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誰も知らない、高嶺の花の裏側2
第1話 〚静かな始まり、違う鼓動〛
夏休み明けの校舎は、
少しだけ騒がしくて、少しだけ落ち着かない空気をまとっていた。
廊下に差し込む朝の光は、
夏の名残を引きずるように強く、床に長い影を落としている。
澪は、その影を踏まないように、
無意識に歩幅を調整しながら教室へ向かっていた。
(……変わってない、はずなのに)
制服も、通学路も、
クラスメイトの声も、全部同じ。
なのに――
胸の奥だけが、微妙に違う。
ドアを開けると、
教室のざわめきが一気に耳に入った。
「おはよー」
「久しぶり!」
「日焼けした?」
そんな声が飛び交う中、
澪は自分の席に向かう。
――何も、起きない。
以前なら、
新学期の空気だけで頭が痛くなったこともあった。
未来が勝手に流れ込んできて、
望まない映像に振り回されて。
でも今日は、
頭は、驚くほど静かだった。
(……予知、来ない)
少し安心して、
でも同時に、理由の分からない不安が胸に溜まる。
そのとき。
「澪」
聞き慣れた声が、
すぐ後ろからした。
振り向くと、橘海翔が立っていた。
夏休み前より少し背が伸びた気がして、
制服姿が、どこか大人びて見える。
「おはよう」
「……おはよう」
たったそれだけの会話なのに、
心臓が、ほんの少しだけ速くなる。
(前は、こんな音しなかったのに)
海翔は澪の顔をちらっと見て、
少し安心したように笑った。
「元気そうでよかった。夏休み、ちゃんと休めた?」
「うん……まあ」
本当は、
休めたかどうか分からない。
予知が進化してから、
“見えない時間”が増えた。
それは自由で、
同時に、怖かった。
並んで席に着くと、
机の距離が、以前より近く感じる。
触れていないのに、
存在だけで意識してしまう距離。
(……これも、変化?)
チャイムが鳴る直前。
澪は、ふと胸に手を当てた。
――ドクン。
はっきりとした鼓動。
頭じゃない。
心臓。
予知の前兆でも、
不安だけでもない。
まるで、
「これから何かが起こる」と
静かに教えてくるみたいな感覚。
(未来が、見えない)
それなのに。
(……見なくても、進んでる)
教室の窓際。
カーテンの影に隠れるように、
ひとつの視線が、澪を捉えていた。
マスクの奥の目が、
感情を隠したまま、微かに細まる。
――恒一。
彼は、確信していた。
「予知が見えない」という事実は、
終わりじゃない。
始まりだ。
誰も知らないまま、
高嶺の花の“裏側”は、
また新しい章へと踏み出していた。