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わたしは頭を下げた。
「ごめんなさい。そんなつらい思い出をお話していただくなんて」
「いいえ。どうかお気になさらないで。もうずいぶん昔の話なのだから。オーナーに『加藤さんにその話をしていいか』と聞かれたとき、自分から直接話したい、と言ったぐらい。散々世話をかけたオーナーのためだもの。そのくらいのこと、なんでもないわよ」
笑顔を浮かべてそう言うと、笹岡さんは立ちあがった。
「では、わたしは帰るわね。彼からあなたに話があるそうだし」
「笹岡、世話をかけたな」
彼女は「どういたしまして」と言うと、店を後にした。
悲しすぎる話で、まだ頭の中で消化しきれない。
笹岡さんの、なにかこの世を超越しているような美しさの秘密に触れた気がした。
玲伊さんは穏やかな口調で言った。
「わかってもらえたかな。笹岡とはなんでもないことが」
「はい、それは。あ、でも、玲伊さんがそのアメリカで付き合っていた人とは?」
「もうとっくに別れたよ。他の男と結婚してボストンで暮らしてる。今、俺は完全にフリー」
そう言うと、玲伊さんはアイスコーヒーのグラスをテーブルに置いた。
「さて、次は優ちゃんの話だ」
「えっ?」
「昼に言ってただろう。話があるって」
笹岡さんと玲伊さんが付き合っていると信じて疑わなかったわたしは、振られる心の準備はしてきていたけれど、そうでないとわかった今、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。
「わ、わたしは後でいいです。玲伊さんからどうぞ」
「そう?」
玲伊さんは真正面からわたしを見つめる。
相変わらず、綺麗な目。
吊り下げられたライトの光が彼の琥珀色の虹彩に映りこんでいる。
でも、なんの話があるんだろう。
モデルももう降りたのだし。
そんな悠長に考えている場合ではなかった。
「俺は……優ちゃんが大好きで、とても大切に思っている。どうか付き合ってくれないか」
す、好き? 付き合ってほしい?
「ええっ?」
あまりのことに、わたしはなかば叫び声のような大きな声を上げていた。
「嘘! そんなことあり得ない」
はっと辺りを見回す。
でも、BGMが流れていたし、他のお客さんはそれぞれの話に夢中なようで、こっちを見ることはなかった。
わたしはほっとして、同時にそわそわと落ち着かなくなって、アイスティーのグラスを引き寄せて、ストローを|咥《くわ》えた。
その間、玲伊さんはずっとわたしを見つめ続けていた。
「嘘なんかじゃない。小学生のときも中学生のときも再会してからも、ずっと優ちゃんが可愛くて仕方がないんだ」
ストローから口を離して、わたしはもう一度言った。
「そんな……訳ない」
「どうして?」
「だって、わたしは玲伊さんと釣り合わなさすぎるから」
「誰が決めたの、そんなこと」
「誰がって……」
「優ちゃんはいつも一生懸命で、そしていつも人のことを第一に考える優しい心の持ち主だ。そんな君が好きなんだよ。意地っ張りでちょっと素直じゃないところも、俺にとってはたまらなく可愛い」
「でも……でも……やっぱりそんなことあるはずが」
射抜くような視線から逃れるように目を逸らすわたしの様子に、彼の声のトーンがにわかに暗くなった。
「そうか。優ちゃんはやっぱり俺が嫌いなのか」
「えっ?」
もう一度、彼のほうを見ると、切なげに眉を寄せている。
「やっぱりそうなんだな。再会してから、いつまで経っても気を許してくれなかったしね。でもそれなら仕方がない。きっぱり諦めるよ」
寂しげな彼の声が耳に入ってきた瞬間、厳重にかけていた心の扉の留め金がはじけ飛んだ。
そんな、嫌いな訳があるはずない。
「き……嫌いなんかじゃないです。わたしも玲伊さんが好きです。もう、ずっとずっと前から」
必死でそう答えると、玲伊さんはふっと微笑みを浮かべて言った。
「優ちゃん」
玲伊さんはアイスティーのグラスに添えていたわたしの手を、両手ですっぽり包み込んだ。
彼の、しなやかな大きな手で。
「嬉しいよ」
優しくわたしを見つめる目のなかに、驚きは感じられなかった。