ナルディエーロが展開してくれた巨大スクリーンを見上げる。
縁取りが赤いスクリーンは、血の鏡と呼ばれるスキルだそうだ。
如何にも吸血鬼らしい呼称に、厨二病心が疼いてしまう。
テレビの生中継が可能なスキルとでも表現すればいいだろうか。
リアルタイムで屋敷の外で行われている戦闘が見えていた。
私にとってはテレビの生中継を見ている日常的な感覚だが、ナルディエーロと私以外は初めて見たようで興奮冷めやらぬらしく、熱く語り合っていた。
ネル、ネマ、ネイの三人が、興奮も幾らか落ち着き、鑑賞態勢に入った全員に飲み物を用意している。
始まる前にトイレに行っておこうかしら? と思うも、すぐに終わる気もするし……と踏んで、行くのは止めておいた。
お茶会の最中にトイレに行くタイミングって、結構迷うよね。
今回は皆気にしないで席を外していたから、いいけれど。
「しかしまぁ、何処の手のものか、あれは」
呆れた声はバザルケット。
その指先はネイの頭を撫でている。
ネイは指先に生えている狼毛の感触を楽しむ表情をしていた。
なかなかにマニアックだと頷いておく。
「そうでございますね……マルテンシュタイン家の手の者……が濃厚かと」
バローは思案顔。
恐らくその推測は間違っていないのだろう。
どこまでいっても愚かな家系らしい。
娘に対する断罪への意趣返しといったところなのだろうか。
「あそこまで質が落ちるものか……暗殺ギルドに依頼する方がマシなのでは?」
キャンベルがマスターらしいような、らしくないような発言をしている。
冒険者ギルドのマスターが暗殺者ギルドを勧めるのはどうだろう?
同じギルド同士である程度の交流はあるのかもしれないが。
あるのならちょっと紹介してほしい気もする。
キャンベルの紹介なら、違う誰かの紹介より安全だろう。
「そのお金を惜しんで、ごろつきを雇ったんじゃないでしょうかねぇ」
透理の意見にはなるほどと頷いた。
ごろつきなら安価で雇えるから無難ではあるだろう。
使い捨ての駒に無駄金をはたくのを避けた結果なのかもしれない。
しかし何事も程度があるのだ。
使うべきところで金を使えない金持ちって、哀れだとは思いませんか? と夫がアルカイックなスマイルを浮かべてよく言っている。
全く以て同意だ。
「それにしてもまぁ……他にも選びようがあっただろうに……」
ナルディエーロは深い溜め息を吐いている。
襲撃者のお粗末さに呆れきっているらしい。
「人を見る目がございませんのも、マルテンシュタイン家の特徴ですわ。暗殺ギルドの依頼拒否リストのトップに名を連ねておりますのよ? どのような形であったとしても、かかわってしまうと損しかしないのだという噂ですわ」
ローザリンデ。
なんでそんな情報を知っているのかしら?
実は暗殺ギルドのトップと仲でもいいのかな?
本人に自覚があるかどうかはわからないが、ローザリンデは結構な人誑しだと思う。
以前もそうだったとしたら、王はさぞ嫉妬していたに違いない。
改めて王妃にと望むのであれば、そんな葛藤を押し殺せたのかもしれないが。
もし愚王のままであれば。
ローザリンデが望むのならば。
彼女を王に祭り上げるのに協力は惜しまないつもりでいる。
スクリーンの中では、戯れ言に付き合うのに飽きたらしいフェリシアが軽くハルバードで空を凪ぐ。
ふおんと空気がハルバードに絡みつき、引き離される音がした次の瞬間。
三人の男が昏倒した。
首を切った方が容易かろうに、捕縛を命じた彩絲と雪華に従ったようだ。
一凪で三人を戦闘不能にさせる妙技の鮮やかさに、ナルディエーロとバザルケットが感心した声を上げている。
バローは、お許しいただけるならばローザリンデ様の護衛頭としてお勤めいただけぬものだろうか……と額に皺を寄せていた。
見目も麗しく実力があり、さらには絶対的な信頼が置けるフェリシアは、さぞ得がたい護衛と映ったに違いない。
ローザリンデとフェリシアが望むなら、仕えさせてもいいが、二人とも望まないだろう。
せいぜい遠慮がちに、時々であれば……という頻度になるはずだ。
バローもその辺りは理解しているが、つい口に出してしまったのだろう。
それほど、フェリシアの一閃は鮮やかだったのだから。
残った男たちはぽかーんと口を開けている。
無防備な無様さから、男たちの実力が察せられた。
地面に転がった男たちは、彩絲と雪華の眷属に運ばれていく。
小蜘蛛たちが糸で手足を運びやすい形で縛り、小蛇たちが複数並んで動けぬ男たちを見事な足並みで運んでいく。
二人の男から絶叫が上がった。
蜘蛛嫌い、蛇嫌いは多いからね。
しかし作った女性の声より甲高かったです。
咄嗟の悲鳴が甲高いとか姫属性ですか?
