テラーノベル
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窓の隙間から差し込む無機質な朝陽は
昨夜の狂乱をあざ笑うかのように白々しく、どこまでも澄み渡っていた。
重い瞼を持ち上げたとき、私は見覚えのある自分の寝室の天蓋を見上げていた。
昨夜、あの灼熱の檻のようなルネサンス公爵の部屋で、彼を抱きしめたまま意識を失ったはずなのに。
冷え切った石の床の感触も
肌を焼くような彼の体温も、すべては幻だったのではないか。
そんな錯覚を抱くほど、部屋の中は静まり返っていた。
(……誰が私を、ここまで運んだのかしら)
考えるまでもなく、あの場には私と、死に体だった彼しかいなかった。
満身創痍の体で、彼は私を抱き上げ
この部屋まで運んだというのか。自身の呪いに焼き切られそうなその腕で。
(……あの熱。あれが、彼が王国中の羨望を浴びながら、独り隠し続けてきた『呪い』なの?)
右手の指先に残る、じんわりとした痺れ。それは彼に触れたときに感じた
あの暴虐的な皮膚の熱の残滓だった。
私はその感触を振り払うように身支度を整え、意を決して朝食の広間へと向かった。
高く聳える天井、冷徹な静寂。
そこには、昨日までと変わらぬ───いや、昨日以上に完璧な軍服姿で珈琲を啜るルネサンスの姿があった。
プラチナブロンドの髪は一筋の乱れもなく整えられ
彫刻のように整った貌には、疲労の色一つ見当たらない。
深い蒼の瞳は、研ぎ澄まされた氷の刃のように冷徹で
昨夜、あのみっともないほどに私を求め
縋り付いてきた男の面影など、どこにも見当たらなかった。
「……おはようございます、閣下。お体は、よろしいのですか…?」
私の問いに、ルネサンスは視線すら上げず、銀の匙をソーサーに置いた。
カチリ、と硬質な音が静まり返った広間に鋭く響き、空気の密度を一段と重くする。
「何のことだ。余計な詮索は無用だと言ったはずだが」
突き放すような、温度のない声。
まるで昨夜の出来事すべてを「なかったこと」として歴史から抹消しようとする彼の傲慢さに
私の胸の奥で、小さな怒りの火が灯った。
「詮索ではありません。私は、貴方様の妻として……いえ、契約相手として、家主の身を案じているだけです。あのような、命を削るような状態では、公務どころか──」
「黙れ」
ルネサンスが、椅子を引いて立ち上がる。
彼が放つ圧倒的な威圧感が、壁に飾られた肖像画すらも震わせるかのように広間を支配した。
私は思わず言葉を呑み、息を止める。
彼は一歩、また一歩と私に近づき、逃げ場を塞ぐように巨大な影を落とした。
「昨夜見たものは忘れろ。あれは一時の気の迷い……魔力の暴走に過ぎない」
彼は私の耳元に顔を寄せ、凍えるような吐息で囁いた。
だが、その距離だからこそ、私は見てしまった。
至近距離で見つめた彼の、微かに震える唇を。
隠そうとしても隠しきれない
死線を彷徨った後のような疲弊の色が、瞳の縁に僅かな濁りとなって滲んでいるのを。
「……いいえ、閣下。それは不可能です」
私は、彼の胸元に手をかけ、その厚い胸板を強く押し返した。
驚きに一瞬だけ目を見開くルネサンスを、私は真っ直ぐに見据える。
「貴方のその『熱』を癒やせるのが私の魔力だけだというのなら、私はその役割を全うします。それが、この家を救い、契約を継続させるための、私の『対価』です」
静寂が、重く、粘り強く二人の間に横たわった。
ルネサンスの美しい眉間が険しく歪み、怒りか
あるいは初めて感じる戸惑いか、彼の蒼い瞳が激しく揺れ動く。
やがて、彼は苦々しく吐き捨てるように、絞り出すような声で呟いた。
「……勝手にしろ。だが、勘違いするな。これは、治療だ。単なる、機械的な処置に過ぎない」
「──承知しております、閣下」
「……今夜から、私の寝室に来い。呪いが鎮まるまで、君を私の側に置く」
それは、甘い誘いなどではなく、逃げ場のない『義務』の宣告。
白い結婚、仮面夫婦。
世間にはそう謳いながら、私たちは夜の闇の中で
誰にも言えない、肌を焼き合うほどの秘密を共有することになる。
「愛している」という私の嘘と
「必要ない」という彼の嘘。
二つの嘘が、冷え切った回廊の風に吹かれて絡まり合い
解けない結び目となって、私たちの運命を縛り上げていく。
なのに、鏡に映る自分の顔は
いつの間にか、嘘をついているとは思えないほど真剣な眼差しをしていた。
その瞳の奥には、契約への義務感を超えた
自分でも名付けようのない熱が宿り始めていた。
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