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確かに刻々と変化してゆく状況の中、見直しは大事だ。
どれも納得できる内容である。
『離婚の際の条件の合意』
それを見たとき美冬はぎくんとした。
──こんなことまで考えておかなくてはいけないのね。
契約上の関係なのだと思い知らされる。
「どうした?」
「あ……いえ、離婚の際の条件とかまで決めておくものなんですね」
「どうなるかなんて分からないからな。揉めそうなことは全部文書で契約上明らかにするのがメリットだろう」
槙野にはさらりと返される。
単にふざけたような人ではなくて、冷静なビジネスマンとしての姿が美冬には見えた気がした。
書類のさらにその先は契約違反について、と記載があった。
『契約違反の場合のペナルティの合意』
【禁止行為について】
第22条 暴力行為は決して行わないこととする。
第23条 異性と二人きりでは会わないこととする。
第24条 重大な嘘や隠し事はしないこととする。
第25条 賭け事は禁止とする。
第26条 第22条~26条の禁止行為に違反した場合は、離婚の協議を行うものとする。
第27条 離婚時の慰謝料は離婚の原因を作出した者が支払うこととする。
確かに契約とはそういうのものだし、揉めないために契約書を作成するものだ。
また、何かあった場合の責任を明確にしておくメリットもある。
そうして美冬は最後の文言を見て表情を緩めた。
『第28条 甲と乙は互いの誕生日と結婚記念日を一緒に祝うものとする』
「署名します」
最後の条項に槙野の美冬への思いやりが見て取れたから。
曖昧にしてもいいことなのに、あえてこの条項を槙野は入れてくれた。
そんな気が美冬はしたから。
美冬は隣の席に置いてあったカバンからボールペンを出し、その書類に署名をする。
それを見た槙野はカバンから封筒を出した。
中から書類を出して美冬に広げてその書類をテーブルに滑らせたのである。
『婚姻届』
すでに槙野が記入するべきところは記入してあった。
「渡しておく。近々美冬のご両親にもご挨拶に行こうと思うが構わないか」
「お願いします」
「おじいさんのところも、か?」
槙野はにっ、と笑った。
「当然よ。おじいちゃんのところにも行ってもらうわ」
美冬も笑って返す。
この高飛車高圧的大型犬が祖父とぶつかるとどうなるのか、美冬は見てみたかった。
(おじいちゃんは手強いわよ。吠え面かくといいわ)
くふふっと思わず笑いが漏れる。
「お前っ、なにか企んでないか!?」
野生の勘かしらね。勘がいいわ。
美冬はさらに、にっこり笑ったのである。
「気のせいじゃないかしらね?」
「お前のその笑顔には嫌な予感しかしないんだが……」
一緒に食事をしながら、簡単な日程の打ち合わせをした。
それで美冬は分かったことがいくつかある。
まず、槙野はとんでもなく忙しい。
平日に予定を合わせるのはかなり困難だということが分かった。
美冬の家への挨拶は、再来週の日曜日に予定を組む。
祖父への挨拶には、平日病院の面会時間中に仕事を抜けてくれるという。
「槙野さんのところにも行かなきゃ」
「そうだな……」
「私、結婚式は必ずしたいの」
「ああ、アパレルだものな。もしかしてドレスは自社製か?」
「もちろんよ。それが夢だもの」
「そうか。ではそれは必須だな」
話しながら食事をしていくのだが、食べる速さが速い槙野ではあるけれど、意外と仕草やカトラリーの扱いも含めて綺麗な食べ方なのである。
美冬は食事については両親にかなり厳しく躾けられた。
その分他人の食事の仕方についてもつい目がいってしまう。
いくら身に着けているものが高級であっても食べ方に品がないことには美冬は興ざめするのだが、そういった意味では槙野に対して醒めることはなかった。
美冬の夢にも付き合ってくれて、一蹴することはなく優先してくれて美冬の都合に合わせてくれるという。
仕事が忙しくて、思いやりもあって、一緒に食事をすることも苦痛はなく、都合を合わせてくれる。
悪くないんではないかと美冬は思い始めていた。
「ああ、そういえば、今は一人暮らしか?」
「ええ」
「じゃあ、早いうちに引っ越してこい。手配はするから。とは言ってもどんなところか分からないか。今日見に来るか?」
「それ、そんなに急がなきゃいけない事ですか?」
「いろんな家庭があるだろうが、俺は夫婦は一緒に過ごすべきだと思う」
言っていることは分かるけれど、心の準備の問題だ。
そんな急に来るかといわれて、行けるわけもない。
まだ会って数回の……それは結婚するとかは決めた人なんだけど、それでも初対面に近い男性の家に上がり込むなんて、美冬にはできない。
──さっきのは撤回。マイペースだし俺様だわ。
「それ、さっきの契約書に入ってました?」
にっこり笑って美冬は言い返す。
「家賃負担について記載があったろうが」
「でも一緒に住む時期までは記載されてなかったわ」
槙野のこめかみが一瞬揺らいだ気がした。
怒ったのかと思えば、美冬は震えるような笑顔を向けられたのだ。
悪魔だ! 悪魔がここにいるっ!
笑顔だけど目が笑ってないっ!
「確かにな。では時期を記載したものを改めて用意しよう」
怖っ! 肝が冷えるよ……。
「え? じゃあ、さっきの契約書は無効ですか?」
「なわけあるか。差し替えで十分だ。言っておくが、お前がサインした時点でさっきのは有効」
あっさりとそう言って、槙野は食後のコーヒーを口に運んでいた。