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⚠︎
本作品は、私が身近な方から聞いた体験をもとにしたノンフィクション作品です。
原爆投下当時の出来事や被害の描写を含みます。
史実と異なる部分がある可能性がございます。
ご理解のうえ、お読みいただけますと幸いです。
───
ピカっと光って、ドンと鳴った。
〜日傘の向こうの名前〜
「いってくるわぁ」
(行ってきます)
「あぁい、気をつけんさいよ」
(はい、気をつけてくださいね)
「おお、寿子、もう行くんか。ちゃんと帰ってきんさいやぁ」
(ああ、寿子、もう行くのですか。ちゃんと帰ってきてくださいね)
家族からの見送りを背にして、私は仕事に向かった。
広島市まで少し歩くが、今日は苦じゃない。
日傘が日差しを防いでくれているから。
もう広島市は多くの建物の解体、建物疎開が進められていた。
空襲での延焼を防ぐためだ。
ああ、あの建物も解体されてしまったのか。
なんだか寂しくなるなあ。
「寿子や、久しぶりじゃのう」
(寿子、久しぶりですね)
解体されていく街並みを見ていると、横から声がした。
「八重子!元気にしとったん?」
(八重子!元気にしていましたか?)
八重子は幼い頃からの友達で、妹のような存在だった。
笑顔が眩しくて、要領もいいので、きっと素敵なお嫁さんになると思う。
「ああ、わしゃまだ学徒じゃけぇ、解体作業に追われとるんよ。ほら、あそこのでっかい家も壊されとる」
(はい、私はまだ学徒ですので、解体作業に追われています。見てください、あの大きな家も解体されています)
「そうじゃのう。いやー、寂しくなるわいな」
(本当ですね。いやはや、寂しくなりますね)
「寿子じゃ!昨日ぶりじゃのう!」
(寿子!昨日ぶりですね!)
次にやってきたのは、同い年の三朗さんだった。
三朗さんは長男だったため出兵されなかったが、代わりに兄弟皆戦地へ向かってしまい、寂しい思いをしている。
「わっはっは。またおうたのう三朗。わしゃ今から仕事じゃ」
(あはは。また会いましたね三朗。私は今から仕事です)
「仕事はどこなん?」
(仕事はどこでしたか?)
「広島駅じゃ。みんないい人ばっかじゃけぇのう。毎日お世話になっとる」
(広島駅です。皆様良い人ばかりで。毎日お世話になっています)
「ほお、そしたら油を売ってる場合じゃないのう、すまんすまん」
(なるほど、そうでしたら談笑をしている場合ではありませんでしたね、失礼しました)
「頑張ってきんさいよ!」
(頑張ってください!)
「あぁい」
(ありがとうございます)
八重子と三朗に手を振って、広島駅へ急いだ。
仕事を始めた頃。
少し疲れたな、と近くのコンクリートの壁に寄りかかり、天を仰いだ。
刹那。
ピカっという閃光。
遅れてやってくる、ドンという音。
駅のガラスが全て割れる音がした。
一瞬で、脳内は真っ白になった。
何が起きたのか分からなかった。
目を開ける。
目の前に広がる駅は、何もかもが粉々で、木造のところなんかはもう目も当てられないほどだった。
恐る恐る壁を除いた。
何もなくなっていた。
一瞬で他の場所に来たかのように。
最初から、何も建物が無かったかのように。
後から遅れてなるサイレン。
空襲?
でも、どうしてサイレンが鳴らなかった?
周囲からは怒号や叫び声が聞こえた。
私は何もわからなくなって、駅を飛び出した。
家族は?
八重子は?三朗は?
友達は?
同僚は?
みんな、無事?
