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次の日、宿屋から引っ越しをすることにした。
今の宿屋も長く使っていたから、去り際に従業員の人から、とても丁寧なお礼を頂いてしまった。
こういうことがあると、また使いたくなるものだよね。
朝方に宿屋を出て、私のものになったばかりの愛しの我が家に行ってみると……一人のメイドさんが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「ただいま戻りました。あ、今日はお一人なんですね」
「はい。他の者は引き続き、清掃などの業務にあたっております。
ご用命でしたら直ちに全員呼んで参りますが……」
「ひとまずは大丈夫です。あとで、手の空いたときにでも紹介して頂けると。
……えぇっと――」
そういえばメイドさんたちから、自己紹介をまだされていないことに気が付いた。
ピエールさんからもらった書類で、大まかには把握しているんだけどね。
「失礼しました、私はクラリスと申します。
日々の業務の他、メイドたちの管理や渉外を承っております」
「ああ、メイド長のクラリスさんですね」
紫色の長い髪が、ストレートでとても綺麗。
眼鏡を掛けていて、いかにも優等生タイプ……といったところだろうか。目も切れ長で、本当にそれっぽいし。
「私などがメイド長を名乗るのもおこがましいのですが、精一杯、努めさせて頂きます。
何かありましたらお気軽にお申し付けください」
「分かりました」
「ご主人様、大変申し訳ございません。このあと、少しお時間を頂けますでしょうか。
お屋敷のことで相談したいことがあるのですが……」
「あ、はい。それじゃ今からでも良いですか?」
「かしこまりました。
少々準備がありますので、至急準備してから書斎に伺います」
「書斎……。
はい、分かりました」
昨日ピエールさんにお屋敷の中を案内してもらったとき、立派な本棚と机が置かれた部屋が2階にあった。
私みたいな若輩者には過分に貫録がある部屋なのだが、おそらくはその部屋のことだろう。
さすがにその部屋にベッドを置いて私室にする……というのも落ち着かないので、その部屋は書斎として使うとして、別の部屋を私室にしようかな。
ルークとエミリアさんの私室も割り振らないといけないし、私室にできるような部屋は全部2階になっていたっけ。
「アイナさんと書斎って、何だか似合いますよね。
研究者っぽいというか、高ランクの錬金術師っぽいというか」
ふと、エミリアさんが話し掛けてきた。
「えぇー? あんな貫録ある部屋、私には似合いませんよ。
あれが似合うのって、40歳を超えたくらいじゃないですか? ちょっと渋い部屋でもあるし……」
「そうですか? でも40歳なんて、油断してたらすぐですよ。
そのときはきっと、アイナさんもとっても似合うようになっているんでしょうね」
「え? えーっと……そう……かなぁ?」
ひとまず、エミリアさんには生返事を返しておく。
40歳といえば今から23年後の話ではあるんだけど……私は不老不死だから、多分外見は変わらないよね。
つまりずっと貫録が付かない、ということは一生似合わない。それはそれで、何だか切ないことかもしれない。
そんな空気を何となく察したのか、ルークが話を続けた。
「ところで、私室を頂けるという話でしたよね」
「あ、うん。2階の好きな部屋を使ってくれると良いよー」
「どこでもよろしいのですか?」
「何か希望はあるの?」
「アイナ様の部屋の隣、階段側の部屋でお願いしたいです」
「ほうほう、ルークさんはアイナさんを護る気満々ですね」
「護る気?」
「不審者が玄関から侵入してきたら、アイナさんの部屋に行く途中でルークさんの部屋の前を通る必要があるじゃないですか」
「ああ、そういう……」
「もちろん他に考えることもありますが、まずはそれかと思いまして」
「では私は……う~ん、ルークさんとは逆側のお隣にさせて頂きましょう」
「他にも部屋があるのに、見事に片側に偏っていますね……」
「向かいのお部屋も考えたんですけど、やっぱりお庭が見える方が良いじゃないですか!」
「確かに。私も自然に、そっち側をイメージしてました」
「でしょう?」
それじゃ、具体的な割り振りは……いや、もはや選択の余地が残っていないか。
この並びができるのは1パターンしか無いのだから。
「では、それで決まりですね。
私はこれからクラリスさんとお話があるので、その間は自由時間にしましょう。
あ、荷物は出していきますね」
あまり多くは無いものの、宿屋で預かったルークとエミリアさんの荷物を部屋に置いていかないと。
