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教室に入った瞬間、空気の密度が違っていた。誰も何も言わない。けれど、全員が見ている。
──いや、聞いてるんだ。昨日のことを。噂の続きを。
「蓮司と、ほんとに付き合ってんの?」「あんな奴と?」
廊下に転がっていた声は、今や教室の壁を這い、床に染みていた。
「……あー、きたきた」
蓮司の声が、教室の奥から軽やかに響いた。
席に座らず、机の上に腰かけて、片足をぶらつかせている。
視線が、遥に真っ直ぐ向けられていた。
「昨日さ、プレゼント渡してくれてありがと。“俺の彼氏”くん」
ざわつきが、静かに爆ぜた。
誰かが笑いをこらえ、誰かが眉をひそめ、誰かが目を伏せた。
けれど誰も止めない。
この場所は、もう「見て楽しむ」以外に選択肢を持っていない。
遥は、蓮司の前で立ち止まる。
無表情のまま、机に手を置いた。
「……バラすな。そういう話、外ではしてねぇって、言っただろ」
「言ったっけ? 俺、記憶力ないからさ」
蓮司が笑う。
けれど目は笑っていない。ただの試し。遊び。挑発。
遥は、そこでふっと目を逸らす。
怒りも苛立ちも出さない。ただ、演技を続ける。
──それが今、自分に許された唯一の生き残り方。
「おまえ……ほんと、“それ”でいいんだ」
不意に、後ろから聞こえた声。
日下部だった。
教室のドア付近に立ったまま、誰とも目を合わせず、遥にだけ向けた言葉。
遥は、一瞬だけ硬直する。
日下部の視線には怒りも軽蔑もなかった。
ただ、そこにあったのは――
諦めか、哀れみか、それとも……。
「“彼氏”って、あいつかよ。
──おまえ、どこまで壊れるつもりなんだよ」
言葉が教室に落ちる。
静かに、冷たく。けれど確実に誰かの耳を叩いた。
蓮司はそれを見て、面白そうに片眉を上げた。
「……へぇ」
その一言のあと、ゆっくりと立ち上がる。
机の上から、遥の肩に手を置いた。
「なあ、“壊れる”ってさ──
本人が“もう壊れてる”って思ってるなら、それは壊れてんの?」
蓮司の言葉は柔らかい。けれど刃だった。
日下部はそれには答えず、遥を見ていた。
遥は、蓮司の手を振り払うことも、日下部の言葉を否定することもできなかった。
ただ、演じ続けた。
笑いの代わりに、沈黙をまとって。
教室はまた、静けさを装いながら、次の「面白い展開」を待ち構えていた。