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今日・・・私投稿しすぎじゃない?
今まで書き溜めてた中太小説まだ半分も終わってないんだけど・・・。
まあ毎日下書きに書き溜めてるんだけどさ(伝われ)
次。シガレットキス。タバコとタバコの先くっつけて火渡すやつ。
ヨコハマの夜は、常に硝煙と塩水の匂いが混ざり合っている。 ポートマフィアと武装探偵社。本来ならば銃口を向け合うべき二つの組織が、共通の敵を叩くために一時的に手を組んだ夜。その「共闘」という名の暴力的な狂騒が幕を閉じた直後のことだった。
場所は、大桟橋から少し離れた古い倉庫の屋根。海風は三月の冷気を孕み、戦いで熱を帯びた身体を容赦なく冷やしていく。 中原中也は、黒い帽子の鍔を指先で少し押し上げると、手慣れた動作で上着のポケットから煙草の箱を取り出した。カチッ、という硬質なジッポーの音が静寂を切り裂き、小さな火種が夜の闇に灯る。
「……終わったな」
中也が吐き出した煙は、白く細い尾を引きながら、すぐに強い海風に攫われて消えた。 隣に立つ太宰治は、血と砂に汚れたコートの裾を翻し、ただ黙って黒い海を見つめている。首元や手首に巻かれた包帯は、月光を反射して不気味なほど白く浮き立っていた。
中也は煙草を深く吸い込み、肺の中にその熱を溜め込む。戦いの高揚感を鎮めるための、彼なりの儀式だった。 その様子を、太宰はじっと、まるで未知の深海生物を観察するかのような瞳で見つめていた。
(……煙草、か)
太宰は不意に、自分のコートのポケットを探った。指先に触れたのは、以前、潜入調査の際に小道具として購入したまま、一度も封を開けていなかった煙草の箱だった。 死を希求し、あらゆる苦痛を自らに課してきた男にとって、煙草という「緩やかな自殺」の象徴は、皮肉にもこれまで一度も手を出すことのない領域だった。
「……ねえ、中也。一本、恵んでくれないかい?」
「あぁ? 手前、煙草なんて吸うのかよ。肺が腐るぞ」
「君に言われたくないな。……それに、君がそんなに美味そうに吸っているから、少し興味が湧いただけだよ。毒見というやつさ」
太宰は箱から細い一本を抜き取り、薄い唇の間に挟んだ。 だが、そこで彼は決定的な欠落に気づく。
「……あぁ、しまった。火を忘れたよ」
太宰は呆れたように独り言を漏らした。元より火を携帯する習慣などない。彼は指先で白い棒を弄り、すぐに飽きたようにそれを口から離そうとした。
「やっぱ、やめるかな。火をつける手間をかけるほど、私の忍耐強さは安くないんだ」
そう言って太宰が煙草を指先で弄んだ、その刹那だった。 横から伸びてきた力強い手が、太宰の細い手首をガシリと掴んだ。
「……待てよ。火なら、ここにあるだろ」
中也の声は、地を這うような低音で、どこか湿り気を帯びていた。 驚いて振り向く太宰の視界に、中也の端正な顔が急激に近づいてくる。 中也は太宰の手首を掴んだまま、自分の唇に咥えていた煙草を、太宰の唇の間へと無理やり押し戻した。
「……中、也……?」
「動くんじゃねえぞ。……吸え」
有無を言わせぬ命令。 中也は自分の煙草を咥え直し、太宰の唇にある真っ新な煙草の先端へ、自身の赤く燃える火種をそっと、けれど逃がさないように押し当てた。
シガレット・キス。 二人の吐息が至近距離で混じり合い、鼻先が微かに触れ合う。中也の肺から漏れた紫煙の残り香が、太宰の鼻腔を直撃する。 太宰は、目の前にある中也の瞳に、逃れられない重力のような執着を見た。
中也は太宰の目を逸らさず、深く煙を吸い込んだ。火種が鮮やかに赤を増し、太宰の持つ煙草へと熱が、命が、移っていく。 ジリ、と微かな音がして、太宰の煙草からも細い煙が立ち上った。
中也が唇を離すと、冷たい海風が二人の間に割り込んだ。 だが、太宰の顔には、風でも冷やしきれないほどの熱が宿っていた。
「……ごほっ、ごほっ……! ……最悪だ。喉が焼けるみたいだよ。何を好んでこんな……っ」
