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五曲目を歌い切ったところで私は舞台を降りた。
人だかりも徐々に減り、私は赤い金魚亭のマスター、オズマンの奢りで少し遅い昼食を摂ることになった。
勿論、仮面はつけたままだ。
カウンターに座り、料理を待つ。
「さ、どんどん食べてくれ」
目の前に置かれたオズマンの料理は、どれも美味しかった。私は遠慮なく、残さずいただくことにする。
夢中で食べていると、どこからか強い視線を感じた。
「ん?」
ふと、顔を斜め後ろに向けると、こちらを見ていた男がさっと視線を外す。あれって……?
「さっきの!」
私、思わず指をさして声を上げてしまう。男が慌ててカウンターへとやってくる。
「やっぱりそうか! あんた、更衣室のっ」
その光景を思い出したのか、男は心持ち顔を赤らめた。
「まさかこの店の歌手だったとはな。……さっきは悪かったよ。まさか人がいるなんて思ってなくて」
素直に頭を下げられ、私も恐縮する。
「ああ、大丈夫ですので」
あっけらかんとそう答える私を見て、男が目を丸くする。
「いや、普通なら泣き崩れるか、慰謝料請求するか、結婚せがむかの、どれかだぞ?」
へぇ、この世界では下着姿見られるとそんなに大変なんだ。
「そうなんですか? へぇ」
私、料理片手に生返事。
「ぷっ、なんだよその反応」
「だって、大袈裟でしょ、たかが更衣室覗かれたくらいで」
「覗いたわけじゃねぇ!」
男が顔を真っ赤にして叫ぶ。そして周りの視線に気付き慌てて声を潜めた。
「なんにせよ、お気になさらず」
私、最後の一口を頬張ると、お皿を置いた。
「ご馳走様でした!」
声を掛ける。厨房から出てきたオズマンに、顔に付けていたお面を外し、渡した。
「歌、ありがとな」
「こちらこそ! じゃ、」
片手を上げ、赤い金魚亭を出る。
そろそろ帰らなければ。あまり遅くなるとマルタが心配する。私は家路に着くため、相乗り馬車を探す。と、
「おい、待てよ!」
走ってきたのはさっきの男。
「なにか?」
「あんた、あの店の歌手じゃないのかよ?」
息を切らして聞いてくる。オズマンに「ノアの次の出演はいつか」と聞いたら「次はない」と言われ慌てて追ってきたのだという。
「ああ、私は通りすがりの歌手です。多分もうあの店には……」
「じゃあっ!」
男が私の両肩に手を置いた。
「あんたには、どうやったら会える?」
赤い顔でそんなこと聞かれても、困るのだけどね……。
「申し訳ありませんが、もうお会いすることはないかと」
「なんでっ?」
「えっと……遠くへ行くので」
「どこにっ?」
「それは言えません」
「なんでっ?」
……子供かっ。
私、眉間をひくひくさせながら、ニッコリ笑う。
「個人的な事情がありますもので、これ以上は申し上げられません。失礼いたします」
言葉は丁寧でも、言い方に目一杯の棘を含ませ、言い放つ。さすがに私が怒ったことを理解したのか、男は私の肩に乗せていた手を退かす。そして一言、
「面白ぇ、女」
と呟いたのだ。
おもしれぇ、おんな、と!!
こんなのフラグ以外の何物でもないじゃないっ! 私、慌てて走ったわ。一刻も早くこの男から離れなきゃって感じたもの。
ところが男が追ってくる。
冗談でしょ!?
あっけなく私を捕まえると、彼はこう言ったのだ。
「名前と家、教えてくれない?」
「……何のために?」
「結婚を申し込みに行く」
ほらぁ……
面倒なことになった。
「私とあなたでは身分が違いすぎますわ。結婚など、有り得ないことです」
この世界のことはまだよくわからないけど、それっぽい発言で場を濁そうとする私と、
「困難は乗り越えるためにある。問題ない」
初めて女にときめいちゃった、みたいなウルウルした瞳の男が見つめ合う。
私は深い、深い溜息をつき、言った。
「では、明日、改めてここで会いましょう。それでよろしいですか?」
観念した私を見て、男がパッと顔を紅潮させる。
「よし、わかった!」
私はこうして、体よく彼を撒くことに成功したのである。