今までは旅路だったから私物を多く持てなかったけど、これからはその必要も無い……そう考えると、何だか楽しみが増えそうだ。
必要最低限のものがあれば人間生きていけるものの、生活に潤いを与えるには余分なものが必要だからね。
……まぁ、その人次第なのかもしれないけど。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それぞれの荷物をそれぞれの部屋に置いたあと、私は書斎に向かった。
クラリスさんは既に書斎にいて掃除をしていたようだが、私の気配を察して静かに手を止めた。
「お待たせしました」
「いえ、とんでもございません。お時間を頂きまして、ありがとうございます」
「それで、相談したいというのは?」
「……あの、お座りにはならないのですか?」
確かに書斎まで呼ばれたのだから、ここで立ち話をするのはおかしいか。
机と椅子はあるけど一人用だし、その前にあるソファーで話すことにしよう。
「では失礼して。それじゃクラリスさんも、ソファーにどうぞ」
「いえ、立場上それは……」
……むぅ。私はあまり気にしないんだけど……とは言っていられないか。
元の世界よりも上下関係は厳しいだろうし、郷に入っては郷に従えだ。
「では、私は座らせて頂きますね」
「あの、ご主人様。
併せて申し上げますと、敬語はお使いにならないでください」
ああ――
……これ、ルークと主従関係を結んだときにも言われたなぁ。
「ふむ……、では敬語無しで喋らせて頂きますね。
代わりにと言っては何ですが、『ご主人様』も止めて頂けますか?」
「承知しました。それでは、『アイナ様』とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「はい、それでお願いしますね。では、今から!」
「かしこまりました、アイナ様。
他の四人にもそのように申し伝えておきます」
「うん、よろしく。
それで、相談したいっていうのは?」
「お屋敷のこと……最初から申し訳ないのですが、金銭的な話になります。
ピエール様から見積もりを頂いておりまして、それを私の方で管理することになっているのです」
「え? そんなこともやってくれるの?」
「はい。補佐ではありましたが、以前のお屋敷での経験を見込まれました。
お屋敷に関わる金銭管理や備品管理、従業員管理、外部との簡単な交渉、公共料金の支払いなどを対応いたします。
アイナ様のお仕事に関する収支については、業務外となりますのでご了承ください」
「おお、何だか懐かしい……」
公共料金の支払い……って、こっちの世界でもあるんだね。
「ピエール様から月の予算を金貨100枚として頂いているのですが、まずこちらは問題ないでしょうか」
「この規模のお屋敷でその額っていうのは、普通くらい?」
「はい、概ねこれくらいかと思います」
クラリスさんから、その見積もりの書類を受け取って確かめる。
人件費を始め、食費だとか、公共料金だとか、その他細かいところまで記載されている。
庭仕事や警備の人件費も入ってるけど、ここら辺はまだ人自体が決まっていないから、早々に決めないといけないかな。
それにしても、金貨100枚か。
結構な金額だけど……いや、この結構な金額を課して、私を囲い込もうとしているのかも?
少なくても月にそれくらいを稼ぐ仕事が要求されるわけだし――
……持ち家は資産ではなく負債、そんなことを言う人もいた気がするけど、毎月発生するこの金額は確かに負債っぽくもある。
「それじゃ、問題なさそうなんだね。それで相談っていうのは?」
「このお屋敷は、以前まで貴族が住んでおられたのですが、基本的にそのままになっています。
諸々の改修や整備を行いたく思いまして、その――」
……ああ、つまり予算をもっと上げろっていうことかな?
私もこういうの慣れていないし、あまりケチるところでも無いか。
「それじゃ、月あたり金貨120枚くらいにすれば良い?」
「え?」
「あ、ダメ? 140枚くらいにする?」
「し、失礼しました。いえ、金貨120枚も頂けるのであれば十分です。
その、詳細をお伝えする前に快諾を頂けるとは思っていませんでしたので……」
「相談に乗れるところは乗るけど、基本的にはお任せしても良いかな、って。
何となく、クラリスさんなら大丈夫そうだし」
「はい、ありがとうございます。誠心誠意、勤めさせて頂きます!」
その後に一応ということで、クラリスさんからやりたいことを色々と聞かせてもらった。
案の定というかしっかりした内容だったので、そのままお願いすることに。
しかしメイドさんって、そういうことまでするものなんだね?
クラリスさんが特別なのかな? ひとまず私が持っている『メイドさん感』が崩れたのは確かだった。