を湛えたスライムが壁となり、背後ではメイジが魔法陣を編む。
その光景に、周囲の冒険者たちは息を呑んだ。
「あの数相手に装備なしで行くなんて……本当の化け物は、ああいう奴のことを言うんだな」
「奴の凶暴さは普通の冒険者じゃない。誰かに鍛えられたのか……?」
ささやきが広がる中、スケルトンが剣を振り上げる。
カイルの突進に合わせ、一斉に振り下ろされる刃。
だが、それは無意味だった。
「ファイアーー!!」
声が咆哮となり、彼は跳躍する。空気を裂き、壁を蹴り、放たれたドロップキックが振るう剣と盾ごとスケルトンを叩き潰した。甲冑の破片が火花のように散り、金属音がこだました。
スライムが衝撃を吸収し、吹き飛ばされたスケルトンの一部は弾力に助けられ命をつなぐ。だが、戦場の均衡は一瞬で崩れた。
彼の足は止まらない。さらにスピードを上げるために後ろに行く。壁沿いを駆け抜け、靴の光沢には塵一つ残さない。
スライムとメイジが慌てて魔法を放つ。
火、雷、風、水、土――多属性の魔力が螺旋を描き、床を焦がし、壁をえぐる。
だが、その全てが、カイルの幻影を追うだけ。残像が戦場を踊り、誰も彼を捉えられない。
「これで最後だーー!」
二度目の叫びと共に、筋肉が唸る。地面を蹴り、全身が空を裂いた。
ドロップキックがスケルトンの列をまとめて粉砕する。
衝撃波が地を走り、爆音が広間を包んだ。物陰に潜んでいた冒険者たちすら、巻き込まれ、尻もちをついて叫び声を上げる。
スケルトンの盾が砕け、メイジの杖が転がり、スライムの核が跳ねた。最後に残ったスライムが潰れて、弾力のクッションと化す。カイルの体をふわりと受け止め、焦げた空気の中で静寂が訪れる。
立ち上がるカイルの足元には、再び素材の山。属性石が火光を映し、剣と杖が転がり、土くれの中に魔力石が瞬いている。
「今日はこれくらいにしてやるか」
手のひらをパン、パンと払う。堂々と胸を張った背に、焼け焦げた広間の残響が広がった。風が髪を揺らし、焦土に立つ影は、誰もが目を奪う英雄の姿だった。
「っていうことがあったわけよ」
足元に転がる素材の山、その上に立つカイルを前に、エリーゼは目を輝かせて感情のこもった拍手を送った。
「すごいじゃないですか!私、とても感動してますよ!」
「確かに、この量のモンスターを倒したのはすごいな」
彼女達の言葉を浴びると、カイルの背筋がしゃんと伸びる。
口元がニヤリと歪み、胸を張った。
「そうだろ!俺は強いんだああ!!」
再び体の奥でアドレナリンが弾け、血が熱を帯びる。地を蹴り、再びモンスターの残骸を蹴散らそうとしたそのとき。奥の通路から、数人の冒険者が転がるように飛び込んできた。
血で濡れた鎧、引きずる足、切羽詰まった息。広間に張りつめた空気が、一瞬で緊迫に変わった。
「お前ら、速く逃げる!ここにいると全員やられるぞ!」
叫びが、素材の山に跳ね返り、全員の背に冷気のように突き刺さった。
「何があったんだよ?」
近くの冒険者が慌ててポーションを差し出す。受け取った男は荒い息を整え、ぐいっと一気に飲み干した。
「五階のボス部屋が勝手に開いたんだよ!鍵がないのに、なぜか開いたんだよ!」
冒険者たちの顔色が一斉に変わった。
「どういうことだ?お前らの誰かが鍵を開いたんじゃないのか?」
ゼリアの低い声が冷たく刺さる。だが返ってきた声には、焦りと恐怖が滲んでいた。
「違う!俺らは鍵を見つけてすらねぇんだよ!もう訳が分からねぇ!」
もう一人の男が肩口を押さえ、震える唇で言葉を継いだ。
「そんなのは別にたいしたことねえ。一番やばかったのは、五階にいたボスがリザードマンだったんだよ。しかも異形な姿をしていた」
