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今日は出社しなくてもいいんだけど。
ちょっと覗いてみようかな。
会社に居るのもあとちょっとだし。
そんな感傷的な気持ちもあって、ひょい、と10時ごろ、のどかは職場を訪ねてみたのだが……。
「胡桃沢さんっ、ナイスッ」
「いや~、今、来るとは、空気読んでるねっ」
とおじさんたちがワラワラ寄ってきて、気がついたら、真剣に仕事をさせられていた。
「胡桃沢、いやー、久しぶり」
「のどか、これ、お餞別がわりに」
と言っては、みんなも、のどかのデスクに、軽い仕事を置いていく。
ふと気づけば、隣の課の課長もデスクの真横に立っていた。
「……なんですか?」
とあまり仲のよくないその課長、早蕨を見上げると、
「いや、お前を叱れるのも、あと少しなんで、なにか叱りたいんだが。
最近、会社に来ないから叱る内容がないなと思って」
と言い出す。
いや、無理やり叱らなくても……。
そして、仕事内容が連携しているので、一緒に仕事することが多いせいか、お忘れのようなんですが、私、実は、隣りの課の人間なんですよね……、
とほのぼのとした感じの名前なのに、ちっとも、ほのぼのしていない早蕨を見上げていた。
「そういえば、お前、社長の幼なじみなんだってな。
早く言ってくれれば、やさしくしたのに。
俺は、上司にゴマすって此処まで来た男だから。
……まあ、会長の親族だってだけで、一気に社長になりやがった奴にゴマするのは嫌なんだが。
まあ、海崎社長は若いのに、よくやってるとは思うよ。
社内の風通しもよくなったと思う」
と早蕨は綾太を褒めてくれる。
「ありがとう……」
ございます、と幼なじみとして、礼を言おうとしたとき、早蕨が笑って言ってきた。
「――と社長に伝えておいてくれ」
「嘘なんですか……?」
とのどかは苦笑いする。
最後まで食えないオヤジだったが、そう悪い人でもなかったな。
……餞別に、とお気に入りの店の紅茶をもらったからではないが。
その紅茶を手に、昼休み、図書室に向かい、歩いていると、綾太と出会った。
「のどか、まだ居たのか」
「貴方といい、中原さんといい、此処にまだ居ちゃ悪いんですかね、社長」
と言ってやったが、綾太は相変わらず、あんまり人の話は聞いていない。
「そういえば、あの寮、いつから住めるんだ?」
と訊いてきた。
「いや、本気で住む気なの?」
とつい、敬語も崩れ、のどかは訊き返す。
「当たり前だろ。
なんかお前と成瀬の結婚は訳ありっぽいからな。
上手くまとまってないところに、おかしなイケメンが降ってきて、あそこに住むとか言い出しても困る。
俺がひとつ、部屋を塞いでやろう」
と誰のためにどうしたいのかわからないことを言い出した。
「だから、社員寮なんだってば」
「だが、八神は、来い来い、と言っていたぞ」
……あそこは誰の家なんですかね、と思ったが、八神だった。
居住スペース側は八神の陣地だ。
「八神さんは、一緒にお酒が呑めれば誰でもいいのよ」
「お前ら、ごちゃごちゃ言って、俺をあそこに住まわせないのなら、火をつけるぞ」
と綾太が言い出した。
あのボロ屋にっ?
