「これ、缶詰……?」
こはるの視線がとまったのは、木箱の上に並べられた、赤いラベルの缶詰だった。
読めない英語のラベル。でも見たことがある。前にアメリカ兵が持っていたものだ。
「高えぞ、それは。チョコかパンか…コンビーフやな。なんにしても闇の“宝石”よ」
拓也がそう言って笑うと、露店の男が口を開いた。
「兄ちゃん、妹さんかわいいのう。まけといたるけぇ、買ってかんか」
こはるは身を引いた。
その目はにやりと笑いながらも、どこか「獣」のようだった。
「こはる、お前は帰れ」
「え?」
「ここは子どもの来る場所じゃない。俺一人でええけ」
こはるはうなずいたけど、歩き出した足はどこかぎこちなかった。
闇市に吹く風は、広島で焼けた瓦礫の街とはまた違う――けれど、同じように「死」と「生きること」の境目を孕んでいた。
その夜、拓也が袋に詰めた干し芋と、1缶のコンビーフを持ち帰った。
「これ、どうしたの……?」
「ちょっとな。仕事のついでに、運ぶの手伝った。……代わりに、もろうたんよ」
本当かどうか、こはるにはわからなかった。
でも、拓也の手は少し切れていて、彼は何も語ろうとはしなかった。
「……おいしそう」
「明日、半分にしような。俺はええけぇ、叔母らと先に食べ」
こはるは黙ってうなずき、缶の蓋を開けた。
その香ばしい匂いに、広島で過ごした家族の記憶がふっと浮かび――そして、静かに涙が落ちた。
戦後の日本は、生きるだけでやっとだった。
でも、闇市の片隅でも、人は誰かを想っていた。
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