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時間は少し戻る。 美冬がコンペに参加する前のことだ。
槙野がCEOである片倉から、新しい企画に参加しないかと言われたのは園村ホールディングスの仕事を終えて、しばらくしてからのことだった。
園村ホールディングスでは二年社長をして、その後一年は新社長への引継ぎ業務をしていた。
この会社はホールディングス化するほどの企業でありながら、後継者がいないという問題があった会社だ。
通常なら乗っ取りだ買取だと揉めそうな案件だが、創業者一族から株式の譲渡があった。
そのため投資先企業に経営陣を送り込んでマネジメントを行ったり、取締役を派遣して実際に経営にかかわったりするハンズオンというスタイルをとっていたのだ。
その取締役として出向していたのが槙野である。
兼務しながらこちらでも仕事をしていたけれど、やはり、経営しながらの兼務は難しいし、先日引き渡しが終わった際は本当に一安心したものだ。
今回は新たに投資する先をコンペで決めるということで『グローバル・キャピタル・パートナーズ』としても珍しい仕事の取り方であるし、業種も特定していないのがさらに面白いと思った。
技術があっても売り方や、経験が圧倒的に不足しているという会社はいくらでもある。
それが活性化していくのを見るのが槙野は好きなのだ。
久々の企画会議に参加した槙野は新規の事業に胸を踊らせていた。会議室には片倉を始め、今回の企画を提案したメンバー、それから役員の姿も見える。
槙野は手元の資料を確認した。
ITやサステナブル関連など興味をひかれるような企業も多い。
なかなかに興味深い会議を終えて、会議室を出てどの企画に参加しようかと考えていたところに、CEOである片倉から呼ばれたのだ。
「槙野にはこれをお願いしたいんだ」
片倉からポン、と渡されたファイルを槙野は開いて確認する。
「アパレル……」
正直に言えば縁はないし、興味もあまりひかれない。
「顔に出すぎだ」
片倉にあきれたような表情をされた。
「俺がアパレル?」
「扱う商品は婦人服だ。さらに縁はないだろうな。まあでもやってみたらどうかな? 技術があってもうまく売れない会社というのはあるんだろう。ここはさほど業績は悪くないけれど、面白い会社だとは思う」
片倉の感覚に関しては、槙野は絶対的な信頼を置いている。
二人は『グローバル・キャピタル・パートナーズ』を立ち上げたときからのメンバーなのだ。
そういえば……と今の企画部に数年前、アパレルに投資して相当に差益を得た担当者がいたということを槙野は思い出した。
乗り気だろうが乗り気ではなかろうが、仕事がスタートしてしまえば頭が回転してしまう槙野なのだ。
そんな槙野の後ろ姿をみて、片倉はくすりと笑った。
(結局好きなんだよな、仕事が)
片倉はここは槙野に任せて大丈夫だろうと確信していた。
槙野は副社長室に戻り、片倉から預かったファイルを自分のデスクに置いて、以前のデータを確認する。
当時アパレルの案件を担当した担当者が分かったので、連絡してみた。
『グローバル・キャピタル・パートナーズ』の社風は割と役職や部署に関係なく部下からでも意見し合える感じだ。
担当だったという池森はたまたま社内にいて、話を聞かせてくれるというので呼んで話を聞くことにした。
槙野も社員全員を把握しているわけではないから、池森を知らなかったのだが、スマートなスーツ姿に塩顔というのかイマドキのすっきりした顔立ちのさわやかな好青年だった。
槙野に対して物怖じしないところもいい。
デスクの前にある応接セットに座らせると最初は物珍しげにきょろきょろしていたけれど、槙野が問い合わせした件で尋ねると、よく覚えているのか池森は頷いた。
「ああ、エス・ケイ・アールですね」
「エス・ケイ・アール……」
「もともと新規のアパレル企業でしたけど、アグレッシブに経営したいと言うので、ファストファッションのブランドを店舗展開した会社です」
手元の資料を見ると、この『ミルヴェイユ』という会社とは経営方針も何もかも全く違う気がする。
槙野は手元の資料を池森に見せてみることにした。
「『ミルヴェイユ』知らないなぁ。うわ、これはまたエス・ケイ・アールとは全く違う会社ですねぇ」
「なるほど……」
「僕もアパレルを初めて担当したんですけど、いろいろ奥深くて面白い世界なんですよ。例えば男性もので言ったらワイシャツとかですね。槙野さんはオーダーですか?」
「俺はイージーオーダーというのを利用しているな」
「僕はパターンオーダーです。フルオーダーのシャツがいくらするかご存じですか?」
槙野は自分のシャツを比較して概算する。
「3~4万じゃないか?」
「はい。もちろんそのくらいのものが一番多いんでしょうけど、僕が知ってる最高値は12万円です」
槙野からしたら3~4万でも高いと思う。
「思ったより高い」
「分かります。僕もそう思いました。でも工程を聞くと納得なんです。裁断する前に布を水に浸して乾かしたものをカットしたり、顧客の業務内容に合わせて裁断するそうです」
「水に浸す理由はなんだ?」
「洗うことを想定しているからです。出来立ての生地を水にぬらすと必ず変形するので、それを想定してあらかじめ濡らして乾かしたものをカットする。顧客の業務内容に合わせてカッティングを工夫する。オーダーでなくてはできない世界ですね」