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夕暮れ、校舎裏の自販機で買った微炭酸の缶ジュースを手に、悠翔はベンチに座っていた。
口にするたび、少しだけ舌が痛む。甘すぎる味が、どうしても「嘘」に思えて仕方ない。けれど、こういうものを買って、飲んで、ただ過ぎる時間を眺めているということ――それだけで、自分がどこか「生き延びてしまった」ことを実感していた。
隣では、同じゼミの女子がしゃがみ込み、スマホをいじっている。彼女の会話に、こちらは何も関わっていないのに、ふとした拍子にこちらを見て「ねえ悠翔くん、好きな食べ物って何?」と聞かれた。
反射的に、言葉が喉につかえる。
何でもない質問――たったそれだけの問いに、何も答えられないまま沈黙が落ちた。
「え、ごめん、変なこと言った?」
そう続けられて、ようやく首を横に振る。
でも、笑うこともできなかった。
彼女の手に持たれたスナック菓子の匂いが、急に鼻をついて、何かを思い出させた。
スナック菓子。それは、陽翔たちがたまに投げつけてくる、悠翔の口を封じるための「餌」と同じ匂いだった。
――味は違う。でも、形が似ていた。
記憶が皮膚の裏から、じくじくと染み出してくる。
些細な言葉。
何気ない視線。
それらが、時に鋭く、時に鈍く、悠翔の皮膚を裂いていく。
人と一緒にいる時間が少しずつ増えてきた。
講義で隣に座ること、食堂で他人と同じテーブルにいること、返事をすること、視線を合わせること。
けれど、それらすべては「正解のわからないテスト」のようだった。
どこまで笑えばいいのか。
どこまで話せば「普通」になるのか。
何もわからないまま、無難な言葉を重ねる。それが誰かの笑いに繋がると、ほっとするのと同時に、自分の中の「何か」がまた少し削れていくのを感じる。
――演じている。
けれど、その「演じている」自分を、他人は「素の姿」だと勘違いしていく。
ズレていく輪郭。
言葉の呼吸がうまく合わない。
けれど、それに気づかれたくないから、ひたすら合わせる。笑顔の形に。
「……悠翔くんってさ、なんか優しそうだよね」
そう言われた瞬間、胸の内側がざらりと軋んだ。
――それは、あの兄たちが「笑って言っていた」言葉と、同じ響きだったから。
雨の日、大学から駅までの道を、傘もささずに歩いていた。
鞄の奥に折り畳み傘はある。でも、取り出す理由がなかった。
濡れた髪が頬に貼りつく。靴下の中にじんわりと水が染みる。その感触が、「今ここに自分がいる」ことを証明してくれる気がしていた。
人と会うときは笑う。
少し無理してでも話す。
けれど、誰もいない帰り道では、ひとりで小さく息を吐く。
……この「自分」を、誰かが見ていたら、きっと驚くのだろう。
そんなことを考えていた。
バイトの帰り、コンビニで見かけた高校生たちが、自分より年下だということに気づいたとき、なんとも言えない眩しさと遠さを感じた。
彼らの背負うリュックが軽そうで、誰かとふざけ合う声が体の奥にひびいた。
自分は、こんなふうに笑ったことがあっただろうか。
財布の中に入っていた五百円玉を指でなぞる。
これは、今朝弁当を買わなかったから残ったお金。
結局、自分のために昼食を作るという発想は、生まれてこなかった。
誰かに作れと言われたわけでもない。ただ、兄たちのためには毎朝のように作らされていたのに。
「……あれは、弁当じゃなかった」
小さく呟いて、気づいた。
あれは「命令の成果物」であって、「食事」ではなかったのだと。
(夢の断片)
夜、眠りの淵でまたあの音が聞こえる。
バタン――濡れた足音――「来い」。
脳裏にこびりついた“あの空間”が、夜毎、形を変えて立ち現れる。
時に教室に、時に風呂場に、時に自分の寝室に。
変わらないのは、耳元で囁くように響く、あの“兄の声”だけだった。
夢の中の自分は、まるで「人形」のようで。
拒絶も、拒否も、声を上げることさえ許されない。