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呉の町に、奇妙な熱気が広がっていた。
表通りから一歩裏へ入っただけで、雰囲気はがらりと変わる。まるで別の国のようだった。
こはるは、拓也の手を握りしめながら、その一角へ足を踏み入れた。
「……ここが、闇市?」
「うん。食べもんも道具も、正規の配給じゃ足りんけえな」
ざわつく声、地面に広げられた古着や缶詰。
人々の顔はどこか飢えていて、言葉を交わさずとも「何かを得よう」としていた。
匂いは混沌としていた。
焦げた油のにおい、干からびた魚のにおい、そして――アメリカ製のチューインガムの甘い香りも、どこからともなく漂ってくる。
「これ、いくらじゃ」
「300円だ」
「そがい高いかぁ!」
すぐそばで小さな怒声が上がった。
配給の倍以上の値がつけられた白米一袋に、痩せた老婆が詰め寄っている。
「ねぇ、お兄ちゃん。なんで怒っとるのに、誰も止めんの?」
「ここじゃ、止める奴のほうが損する。……誰も、余裕がないんよ」
拓也の目には、冷静な光があった。
彼は、すでに何度かここへ来ていたのだ。
食糧を確保するため、着る物を手に入れるため、そして――生き延びるため。