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「中村さーーん!お咲は、おにぎり食べたら満腹になって、寝ちゃったんですよー!」
桟敷席から梅子が叫ぶ。
「ありゃりゃ」
仕方ねぇーなーと、中村はごちるが、観客からは大爆笑が起こった。
「おに太郎たべすぎたかっ!」
「ニギニギ聞きたかったねぇー」
やんややんやと、ヤジが飛ぶ。
「いや!ちょい!それ、桃太郎じゃねーだろ!」
中村の抗議に、どっちでも一緒とさらに、笑いが巻き起こる。
「んじゃー、取りあえず、桃太郎だなぁ……」
中村は言うと、キィキィー耳障りな音を出した。
きゃー、わぁー、と、観客は耳をふさいで、また大騒ぎ。
「兄ちゃん!ちゃんと、やれ!」
「あーー!うちの子がぐずりだしただろっ!」
様々な苦情のようなヤジに、中村は、悪い悪い、手が滑ったとかなんとかしらばっくれている。
「じゃあ!ちゃんと、演奏するから、おれのバイオリン聞いてくれ!」
すぐに、観客からは、歓びの声があがった。
「……かなわないなぁ。中村さんには。これでまた、発表会の雰囲気に戻った!」
舞台裾で戸田は、ニンマリしているが……。
その後ろでは、二代目と支配人のやり取りを、岩崎が肩を怒らせ今にも激を飛ばす勢いで睨み付けている。
二代目も支配人も、結局のところ、木戸賃のことしか考えておらず、客の機嫌をそこなって、木戸賃を返せとならないよう、しっかりやってくれと岩崎へ迫って来たのだ。
「それは、あんた達が、勝手に演目表とやらを作ったからだろう!何を責任転嫁しているっ!」
苛立つ岩崎に、二代目、支配人は、小さくなるが、今度は開き直ってか、
「だけど京さん!最後は、べっぴんさん、そう!女学生が花を添えるってぇのが、盛り上がるだろ!あの、小生意気なのが来ないならどうすんだよっ!誰か代わりに女学生が演奏するのかい?!」
二代目は、粘る。
「いや、やめだ。残念だが、一ノ瀬君の出番は無しだ。代役も立てない」
「ええ?!」
「そ、そんなっ!ど、どうやって、お客様に説明すれば!」
岩崎の決断に、二代目と支配人は、取り乱した。
「観客には、本人欠席、体調不良とでも言っておけば良いのではないですか?それより、岩崎先生……中村さん……あれ……」
戸田が、岩崎へ中村を見てみるように呼びかけた。
「岩崎先生、あれ、違いますよね?中村さんは、確か、 フォーレの夢のあとに、でしたよね?」
「ハンガリー舞曲か……。あいつ、場を盛り上げようとして演奏曲を変更したのか。余計な気を使わなくてもいいのに」
いつぞや、お咲の前で演奏比べ的な事を行った曲だ。
子供のお咲が、岩崎の演奏には喜んだ。
つまり、今集まっている客にも受けると思って、中村はこの曲を演奏しているのだろう。
確かに、客達は、曲に合わせて手拍子している。
楽しいという熱気が、舞台にも十分伝わって来た。
「あれ!?中村さん、無茶するなぁーチャルダックって!?」
戸田が、半ば呆れている。
「……あいつ、ほんと、何を考えているのやら……」
岩崎も、中村の暴挙とも言える、暴走に、それ以上言葉がでない。
中村は、元々演奏していたハンガリー舞曲に、別の曲、チャルダック、それも、出だしと前半を飛ばし、聞きどころの難易度の高い部分を繋げて弓を引いている。
「おそれいったな。二曲連曲ですか……」
そこまでしなくともと、戸田は、肩をすくめた。
「まっ、中村のやりそうなことだ。音は、ずいぶんはずしているが、皆、喜んでいるなら、よしとしなければな」
岩崎は、ふっと笑う。そして、
「二代目、いや、支配人。これだけ盛り上がっている。あと二名で終わりだ。一ノ瀬君の出番はなくとも観客は納得するだろう」
支配人へ向き直り、厳しく言った。
「はあ、左様で……」
支配人は、観客の大きな手拍子、時折聞こえる指笛と、相当な盛り上がりを目の当たりにして、岩崎の言い分を受け入れるしかないのかと、ガックリ肩を落とす。
その横では、二代目が、不服そうにしつつも、
「よっ!中村屋っ!!」
と、威勢良く声をかけ、観客の笑いを誘った。