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笑わないでくださいね?と前置きをして
「な、なんでも……当時流行っていた……」
 そこまで言ってから、やはり言うべきじゃないかも?って戸惑ってゴニョゴニョと口ごもったら、「ドラマのヒロインたちの名前ですね」とニヤリとされた。
 
 私が生まれた時にとても人気のあったドラマがあって、それに双子の姉妹が出てきたらしい。
そのヒロインたちの姉の方が「春凪」、妹の方が「夏凪」と言う名だったのだと知ったのは、私が小学4年生の頃の話だ。
 
 10歳になる歳に通っていた小学校であった、「2分の1成人式」の行事の一環として、両親に自分の名前の由来を聞く宿題が出た。
 自分の名前が春生まれに因んでいると言うことは何となく察しが付いていたけれど、そこにドラマが絡んでいたと知った時は、何だか気恥ずかしくて。
 そのドラマを観てしまったら、私の名前の由来になった女の子を意識してしまいそうで、極力情報を仕入れないように避けてきたの。
 
 結局、当時書いた作文にはドラマのことは省いたんだっけ。
 
 「うちの妹は夏生まれなんで夏凪のほうになったみたいですよ」
 私の曇った顔から何となくあれこれ察してくださったのか、ドラマのことについてはそれ以上言及されなかった。
 もしかしたら妹さんも自分の名前の由来を知ったとき、私と同じような反応だったのかも知れないなって思って。
 宗親さんは妹さんと私、ちっとも似ていないっておっしゃったけれど、案外話が合うかも知れない。
 
 そこまで考えて、私は「そう言えば!」と思い出す。
 あの、宗親さん!
確かに年齢や名前のあれこれが私と被っているかもしれないですけど、他人の私と妹さんが似てるか?なんて、普通聞きませんよ?
 いつも隙のない宗親さんなのに、珍しい勘違いだな?と思ってから……案外彼の方が、私たちの名前の呪縛に囚われているのかしら?とか思ってしまった。
 私と妹さん、名前はどうあれ双子なんかじゃないのに。
 
 「あの、さっきお聞きした似てるかどうかって言うのは、私とではなく……」
 仕切り直すように言ったら「ああ、僕と……」とつぶやいて、そこで初めて得心がいったみたいに、
 「春凪の言う似てる、とは外見のことですか? それとも内面のことですか?」
 またしても予期せぬ言葉とともにクスッと笑われた私は、「え?」と宗親さんを見た。
 途端極上の笑顔を目の当たりにしてしまって、慌てて視線を逸らせる。
 外見以外思いもしなかったけれど、わざわざこんな聞き方をなさるということは――。
 
 「妹さんも、はら……」
 腹黒なんですか?と聞きそうになって、寸前で「さ、策士でいらっしゃるんですか?」と言葉を差し替えた。
 「そうですね。あいつも結構な腹黒です」
 にっこり微笑まれて、私は心の中を見透かされたみたいに感じて「ひぇっ!」って声にならない悲鳴をあげる。
 そうして同時に、ご自分でも腹黒い自覚がおありになったんだ!とびっくりした。
 
 
 ***
 
 ようやくベッドから抜け出した私は、とりあえず鞄を手に洗面所をお借りした。
 横になっていて、少し乱れた髪を整えようとバッグの中の化粧ポーチからいつも持ち歩いている折りたたみの櫛を取り出して髪の毛を梳かす。
 そうしながらふと口を開きっ放しの鞄の方を見て。
 「あっ!」
 ――そう言えば、あれこれあって、お返ししそびれてた!
 
 すぐさま5万円近い残額が入った、お気に入りカフェ『Red Roof』のプリペイドカードを手に、リビングのソファーでくつろぐ宗親さんに詰め寄った。
 「宗親さんっ!」
 カードを机に置いて、ズイッと滑らせるように宗親さんの方へ押しながら
 「これ!」
 と言ったら宗親さんが「ああ」とつぶやいた。
 ここからモーニングを食べさせていただいたあと、宗親さんと葉月さんのコーヒー代を出して……その時に――結局ほとんど残してしまったけれど――、私もカフェラテを追加で飲ませていただきました!
 ――もう充分過ぎるぐらいおごっていただきましたので、お返しいたします!
 
