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136
おきつね
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42 ◇ドイツ菓子フランクフルタークランツ
編集者、山下司に見いだされた石田百子の小説はなんだかんだで10か月後
漫画本として1冊目が出版の運びとなる。
時は年を跨ぎ、新しい年を迎えようとしていた。
結局コミック本は4巻で完結という形になる。
その間の百子と山下との打ち合わせはそんなに多くはなかった。
打ち合わせでは数回会った程度で後は大したトラブルもなく、
メールでのやり取りで凌げたからだ。
そういう具合だったので当初ふたりが会ったのは春先の寒暖差のはげしい
まだまだ寒さの残る頃で、最後の打ち合わせで会ったのはその翌々年の夏に
向かう梅雨時だった。
◇ ◇ ◇ ◇
寒さがまだまだ残る春先に百子の自宅を訪れた山下はフランクフルタークランツと
呼ばれるドイツ菓子をホットコーヒーと共によばれることとなる。
◇ ◇ ◇ ◇
「私と娘や息子はイオンスーパーマーケットの側の道ひとつ挟んで建っていた
ロッセェというケーキ屋の白いリングのケーキが大好きでよく食べていました。
そこのお店はイオンができる前から営業していた店舗なんですが
ご多分に漏れず数年後スーパーに力負けして閉店してしまい食べたくても
食べられなくなっちゃって、いろいろレシピを探してよく似たケーキを
自分で作るようになったんですよ。
私が作ったへなちょこケーキですが1点ものですからお値打ちもの
ですよぉ~ふふっ」
山下はそう言われ、少しずつ一口ずつ……味わって胃袋に流し込んだ。
バタークリームも生地もあっさりしていて食べやすく、美味しかった。
山下の母親はケーキなどと洒落たものを一度も作ったことがなかったため、
山下は百子のことを殊の外すごいと思ってしまった。
次に来た時は何が出されるのだろうなどと、意地汚いことを思ったのだが
残念なことに次はメールで済むような用事しかなく、次の期待は儚く散っていった。
43 ◇奥手な男
そうして一年半後、コミカライズが最終巻にむかう折にようやく久しぶりに百子の家で
打ち合わせをすることになる。
梅雨も間もなく明けそうな夏に向かっていた時のこと。
出迎えてくれたその人は、涼やかで清楚な佇まいを思わせる洋服を
纏って現れた。
笑顔の素敵な彼女は、とても高校生の娘がいるようには思えないほど若やいで見えた。
そして彼女の朗らかにケラケラとよく笑い話す声は、とても心地よく響いた。
百子のリラックスしている様子を見るにつけ、自分のことなど何も意識してないのが
よく分かる。
山下はモテ要素充分な風貌をしているが、実は女性が学生の頃から苦手で
奥手な男だった。
だから38才の今も独身なのである……とそうはいうものの、やんごとなき事情で離婚、
一度結婚はしているというバツイチ独身であった。
そんな自分でも百子相手には割と緊張せずリラックスして対応できる。
交際などしていないからこその、ではあると思われるが、緊張せずに
向き合える異性は山下にとって貴重な存在だ。
今回の訪問では期待通り手作りのチョコレートムースとやらが出て来た。
なので、今回はチョコムースとアイスコーヒーをよばれる運びとなった。
「今回も手作りのものをいただけて、ありがとうございます」
「簡単なものですけど、喜んでいただけてうれしいです」
「これは何が入ってるのですか?」
「チョコレートと生クリームなんですよ」
「へぇ~、チョコレートはなんとなく入ってるだろうなぁとは思いましたが
生クリームは分かりませんでしたね」
「ケーキ作りしている人にはすぐ分かると思いますけど、作らない人には
分からないかも、ですね」
そう話す石田さんの洋服にチョコレート色の汚れを発見。
44 ◇山下の恋心
「石田さん、洋服……チョコが付いてませんか?」
「あちゃあ~、付いてますねー。
これ作ったばかりのチュニックなのにぃ~」
「えーっ、ご自分で縫われたんですか?」
「難しいプロが作るような洋服は不勉強なので作れないんですけど、
簡単なものは縫うのが好きなんですよ。
袖丈やら丈を自分好みに調節できますから。
既製服って袖丈が長いものが圧倒的に多くて困るんですよね。
家事する時って少し短めのほうが動きやすいので、それで自分で
作るようになったんです。
枕カバーなんかも作っちゃいますよ」
「いいですねー。自分で作るのなら好きな生地で作れますよね」
「そうなんです。子供たちには好きなアニメのキャラクター生地で作ったり」
「石田さんは素敵なお母さんなんだ」
「ふふっ、素敵な妻にはなれませんでしたけどね」
「そんなことないですよ。
僕だったら石田さんみたいな素敵な人が奥さんだったら大切にしますよ」
「「……」」
「僕、何言ってんでしょうね、ハハっ。
今の聞かなかったことにして下さい」
「いーえ、両耳がしっかり聞きましたよ。
誉めていただいてありがとうございます」
「あー、はははっ。いえいえ」
つい、本心が口をついて出てしまい焦ったけれど、石田さんのフォローの
お蔭で白けなくてほっとした。
片手で余るほどしか会ったことのない相手に恋するなんて
俺は変人なのだろうか。
その日を境に山下は石田百子のことを以前にも増して仄かに想うように
なっていくのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
彼女の自伝小説を読んだ限りでは確か石田さんはまだ人妻のはず。
そんな女性に好意を寄せるなんて
『わぁ~、俺は変態なんだぁ~』
と山下が悶えていた夜があっただなんて……百子は知るよしもなかった。
そんなふたりの間をゆるりと梅雨が過ぎゆき、夏真っただ中へと
季節は移り変わってゆくのだった。
そして山下と百子が仕事絡みで出会って3度目の冬を迎えた時だった。
コメント
1件
ああ、もうこの回…ほんと好きだな…🤍 山下さんが百子さんの手作りケーキを一口ずつ味わうところから、もう優しい空気が滲んでて。 「僕だったら石田さんみたいな素敵な人が奥さんだったら大切にしますよ」 って、つい本音が出ちゃった後の焦り方、奥手な山下さんすぎて胸がきゅっとなる…🥀 まだ人妻って分かってるのに、それでも想いが止まらない感じ、切なくてたまらないです。続き、すごく気になります🌙