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第九話 秘密の場所
「大切な思い出ほど、人は簡単には言葉にできない。」
日曜日。
空は、夏の始まりを知らせるように
青く晴れていた。
待ち合わせ場所に着くと、紬はすでに来ていた。
「早いね。」
湊が言う。
紬は少し笑った。
「神崎くんも。」
「楽しみだったから。」
その言葉に、紬は少しだけ目を丸くした。
「……そっか。」
嬉しそうに笑う。
「じゃあ、行こう。」
*
二人は電車に乗った。
いつもの通学路とは違う方向。
窓の外を流れる景色も、少しずつ変わっていく。
街。
住宅。
そして、緑の多い場所。
「遠いんだね。」
「うん。」
紬は窓の外を見る。
「でも、来ると落ち着く。」
しばらく電車に揺られる。
会話は多くなかった。
でも、その沈黙は不思議と心地よかった。
*
駅を降りて、細い道を歩く。
坂道を上る。
木々の間を抜ける。
そして――
「ここ。」
紬が足を止めた。
そこには、小さな展望台があった。
街を一望できる場所。
風が通り抜ける。
遠くから鳥の声が聞こえる。
湊は辺りを見渡した。
綺麗だった。
でも、それ以上に感じるものがあった。
静かで。
優しい。
まるで、誰かの記憶の中にいるような場所。
「ここね。」
紬がゆっくり話し始める。
「昔、お父さんとよく来てた。」
湊は黙って聞く。
「写真を撮るのも、お父さんが教えてくれたの。」
その言葉に、湊は少し驚いた。
「お父さんが?」
「うん。」
紬は笑う。
「神崎くんと同じ。」
「カメラを持って、いろんな景色を見せてくれた。」
風が吹く。
紬の髪が揺れる。
「だから、私も写真が好きだった。」
*
「でもね。」
紬の声が少し小さくなる。
「ある日から、お父さんは写真を撮らなくなった。」
湊は紬を見る。
「忙しくなったとか?」
紬は首を横に振る。
「違う。」
「撮れなくなった。」
その言葉の意味を、湊はすぐには理解できなかった。
「病気だったの。」
静かな声。
「長い間、入院してた。」
紬は展望台から街を見る。
「最後に一緒に来た時も、ここだった。」
湊は何も言わない。
ただ、隣にいた。
「その時ね。」
「お父さんが言ったの。」
『写真は、未来の自分に渡す手紙みたいなものだ』
「って。」
紬は少し笑う。
「でも……。」
「写真を見るたび、その時のことを思い出すようになって。」
「楽しかった記憶なのに、苦しくなった。」
*
風の音だけが聞こえる。
湊はカメラを見る。
そして、ゆっくり首を振った。
「だから、あの写真……。」
紬は頷く。
「うん。」
「笑ってる自分を見ると、あの日のことを思い出した。」
「幸せだったから。」
「余計に。」
湊は初めて理解した。
写真は、ただ思い出を残すものじゃない。
時には、忘れたかった痛みまで残してしまう。
「ごめん。」
紬が言う。
「暗い話しちゃった。」
「謝らないで。」
湊は答える。
「話してくれてありがとう。」
紬は少し驚いた顔をした。
「ありがとう?」
「うん。」
「この場所を教えてくれたことも。」
「大切なものを見せてくれたことも。」
紬はしばらく黙っていた。
そして、小さく笑った。
「神崎くんって、不思議だね。」
「何が?」
「普通なら、何か言おうとすると思う。」
「大丈夫とか。」
「でも、神崎くんは待ってくれる。」
湊は空を見る。
「俺も。」
「待ってほしかったことがあるから。」
紬はその言葉を聞いて、何も聞かなかった。
聞かない優しさ。
それも、二人の間に少しずつ増えていた。
*
帰る前。
紬が言った。
「神崎くん。」
「写真、撮ってくれる?」
湊は驚いた。
「いいの?」
紬は頷く。
「うん。」
「今日は、残しても大丈夫な気がする。」
湊はカメラを構える。
ファインダーの向こう。
そこにいるのは、
過去に縛られた少女ではなかった。
今、この瞬間を生きている紬だった。
カシャッ。
シャッター音が響く。
夏の始まりの風が吹いた。
📷 Photo.009『君が戻った場所』
撮影日:7月5日
忘れたい記憶も、
いつか誰かと笑える日が来るのかもしれない。
その始まりを、
僕はこの場所で見た。
ruruha
821
あおい
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雛
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コメント
4件
そうなんですよね! ほんとそうなんですよ! 過去の辛い部分と向き合う事はすごくしんどいけど、今を生きるためには必要なんですよね、、 ほんとですか! わー!ありがとうございます!ならほんとによかったです!
第9話、すごく良かったです……! 特に「楽しかった記憶なのに、苦しくなった」って台詞、胸にグッと来ました。写真って一瞬を切り取るだけじゃなくて、その時の感情ごと封じ込めるんだなって。湊くんが何も言わずに隣にいて「待つ」選択をするのが、二人の距離感に合っててすごく自然でした。最後のシャッター音、ほんと良かった……! 次の話も楽しみにしてます!