すぐに燃え尽きそうだっ、と怯えたが、綾太は、
「うちの家に」
と言う。
「なんでよ……」
「そしたら、人のいいお前や成瀬社長が、ああ、可哀想にと寮に入れてくれるだろ」
成瀬社長を人がいいとは思ってるんだな、と思いながら、はいはい、と適当な返事をし、図書室に入ろうとした。
すると、
「いつでも来ていいぞ」
と声がした。
振り返ると、綾太がこちらを見て、
「会社辞めても、いつでも図書室来ていいぞ」
と言う。
「ありがとう、社長」
いや、ありがとう、社長って、おかしいな、と思って行きかけ、ちょっとだけ戻る。
「ああ、早蕨課長が、俺はゴマすって此処まで上ってきた男だから、社長にもゴマをすりたい、よろしくって言ってたよ」
「……そんな風に言ってたか?」
「いや、要約すると、そんな感じ。
悪い人だけど、そんなに悪い人でもなかった」
と言うと、そうか、と綾太は笑う。
綾太は陰で小細工する人間よりは、真正面から卑怯な人間の方が好きだが、それを伝えたところで、早蕨課長がどうなるかはわからない。
……自力で頑張ってください、と思いながら、のどかは図書室の戸を開けた。
昼休み、貴弘はちょっと困っていた。
意外にも雑草カフェ社員寮の方は、サクサクいろんなことが決まっていっているのだが。
自分とのどかのことは、なにも決まっていない。
なんだかわからないが、怒涛の展開で物事が動いていくので、のどかが好きかどうか落ち着いて考えられないのだ。
やはり、此処はひとまず好きだと言って。
他所に行かないよう、手を打っておいてから考えるか、と仕事のように冷静に対処しようと思ったところに、また、たこ焼きを持って、のどかが現れた。
「いやあ、今日もいい天気ですね~」
と緊迫感のない声で言っている。
すっかり社員たちとも打ち解けているのどかは、自分に持って来るより先に、たこ焼きをあちこちに配っていた。
「ありがとうございます、のどかさん」
「のどかさん、カフェ出来たら、言ってくださいよ。
オープン祝いになにか持っていきますから」
と若い男性社員たちが好意的にのどかに話しかけるのを聞きながら、
もっとオッサンばかりを雇えばよかった……と思っていた。
「はい、社長」
とのどかは最後に自分のところにたこ焼きのパックをひとつ持ってきた。
「ああ、ありがとう」
「お茶でも淹れましょうか」
「いや、飲みかけのがあるからいい。
お前、自分の分は、そこ行って淹れてこい」
とコーヒーサーバーを指差すと、はーい、とのどかは軽い足取りでそちらに行った。
ソースとかつおぶしと青のりのいい匂いがするので、仕事の手を止め、貴弘はたこ焼きを食べることにした。
「ほら」
とのどかに爪楊枝をひとつやると、
「社長、それ一パック食べられるでしょう?」
とのどかは遠慮して言ってくる。
「いや、そんなにはいい。
それに……」
それに? とのどかがこちらを見た。
それに、ひとつのものを分け合うのは夫婦っぽくていいなと思うんだが。
……思うんだが、口には出せなかった。
のどかが遠慮しないよう、ひとつ食べると、
「あ、では」
とのどかもひとつ食べる。
「やっぱり、あつあつのは美味しいですね~。
これもう、しっとりしちゃってますけど。
たこ焼きとかお好み焼きとか、熱い状態で、かつおぶしが踊ってるのとか見ると、より美味しい感じがしますよね~。
うちも出したいですね、お好み焼き。
雑草入れて」
「雑草、入れても味わからなくないか?
ソースの味が濃すぎて。
っていうか、おしゃれな古民家カフェじゃなかったのか。
ソースの匂いに満ち満ちていいのか」
と問題提起しながら、貴弘は頭の中では違うことを考えていた。
……とりあえず、好きと言ってから考えようと思ったのに。
そのとりあえずが、何故か言えない。
こいつのまるっとして、なにも考えてなさそうな顔を見ていると、上手く言葉が出せなくなるな。
仕事のときみたいに、とりあえず、抑えておいてから、あとで考える、みたいな感じにして安心したかったのだが。
そんな自分の前で、のどかは真剣にたこ焼きを眺めながら、考えている。
「でも、飯塚さんが言ってたみたいに、なにかうちの店にしかない特徴を打ち出さないとですよね」
今はカフェのことしか考えられないらしいのどかは、こちらがいろいろと思い巡らせていることには気づいていないようだった。
「え? 特徴もうよくないですか?」
と近くで他の社員とたこ焼きをつついていた北村が苦笑いして言ってくる。