「うるさいですわ!」
ぴゅおおおおっと吹雪が荒れる音がしたかと思えば、絶叫を上げた男たちが凍っていた。
間抜けな格好をした氷像だ。
タイトルをつけるのなら、逃げそびれた犯罪者、といったところか。
ある種のコミカルさすらあった。
凍ってしまっては身動きなど取れまい。
何が起こったのかもわからないままで。
蛇と蜘蛛に怯えた表情と格好で氷像となった二人の男は、糸で巻かれもせず、そのまま運ばれた。
ふと見ればキャンベルが彩絲と話をしている。
犯罪者をどうするかの打ち合わせをしているようだ。
バローも入っていったので、私が標的ではなく、ローザリンデが獲物だったのだろう。
王城の地下牢へ放り込んでほしいと頼み込んでいる。
キャンベルと彩絲が私を見つめるので、頷いておいた。
バローになら任せても問題ないだろう。
ただ地下牢へ入れるまでは、彩絲か雪華、もしくはキャンベルも一緒に行ってほしいところだ。
ぱっしーん、ぱっしーん、ぱっしーん!
と鞭を揮う音が立て続けに響いた。
どれも同じ音に聞こえたが、喰らった男の反応はそれぞれ違う。
一人目の男は股間を押さえて、悶絶した。
白目も剥いているし泡も吹いている。
あ、崩れ落ちた。
この痛みは女性である自分にはわからない。
私もわかりたくありませんよ……と、久しぶりに夫の力ない突っ込みが聞こえる。
夫もここまでの衝撃を受けた経験はないのだろう。
痛い思いをさせたくはないので、今後もそんな経験に遭遇しないでほしいものだ。
二人目の男は目を押さえて転げ回った。
鞭の切っ先が目を叩いたのなら、失明も免れない。
「軟弱者めが!」
吐き捨てているセシリアの様子から察するに、瞼や目の下を狙って、眼球は傷つけていないのだろう。
しかしまぁ、あの早さと強さで叩かれたら、失明したと勘違いするのも責められまい。
自ら目を押さえるなんて、愚か者め! とばかりに、小蜘蛛たちが躍りかかっていく。
私は慣れているが、ローザリンデは息を呑んでいた。
それだけですむのは、むしろさすがだと感服する。
何せ男には数十匹の小蜘蛛がわらわらと集ったのだから。
無事な男たちもすっかり尻込みをしていた。
縛り上げられスムーズに運ばれていく男を、涙目で見つめながら地面に這いつくばっている三人目は、鞭で膝かっくんをされたらしい。
それだけで、這いつくばうかしら? と考えるも、不意の膝かっくんが恐ろしい技なのは知っている。
立ち上がろうとしても何故か力が入らないのだ。
男も足を震わせながら、唇も震わせている。
自分の末路を悟ったのだろう。
死んだ魚の目をしていた。
抵抗する気力を失った男にも小蜘蛛たちは容赦なく糸を吐き出した。
これなら立てるだろう? とばかりに膝がぐるぐると糸で巻かれているが、優しさの証ではなさそうだ。
逃げようとした男たちの足は、ローレルの氷魔法で地面と一体化した。
力を入れて逃げを打とうとした男の何人かが、悲鳴を上げる。
激痛が走ったのだろう。
芯から凍り付いた足を動かしたらどうなるかなんて、想像もつかないのだろうか。
パニックを起こして冷静な判断ができていない可能性も高い。
透明の氷が内側から赤く染まっていく様子に、男たちは逃げるのを諦めたようだ。
既に罵声を浴びせる気力もない。
氷は人の体から容易く熱を奪うのだ。
「お、お助け、ください。おれらは、めいじられた、だけなんだよ!」
すっかり赤く染まった足とフェリシアたちを交互に見ながら、寛恕を乞うている男に、ローレルが甘やかな声で囁く。
「あらあら。命じられただけでしたならば、そう言って許しを請えば、そんな怪我をせずにすみましたのに」
「今更助けを乞うな。乞うくらいなら襲撃などするな」
「そもそもこの屋敷の情報を正確に掴んでいましたならば、命じられても攻め入る愚行になど走りませんでしたでしょうに。幾ら貴男方が愚かな者だとしても、ねぇ?」
フェリシアは呆れて溜め息とともに。
セリシアは屑を見る目で見下しながら、抑揚のない口調で男に言葉を返す。
言葉が返ってくる分、甘い対応なのだと。
知れない男はやはり、どこまでも愚かなのだ。
しかし開こうとした口は、小蜘蛛たちの糸で塞がれてしまった。
小蜘蛛も小蛇も。
三人より、愚者たちに冷たかった。
襲撃者を縛り上げてから行った尋問の結果は、想像の範囲内だった。
マルテンシュタイン家が手配したごろつき。
フリーの暗殺者どころか、傭兵崩れですらない、ただの粋がっただけのチンピラ。
しかも手配したのは次期マルテンシュタイン家当主というのだから笑うしかない。
「次期当主……武もない癖に武勇を語り、智もない癖に智略に溺れるゲスヤロウでしたわ」
げすやろう!