 そう言うつもりで差し出したカードだったのだけれど。
 
 「そう言えば追加で頼んでいただいたコーヒー代、春凪に立て替えてもらったままでしたね」
 とか。
 馬鹿なんですか!?
 宗親さん、住んでいらっしゃるマンションも、いくらうちの課の課長とはいえ、グレードが高すぎる気がします。
 今日たくさんお話をさせていただいて、端々で感じたことですが、やたらと気前が良すぎて金銭感覚が私とはズレすぎているのにも目眩がしそうです!
 
 ***
 
 「返したいって……どう言うことですか?」
 一度渡したものを引っ込める気はありませんよ?と再度言い募ってくる宗親さんへ、
 「いくら何でも額が太すぎます!」
 と言ったらキョトンとされた。
 「どこの世界に5万円もするギフトカードをポンと部下に渡す上司がいるんですかっ」
 そこに例のセクハラ案件に関する慰謝料が含まれていることを加味しても、私には余りある金額です。
 「私、もうモーニングとカフェラテ一杯分、ここから宗親さんに奢っていただきました! それだけで十分過ぎるくらいです。――残りは……宗親さんが使ってください」
 お金は大事にしなきゃダメです、と付け加えながら再度グイッとカードを宗親さんの方へ突き出したら、ようやく宗親さんが手を伸ばしてきて。
 ホッとしたのも束の間、掴まれたのはカードではなくそれを差し出した手首だった。
 そのままその手をグイッと引かれて、
 「ひゃっ」
 よろりとよろめいたところを、ソファーに座る宗親さんに抱き止められる。
突然のことに驚いて思わず上を見上げたら、ニコッと微笑まれた。
 瞬間、ドキン!と心臓が跳ねる。
 
 「やはり僕の妻はキミ以外には考えられません。――今ので、僕はますます春凪のことを手に入れたくなりました」
 言われて、ソファーにグッと押さえ付けられて――。
 「……んっ!」
 妻じゃなくて妻役ですよと言おうとしたのに、気が付いたら宗親さんに、口付けられていて言えなかった。
 何が起こったのか分からなくてあわあわしている間に彼がスッと離れてくれて、私はソファーにひとり呆然と寝そべったまま。
 「早く起き上がらないと続きをしちゃいますよ?」
 くすくす笑われて、私は慌てて身を起こす。
 
 「ななななっ、何するんですかっ」
 唇を軽く拭いながら睨みつけたら、「その反応、結構傷付くんですけど」と苦笑されて。
 「わっ、私っ、恋人以外とはこんなことしない主義なんです!」
 傷付くも何も、いきなり唇を奪われた私の身にもなってください。
 涙目で宗親さんを睨んだら、「でしたら何の問題もないんじゃないですか?」とか。
 えっと……この人、もしかして宇宙人か何かですか?
 言葉が通じなさすぎて口をパクパクさせる私に、「だって僕と春凪は婚約者でしょう?」って……。〝役〟を付け忘れたさっきと言い、今と言い、「〝偽装の〟が抜けてます!」と言いたくなったのも仕方ないよね?
 「世の中にはね、嘘から出た実という言葉もあるんですよ、春凪」
 意味深に言われて、「どういう……」って言い募ろうとしたら、「さて、じゃあコンビニに行きましょうか」と話をすげ替えられた。
 
 ***
 
 「今夜は鶏肉のクリームパスタで構いませんか?」
 聞かれて、お財布とスマホを手に取る宗親さんをぼんやり眺めながら、私はよく分からないままに小さくうなずいた。
 
 「春凪、ひとりにして悪いんですけど、そのカードで下着と……今夜の泊まりに必要だと思うものを揃えて部屋で待っていてもらえますか? 僕は近くのスーパーに食材の買い出しに行ってきます。ついでに寄りたいところも出来ましたし」
 宗親さんの話によると、あのカフェのプリペイドカードは、どうやらこのマンションに隣接したコンビニでも使えるらしい。
 またしても残高を減らすことに罪悪感を覚えつつ。
 でも、そもそも宗親さんが私にアルコールを盛らなければこんなことにはならなかったのだから、とそこは開き直ることにする。
 だけど――。
 リビングで、振り返りざま別行動になるようなことを言われた私は、にわかに不安になった。
 
 そのせいで、さり気なく付け加えられた〝寄りたいところ〟について聞きそびれたことを、後悔することになるのはもう少し後の話。