初めて救急隊員となり、まずは対応方法を学んだ。
経費の管理や各所との連絡のために代表、つまり医院長を決めるとなったときに思い切って立候補した。
他の隊員からの不満もなく、あっさり医院長となった。
救急隊の経験もあり、信頼できる家族の一人に副医院長になってもらった。
それからが大変だった。
医院長になった直後、相棒からギャングに誘われた。
信頼した副医院長はやりたいことがあると言って救急隊を辞めた。
救助に慣れない隊員が多い中、まずは救急隊の動きをしっかりしようとした。
救助やヘリの操作を教えた。練習用のヘリも用意した。
犯罪と思える現場には真っ先に駆けつけた。
救助要請への派遣や現場対応の指示も出した。
新しい副医院長も決めた。
いずれ自分がいなくなっても大丈夫なように。
本来、リーダー役とは無縁の人生だった。
相棒も元副医院長も、かつてはグループのトップに立っていた。
その二人に肩を並べたかった。
だから。
相棒の誘いを断った。
救急隊員が事件に巻き込まれてダウンすることが起き、彼らを守らなければと思った。
まだ救助に慣れない隊員もいる。途中で投げ出さないでずっと救急隊を、医院長を続けると決めた。
相棒は分かってくれたが、景気付けなのか殴られた。
自分の背中を預けられるのは相棒だけだ。
互いに殴り合った後、一人で泣いた。
その後、病院に帰ったら相棒が治療に来ていて笑ったけど。
そこからひたすらに医院長職をつとめた。
救助以外にやることも増えた。
銃を使った犯罪が多くなり、犯罪現場での救助要請が増えた。
現場介入にあわせ、車両の整備や手配も行った。
自分が苦手なところが得意な副医院長二人を医院長に引き上げ、三人体制にして業務内容を分担した。
ギャングに呼び出されて要求を突きつけられたり、警察上層部との打ち合わせもやった。
正直、大勢を前にしてめちゃくちゃ緊張したし頑張った。
大規模な犯罪の最前線で救助を続けた。
それもこれもダウンした後に空を眺める時間を少しでも短くしたかったから。
若手の救急隊員も現場に連れて行き実践させた。
少しでも最前線での救助を体験して成長して欲しかった。
今はどんな現場でも皆率先して救助に向かっている。
少し余裕が出てきたある日、隊員たちに呼ばれた。
「医院長たちいつもありがとう!」
救急隊員たちから自分たち医院長三人と市から派遣されているサポートたちへの感謝の手紙を貰った。
俺はみんなから貰ってばかりだ。
バイクも家も車も言葉も。
そして自分は何を返せるだろう。
自分なりに医院長をやってきたけど、側から見てどうだったのだろうか?
雪が降った日、相棒に電話した。
「楽しかった?」
「楽しかったよ」
でも。
「次は一緒に遊ぼうな」
「もちろん」
今は進む道が違うけれど。
また自分たちは出会える運命だろう。
その日まで、相棒と並び立てるよう頑張ろう。