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マリアンヌは、小走りで庭を移動する。ウィレイムが先に到着してしまったら意味がない。
ウィレイムは、朝は時間を惜しんで玄関ホールのすぐ傍まで馬車を回すが、帰宅時は馬車置き場で降りる。
デスクワークが多いから、運動不足を解消するために歩きたいというのが理由だが、おそらく使用人の仕事を減らすために気遣っているのだろう。
ロゼット邸は広いせいで、馬車置き場に到着するころには、マリアンヌは完全に息が切れてしまっていた。
弾む息を整えながら、馬車置き場を覗く。幸いにもウィレイムの馬車は、まだ到着していなかった。
ホッとしたマリアンヌが淑女らしい歩調に変えた途端、足が止まる。
エリーゼとレイドリックが、同じ馬車に、乗り込もうとしていたのだ。
しかも、エリーゼの腰には、レイドリックの手が回されていた。ぴったりと身体を密着させている二人は、今にも唇が触れてしまいそうだった。まるで恋人同士のように。
目に映る光景には、自分が一番大切にしている友情というものが存在していなかった。
眩暈がする。息が上手く吸えない。
「……どうして?」
マリアンヌは、喘ぐように呟いた。
けれど、その問いに答えてくれる者はいない。二人を乗せた馬車はカラカラと軽快な音を立てて、屋敷の外へと消えて行ってしまった。
それから、どれくらい時間が経ったのだろうか。
「どうした?マリアンヌ」
耳に馴染んだその声で、我に返ったマリアンヌは、声のする方へと顔を向けた。
そこには兄のウィレイムと、もう一人、帯剣をした青年が並んで立っていた。
「どうしたんだい?マリー」
再び問われ、マリアンヌはぎこちなく笑みを浮かべる。
「お兄様の馬車が見えたから、お迎えに……」
言いながら、マリアンヌはそうだったと思い出す。
今見た信じたくない光景を無理矢理心の中に押し込んで、おかえりなさいと伝えれば、ウィレイムは、破顔した。
「たまには宰相と喧嘩をして、早退するのも悪くないな。なぁ?お前もそう思うだろ」
ウィレイムは同意を求めるように、隣にいる青年に目を向けた。
「ご冗談を。書類の海を泳いでいる宰相閣下が哀れです」
「はっ。あれくらいの書類、私は毎日片手でこなしているんだ。あの程度で泣き言を言ってもらっては困る」
「……そう、宰相閣下にお伝えしても?」
「いや。今のはただの戯言だ。聞き流せ」
「御意に」
何度目かのやり取りで、ウィレイムの主張を却下した青年の名は、クリスと言う。
彼は、宰相補佐をしているウィレイムの護衛騎士で、ウィレイムの幼馴染であり、マリアンヌとは数え切れない程、顔を合わせてきた。
でも、いつまで経ってもマリアンヌは、クリスの前では委縮してしまう。
漆黒の髪に、アイスブルーの瞳。寡黙で滅多なことでは笑みを浮かべない彼は、常に人を寄せ付けない空気を纏っている。すらりとした長身と、整いすぎた顔のせいも近づき難い要因だ。
ウィレイムはマリアンヌと同じブロンドの髪に、落ち着いたオリーブ色の瞳。二人が並ぶと、まるで光と影のようだ。
「ははっ。相変わらずマリーは、クリスのことが苦手なんだな」
露骨に苦手だと態度に表したつもりはなかったけれど、隠しきれていなかったのだろう。
マリアンヌが、ついバツの悪い表情を浮かべると、再びウィレイムが笑い声をあげる。
「ははっ、まぁクリスを苦手とする人は多いから気にするな。それより、ここは寒い。そろそろ部屋に戻ろう。あ、そうだ。悪いがマリー、私とこいつの分のお茶を部屋に運んでもらえるか?」
「……は、はい。わかりました」
たじろぎながらも、マリアンヌはなんとか返事をした。なぜ自分がと、少し不満に思ってしまったけれど。
*
屋敷内に戻ったマリアンヌは、二人分のティーカップと、お茶の入ったポットをお盆に載せてウィレイムの私室へと向かう。
カチャカチャと陶器が揺れる音を聞きながら、馬車に乗り込もうとしたエリーゼとレイドリックの光景を思い出す。
「……きっと、見間違いだったのよ」
マリアンヌは、そう自分に言い聞かせた。
それに、そもそもエリーゼと自分のどちらかがレイドリックと結婚しようとしていたのだから、二人がそういう関係になっていても、別に気にすることではないはずだ。
(じゃあ、なんで……こんなに胸が痛いのかしら?)
答えをマリアンヌは知っていた。でも、認めたくなかった。
二人が自分に隠し事をしていたのを。友情を一番に考えているのが、自分だけかもしれないという恐怖を。
一度でも認めてしまえば、次々と問い詰めたくなる。
いつから二人はそういう関係になっていたの?
エリーゼは、どうして自分とレイドリックに結婚するよう強く勧めたの?
どれも認めたくないし、考えたくもないことばかり。こんなもやもやした気持ちは生まれて初めてだ。
マリアンヌは、足を止めて深い息を吐く。再び歩き出すのに、少し時間が必要だった。
そんな彼女の後ろ姿を、じっと見つめてる人影がいた。
それは、ウィレイムの護衛騎士──クリスだった。