その言葉が落ちた瞬間、広間のあちこちで息が止まる音がした。一部の冒険者の顔色が青ざめ、肩がわずかに震えた。
その名は低階層に現れるはずのない、Dランクの魔物。
恐怖の二文字が全員の胸を圧迫した。
「ボスはシルバースケルトンではなかったんですか?」
エリーゼの問いに、男は血の気の引いた顔で返す。
「あぁ、そうだ。だから、これは異常なんだよ!!俺らはギルドに行ってこのことをすぐに報告する。お前らも速くこのダンジョンから出ろ!」
「そうだな。協力して行くぞ!」
冒険者たちが武器を収め、口をきつく結んだまま撤退の準備を整える。背中には恐怖と焦りが、滲んでいた。
だが、その流れに逆らうように、静かに一人の影が前に出た。
「ここは、私一人でなんとかします」
エリーゼの瞳が、確かな光を帯びて揺るがなかった。
「いえ、私も行きます。騎士団に入る者が逃げるなんて、ダメですから」
ゼリアの声に迷いはない。踏み出す足に、躊躇はなかった。エリーゼがわずかに目を伏せる。
「危ないですよ」
「いえ、それでも行きます」
二人の意思が交わるのを、ラシアは少し離れた場所で睨むように見ていた。
チッ……どうすればいい。速く逃げた方がいいはずなんだが……
この女について行けば、リザードマンを倒せるかもしれない。そうなれば、ギルドからの評価も上がるに決まってる。
「私も……行きます…..」
声が掠れた。エリーゼが振り返る。その瞳の底に宿るものが、ラシアの胸を強く突いた。
「本当に覚悟はありますか?」
「私の火魔法はリザードマンの弱点でもあります!行かせてください!」
声はかすかに震えてはいたが、それでも覚悟は確かだった。
「分かりました」
広間に漂う不穏を切り裂くように、三人の決意が揃った。
「カイルさんはどうしますか?」
エリーゼが問い、全員が背後を振り返った。だが、そこには誰もいなかった。
「あいつ、あれだけ生意気言いながら、逃げていったのか….」
ゼリアの呆れた声が静かに広間に残り、張りつめていた空気が、ほんのわずかにほどけた。
五階層 ボスの間。
開きっぱなしの扉から滲み出る空気は、ただの風ではなかった。触れた肌に冷たく絡みつき、髪の奥、骨の内側にまで染み渡るようだった。
エリーゼたちが足を踏み入れる。
部屋全体の空気が音もなく沈みきるように感じた。
吐息さえ重く落ちていくような空洞の中、奥に立つ影が、ゆらりと気配を刻む。
黒い鱗に覆われた、その姿。
異様に伸びた背丈、左右に揺れる長い尻尾。四本の腕が、ゆっくりと動くたび、鱗のきしむ音が聞こえる。
右手の一本が握るのは、ただの槍ではなかった。魔力を帯び、刃の周囲に揺らめく空気が、まるで空間を切り裂くかのように歪んでいる。
ゼリアの喉から、かすれた声がこぼれた。
「なんだ、あの姿は…..」
目の前の存在は、誰もが知っているはずのリザードマンではなかった。獣の荒々しさとも、爬虫の冷徹さとも違う。
何かを失い、何かを得たその異形は、床に刻まれた魔法陣を、尻尾の先でゆっくりとなぞるように揺れている。
顔を覆う鱗の奥、剥き出しの瞳孔からは、途切れることのない涙が零れ落ちていた。
だがそこに、人間のような悲しみはなかった。
怒りも、苦悶もない。
ただ機械のように、血の代わりに流れているかのような、無感情の涙。
エリーゼたちの存在を察知すると、リザードマンの槍がわずかに浮いた。
刃の先が彼女達の方を向き、かすかに揺れながらも、構えが音もなく決まっていく。
空間の温度が一気に下がったようだった。
その刃先から伝わるのは、底なしの殺意。言葉を持たぬ意思が、空気を震わせていた。
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