ローザリンデの口から出ると貶める言葉も、何故か品良く聞こえるから不思議だ。
「本当に……マルテンシュタイン家は救いようのない輩ばかりでございますねぇ……」
バローが遠い目をしている。
王城に務める実力者としては思うところがあるのだろう。
「彼の者たちには、普通を、一般を認識してもらうのに、一番労力を要するのですよ」
ナルディエーロが冷笑を浮かべた。
凄く似合う!
……それはさて置き。
立会人として対峙する場面が幾度となくあったのだろう。
愚かの極みとはいえど、公爵家。
汚い金と最後の一線で切り捨てられる寸前の権力を使い、我が物顔で弩級の立会人を呼んだのだ。
ナルディエーロも恐らく、一度ぐらいは対峙しておこうと考えたに違いない。
どうやらそれを酷く後悔しているようではあるが、噂に惑わされるのがどれほど愚かなのかナルディエーロはよく理解しているから、苦渋の決断だったのだろう。
「まぁ、しっかり背後も吐かせた上に、証拠も揃っておるのだ。明日は大手を振って王城へ乗り込めば良かろうて」
「さもありなんですね! じゃあ、本日はここまででお開きにしましょうか、アリッサ?」
「ええ、そうですね。皆さんも今宵はゆっくり英気を養ってくださいね。明日は間違いなく、いろいろと面倒事にかかわらざるを得ない羽目に陥ると思いますので」
「くくく。一番アリッサが大変なのは間違いなかろうなぁ」
バザルケットの言葉を聞き、いやいや一番はローザリンデでしょう、と裏手拳の突っ込みを入れたくなったが、ローザリンデも私を見てにこやかに笑っている。
彼女のためなら、面倒事も多少は我慢しよう。
私には夫もいてくれるしね!
ええ、勿論ですよ。
愚かが過ぎるようであれば、容赦ない干渉をしますから、貴女は安心して堪能してくださいね、ざまぁを!
おぉ、ざまぁ。
因果応報。
世知辛い世の中にあって、なかなか目にできない自業自得に相応しい結末。
夫が私を異世界へ送り込んだのはそもそも、めくるめくざまぁを体感させようとしたからだ。
まだまだメインのざまぁには遠い気配がするが、今回の一件は前哨戦に相応しいものだろう。
何しろ、次期王妃の名誉がかかっているのだから。
ぱんとっ大きな音をさせて柏手を打った私は、〆の挨拶をこなす。
それぞれ宿泊予定の部屋へと案内されて部屋を出て行く中で、バローとバザルケットが残った。
「最愛の御方様、不肖手前は、事前準備をいたしたいと思いますので、御前失礼させていただきたく存じます」
「立場上仕方ないのかしら? ゆっくりしていただきたかったけど、仕方ないですね。エリスさんも御一緒なのには驚きましたが……」
「バローでは足りぬ部分は自分で賄えよう。王に思う所はあれど、それ以上にローザリンデ嬢の不遇は、報われてしかるべきじゃからな」
「ええ、私もそう思います。罪のない公爵令嬢が娼館落ちなんて、物語の中だけの話でなくてはおかしいでしょう?」
「はい。全く以てそのとおりでございます。異様な出来事がまかり通ってしまうとは……魅了スキルの悍ましきことでございます」
「そうは言ってやるな、バローよ。御方とて、魅了は持っておられたであろう?」
「魅了スキルと、天性の魅了能力はまた別物でございましょう、バザルケット殿。不肖の身なれど、御方様と恥知らずな寵姫もどきを一緒にするほど、自分は落ちぶれてはおりませぬ」
「そう怒るでない。きちんと分けて考えておるならばいいのじゃよ。先の物言いでは、言質を取られる可能性が高いぞ? 聡明な王に仕えたくば、襟を正すのじゃな」
王が聡明なのではない。
聡明な王に仕上げるのは、周囲の力量にかかっている。
何せ一度失敗しているのだ。
二度の失敗はないのだと、バローとて重々承知の筈だ。
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