テラーノベル
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夕暮れの昇降口。靴箱に差し込む橙色の光が、白いタイルを染めている。
蓮司がスニーカーをつっかけながら言った。
「今日のはちょっとやりすぎだったな。泣き顔までサービスするとは思ってなかった」
遥はうつむいて、自分のローファーを履いた。
「……別に、泣いてねぇよ」
「へえ。じゃああれは何? 目薬?」
からかうように笑いながら、蓮司は肩をすくめた。
「ま、どうでもいいけど。クラスの女、全員おまえのこと“あざとすぎて無理”って顔してたな。ああいうの、逆効果ってわかっててやってんの?」
「……知らねぇよ」
遥の声は、小さかった。
「日下部の顔、見た? 半分殺意だったぞ。ついでにちょっと泣きそうだった」
蓮司の笑い方は軽い。けれど、その目は、遥を見逃さない。
遥はなにも返さなかった。玄関のドアが開いて、外の風が入ってくる。
「……蓮司」
不意に名前を呼ぶ声が、どこか硬かった。
「ん?」
「……お前、ほんとは……こんなこと、面倒だろ」
蓮司は歩きながら答えた。
「まぁね。演技してるだけって、最初から言ってんじゃん」
「……わかってるよ」
その言葉は、遥自身に向けていた。
数歩先を歩く蓮司の背中が止まった。
「けど、今日の“好きすぎて馬鹿みたい”はなかなかだったな。……ああいうの、演技で言う台詞じゃないと思うけど」
「……」
「言ったこと、忘れないようにな」
からかいのトーンは変わらない。けれど、その軽さの奥にあるものを、遥は掴めなかった。
少し遅れて歩きながら、遥は小さく呟く。
「忘れたいのは、こっちの方だよ……」
「うん? 聞こえな〜い」
蓮司はそう言って振り向かず、門の先へ出ていった。
遥はその背中を、ただ黙って追った。
“本当に、これでいいのか”──そんな問いが、喉まで出かけたが、声にならなかった。
誰のものでもない時間に、誰のものでもない関係を演じる。
それだけのはずなのに。
胸の奥で、小さな鈍痛が抜けなかった。
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