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おつかれさま、そこが俺の家だよ──との言葉は、日本史BL検定対策講座講師・花咲蓮らしくのどかで穏やかな口調であった。
その言葉にモブ子らは一斉に足をとめる。
見上げた表情は一様に引きつっていた。
「……蓮ちんは、お坊ちゃまなんだとばかり思ってたんだが」
彼女らの目の前。
色あせた屋根瓦は年月の重みを増して、二階建てのアパートを今しも押し潰そうとしている。
「……蓮ちんのおうちは洋風の豪邸で、庭にはガーベラの花が咲いていて、大きな噴水があるんだと思ってたんだが」
築何年経つのであろうか。
すれ違うことも困難な細い外廊下。
玄関扉は薄いベニヤ板で造られており、扉と壁の間に隙間が空いているのが分かる。
扉の数から、古ぼけたアパートは各階4軒ずつ、計8部屋あると数えられた。
「……蓮ちん家、執事とかいてフランス語を喋ってるのかと思ってたんだが」
──蓮ちんのぜんぶを知りたくて付いてきたのにと、モブ子三人は一斉に叫んだ。
すべての夢破れたと、壮絶な表情で見やるボロアパート。
今まさに、屋根瓦から土塊がパラパラと落ちた。
「やだなぁ、そんなわけないじゃない。このあいだまで職にあぶれてた一研究者だよ、俺は」
「はは……っ」
蓮らしいとぼけた返答にモブ子らは顔を見合わせる。
──帰るか?
──いや、ここで帰るのはあまりに露骨すぎないか?
鋭い視線をかわした結果、彼女らはこう結論づけたようだ。
──とりあえず蓮ちん家(内部)を見てみたい、と。
当の蓮は、ボロアパート1階端のベニヤ扉の前で格闘している。
立て付けが悪く鍵を開けるのにコツがいるらしい。
ガチャっと大きな音がしたところで、体重を乗せるようにして一気に扉を押し開いた。
「ふぅ……ようこそ、遠慮はいらないからね」
ようやく開いた扉に、元より遠慮などするはずもないモブ子らが押し入る。
そのあとから家に入る長身の青年が呆れたように彼女らの後ろ姿を見やり、それから蓮を見下ろした。
色素の薄い瞳に、心配そうな翳りが過ぎる。
「ささっ、小野くんも。どうぞどうぞ。学生のときから住んでる部屋だから狭いけど」
あいつらを入れて大丈夫なんですか──なんて無言の問いかけが通じるはずもなく、蓮は平和な笑顔で長身の背を押した。
蓮、梗一郎、それからモブ子ら3人がボロ花咲家へと向かったのには、当然ながら理由がある。
授業の終わり。
レポートを提出したモブ子らは蓮の浮かぬ表情に気付いたという。
聞けば、世話になっている先生に押しつけられたアンケートの集計がなかなか終わらないとのこと。
寝不足を表すように、蓮の目元は赤く腫れていた。
「ならば、アタシらが手伝ってやろう」と教員棟の汚部屋に乗り込んだところ、担当の事務員に止められる。
何でも今日から一週間、教員棟の雨漏り補修のため立ち入り禁止ということだ。
先週も言いましたよねと、年かさの事務員に睨まれ、ヘラヘラ笑いを返す蓮。
今日は仕方ないねと解散しようとした蓮に、しかしモブ子らは食い下がった。
「蓮ちん家、すぐそこって言ってたよね」
食い殺す勢いの問いかけに、蓮が抵抗できる由もない。
まんまと自宅まで案内させられた。
おっとり講師の住む豪邸を見てやろうという彼女たちの目論見は、想定外のボロ屋の登場にあっさり崩されることとなる。
「台風が直撃したら間違いなく壊れるな、ここ」
「蓮ちん、流されるんじゃないか。ヤバス!」
「見える。蓮ちんが川に流されて助けを求めている様が見えるぞよ」
狭い八畳和室の真ん中の座卓に陣取る彼女たち。
好き放題に周囲を見渡していた。
部屋の隅に丸められたヨレヨレの布団、床には棚からあふれだした書物が積み上がっている。
学会の発表があるとか言っていたっけ。
書類や原稿が畳のうえにも散乱していた。
「この間、風の強かった日にもグラグラ揺れてたからねぇ。2階に住んでるおばあさんは雨漏りがひどいって言ってたし」
「教員棟といい、どこもかしこも雨漏りじゃないですか」
「あはは、ほんとだね」