初めて肺に吸い込んだ異質な煙の刺激に、太宰は激しく咳き込んだ。 中也はそれを見て、愉快そうに鼻で笑う。
「ははっ、様にならねえなぁ。天才・太宰治が、煙草一本でそんなに赤くなってやがる。耳まで真っ赤だぜ?」
「……うるさい。君の渡し方が乱暴すぎるんだ」
太宰は悔しそうに中也を睨みつけ、それから再び、火の点いた煙草を恐る恐る口に運ぶ。 中也から分け与えられた熱は、今も煙草の先端で静かに燃え続けている。 だが、二口、三口と吸い込んでみても、そこには期待していた「味」など存在しなかった。
「……ねえ、中也。これ、味わかんないんだけど」
太宰は煙を吐き出しながら、どこか投げやりに言った。 舌に残るのは不快な苦味と、微かなヤニの臭い。そして何より、先ほどの中也の唇の感触や、混じり合った呼吸の余韻が、煙の味以上に脳を支配してしまっていた。
「あぁ? 味が分かんねえなら、もっと深く吸ってろ。……それとも、もう一度火が消えそうか?」
「……馬鹿。もう二度と御免だよ」
太宰は赤面したまま、それでも煙草を離そうとはしなかった。 海風に吹かれながら、二つの煙が夜の闇へと登っていく。 言葉にできない感情を、紫煙の中に閉じ込めるようにして、二人はしばらくの間、並んで夜の港を見つめ続けていた。
太宰の指先に残る熱は、いつまでも消えることなく、彼の白く冷えた肌を焼き続けていた。
「……次は、もう少しマシな毒を教えてあげるよ」
太宰は小声で呟き、短くなった煙草を海へと放り投げた。 中也もまた、満足げに最後の煙を吐き出すと、太宰の隣を離れることなく、次の戦場への準備を始めた。
太宰が放り投げた煙草の吸殻は、暗い海面へと吸い込まれ、一瞬の火花を散らして消えた。 けれど、口内に残る苦い感触と、喉の奥にこびりついた熱は、潮風に晒されても一向に引く気配がない。それどころか、心臓がいつもより少しだけ早く脈打っていることに、太宰は内心で舌打ちをした。
「……おい、太宰。何ボーッとしてやがる。帰るぞ」
中也が背中を向け、倉庫の梯子へと向かおうとする。 その背中を見つめながら、太宰は先ほど感じた「物理的な重圧」を反芻していた。中也に腕を掴まれた感触。鼻先が触れ合う距離で交わされた、暴力的なまでの親密さ。
(味わかんない、なんて言ったけれど)
本当は、分かっていた。 煙草の味ではなく、中原中也という男が持つ、圧倒的な生の実感。 死を願う自分とは正反対の場所に立つ彼から、火を分け与えられるという行為が、どれほど自分の「不浄」を炙り出したか。
「……ねえ、中也」
「あぁ?」
「君、やっぱり煙草の銘柄変えた方がいいよ。あまりに苦すぎて、私の繊細な味覚が死んでしまった」
「抜かせ。手前の味覚が死んでるのは、普段から妙な薬品やらキノコやら食ってるからだろうが」
中也は足を止めず、ぶっきらぼうに言い返した。だが、その耳たぶが、月の光のせいか、それとも別の理由か、ほんの少しだけ朱に染まっているのを太宰は見逃さなかった。
太宰は、まだ熱を持っている自分の唇を、無意識に指先でなぞった。 二人の間には、もはや言葉など必要ないほどの年月と、それ以上に重い「因縁」がある。 今回のようなシガレット・キスも、彼らにとっては喧嘩の延長線上の、ほんの悪戯のようなものだったのかもしれない。
けれど。
(火を忘れたのは、本当は、わざとだったかもしれないね)
太宰は誰にも聞こえない声で独りごちた。 中也が自分を引き寄せ、その熱を無理やりねじ込んでくることを、どこかで期待していたのではないか。 自分一人では灯せない火を、彼なら強引に灯してくれると、知っていたのではないか。
「……置いていくぞ、モヤシ野郎!」
「あぁ、待ってよ。中也は歩くのが早すぎるんだ。もっと私のペースに合わせる努力をしたまえ」
太宰はいつもの軽薄な笑みを貼り付け、中也の後を追った。 頬の赤みは、まだ完全には引いていない。 海風に吹かれながら、二人の影は倉庫の屋根を滑り降り、ヨコハマの深い闇へと消えていく。
ポケットの中の空になった煙草の箱は、もう二度と開かれることはないだろう。 けれど、今夜分け与えられた「味のしない熱」だけは、太宰の肺の奥深くに、消えない痣のように刻まれ続ける。
中也が歩きながら再び煙草に火をつけようとするのを、太宰は横からひょいと取り上げた。
「……何しやがる!」
「さっきの味が不確かだったから、もう一度確かめようと思ってね。……今度は、私が君に火を貸してあげるよ」
太宰は悪戯っぽく微笑み、中也のジッポーを奪い取った。 カチッ。 再び灯った火が、二人の顔を近くで照らし出す。 夜はまだ、始まったばかりだった。 冷たい潮風の中で、二人の間に漂う煙だけが、唯一の確かな温度を持って揺れていた。
「……手前、本当に……」
中也の呆れたような、けれどどこか嬉しそうな溜息が、夜の港に溶けていった。
歩き出した二人の足取りは、どこか浮ついていた。 中也は奪い返したジッポーをポケットに叩き込み、太宰は相変わらず不敵な笑みを浮かべている。 だが、その裏側にある熱量は、誰にも見えないところで確実に二人を蝕んでいた。
太宰は、肺の奥に残る違和感を拭い去ることができない。 先ほどの煙。あれは、単なる煙草の煙ではなかった。中也という男が吸い込み、排出し、そして自分に押し付けた「体温」の成れの果てだ。 そう考えると、再び吐き気がするような、あるいは心地よい目眩のような感覚が彼を襲う。
「……ねえ、中也」
「んだよ、しつこいぞ手前」
「君はさ、なんで私に火を貸したんだい? 私がやめるって言ったのを、聞き逃さなかったはずなのに」
中也は一瞬、足を止めた。 夜のヨコハマの、人影のない路地裏。自販機の明かりだけが、二人の足元を不気味に照らしている。
「……さあな。手前が、あまりにも情けねえ顔して煙草を見てたからじゃねえのか」
「情けない? 私が? 心外だな。私はいつだって完璧な美男子だよ」
「……死にたがりのくせに、火の一つも起こせねえのが、滑稽だっただけだ。……火もつけられねえ奴に、死ぬ資格なんてねえよ」
中也の言葉は、鋭いナイフのように太宰の胸を掠めた。 それは中也なりの、最も不器用で暴力的な「生への執着」の強要だった。 自分が火を灯してやるから、勝手に消えるな――そう言われているような気がして、太宰の胸がズキリと痛む。
「……厳しいね、中也先生は」
「うるせえ。……ほら、行くぞ。本部に報告しねえと終わらねえ」
中也は再び歩き出す。 太宰はその広い背中を見つめながら、自分の頬を手のひらで押さえた。 まだ、熱い。 シガレット・キスの感触。 煙の味。 中也の匂い。
それらすべてが混ざり合って、太宰治という男を形成する「虚無」の隙間を、無理やり埋めていく。 (味わかんない、なんて……やっぱり嘘だ)
口の中には、確かに熱い鉄のような、そして冬の海のような、複雑で苦い「生」の味が広がっていた。 二人は夜の街へ消えていく。 明日になれば、また敵対する組織の人間として、あるいは歪な相棒として、火花を散らすことになるだろう。 けれど、今夜この瞬間だけは、一本の煙草で繋がった「共犯者」だった。
太宰は、もう一度だけ、空っぽになったポケットの箱に触れた。 夜が明ける頃には、この熱も、屈辱的な赤面も、すべて幻のように消えてしまう。 それでも、肺の奥に残るあの苦みだけは、中原中也という存在を刻み続けるための、唯一の証言者となる。
「……中也。今度の任務が終わったら、また火を貸してよ」
「あぁ!? ……手前、もう吸わねえんじゃなかったのか」
「気が変わったんだ。……次は、私が君を驚かせてあげるからね」
太宰の含みのある笑みに、中也は「勝手にしろ」と吐き捨てた。 ヨコハマの空には、薄らと夜明けの兆しが見え始めていた。 消えることのない火種を胸に抱いたまま、二人はそれぞれの居場所へと帰っていく。
その歩幅が、一瞬だけ、完璧に重なった。