もう闇雲に走った。
道路は瓦礫で塞がっていて、走りにくかった。
こんなんじゃだめだ。
焼け爛れた皮膚の人たちが川へ川へと歩いて行く。
川には人々が密集していた。
奥の方には火の手が見える。
学校からは助けを求める声がこだまする。
一体、ピカっと光ってドンと鳴ったとき、何が起きたのだろう。
私は日傘を差した。
深く息を吸い込み、なんとも言えない気持ちに駆られながら、私は黒焦げになった人々を踏み越えて歩き続けた。
足元を見ることができなかった。
見れば、進めなくなる気がした。
私は目の先に線路を見つけた。
線路は比較的見通しが立ちやすく、歩きやすそうだった。
比治山の方向は東だ。
その近くの線路に沿って歩けば、家に帰れる。
少し希望の光が見えた。
「ねえ」
後ろから声がした。
振り返ってみると、幼い子供が立っていた。
性別がわからなくなるほどに、体は煤だらけで、服は溶け、髪の毛は散り散りになっていてもなお、この子は生きている。
「日傘、ちょうだい。暑いの」
「…日傘?いいよ。使いんさい」
私は母から貰った日傘をその子に渡した。
「ありがとう」
その子は日傘を受け取ると、私とは逆向きの方向へ歩いて行った。
私は心配で、その子の後ろ姿をその場で眺めていた。
数歩歩いて、ふっと、音もなく崩れた。
──名前を聞いていればよかった。
私は後悔した。
あの子には、きっと名前があった。
呼んでくれる家族がいた。
けれど私は、それを知らない。
もう、この子の名前は一生忘れ去られてしまうかもしれない。
重い足を引きずって、私は線路に沿って比治山へと向かった。
***
私は100円均一のお店で小さな折り紙を手に取った。
あった。よかった。
会計を済まして、外に出る。
一気に、むわっと蒸し暑さが体にまとわりつく。
その体にまとわりついた不快な暑さを吹き飛ばすように、私は病院に向かってペダルを踏む。
交通規制のため、車より自転車のほうが早い。今日はそれでよかった。
橋の向こうにある、平和記念公園。
多くの方々が参列していらっしゃる。
向かいでは小さな子が、庭で水鉄砲で遊んでいる。
病院について、ドアを開ける。
「ちょうどよかった。残り三枚じゃったんよ」
(ちょうどよかったです。折り紙の残りがあと三枚でした)
ベットの上で折り紙を折る、笹木さん。
周りには何羽もの折り鶴が座っている。
笹木さんは、折り鶴を折るのがとてもお上手だ。
私がもたもたとしている間に、一羽も二羽も作り上げてしまう。
「ようけ人がおったじゃろう。暑い中、悪かったのう」
(たくさん人がいらっしゃったことでしょう。暑い中、申し訳ありません)
「いえ、とんでもないです」
笹木さんは軽やかに笑い、千羽鶴を手に取った。
かと思えば、私に差し出してきた。
「これ、あんたにやるけぇ」
(これを、あなたにあげます)
「……ありがとうございます、でも、お気持ちだけで……」
私は今度、鹿児島の田舎へ引っ越しをする。
もうほとんど荷物をまとめているから、千羽鶴は正直場所がなかった。
「……あんた、あと少しでアメリカに行くんだろ。お守りとして持っていきんさい」
(……あなた、もう少しでアメリカに行くのでしょう。お守りとして持って行ってください)
「うん。あと少しで行くのは鹿児島だけど」
「ありゃ、そうだったかいのう。はっはっは。まあ、持っていきんさいや」
(あら、そうでしたか。ははは。まあ、持っていってください)
「ありがとうございます。じゃあ、いただきます」
私は色とりどりの千羽鶴を受け取った。
笹木さんはテレビを見つめながら、呟いた。
「最初はあんたの花嫁姿も花婿姿も、見届けんといけん思うとったがのう……今じゃもう物忘れもひどうなって、それどころかアメリカに行くまで見るのが精一杯になりそうじゃ。あんたのことも忘れてしまうかもしれんのう」
(最初はあなたの花嫁姿も花婿姿も、見届けないといけないと思いましたが……今では物忘れも酷くなってしまい、それどころかアメリカに行くまで見るのが精一杯になりそうです。あなたのことも忘れてしまうかもしれません)
私はなんと返したらいいのかわからなかった。
数秒の沈黙の後、私は重たい口を開いた。
「笹木さん。私のことは忘れて良いです。でも──」
あのときのことは、忘れないでください。
笹木さんは私の手を取ってぎゅっと握った。
「……任せときんさい。あんたの顔は忘れても、それは忘れんからのう」
(……勿論、任せてください。あなたの顔は忘れても、絶対忘れません)
笹木さんは威勢よく笑って見せた。
力強い手。
戦後の日本を守り、そして私たちを支えてくれた手。
今年の夏も、鐘が鳴る。
あのときと同じ過ちを繰り返さぬように。
どうか、安らかに眠れますように。
折り鶴は陽の光を浴びて、より一層輝いていた。
───
【あとがき】
本作は、私が昔、身近な方から聞いた体験をもとに書いたものです。
記憶が曖昧な部分もあり、事実と異なる点があるかもしれません。
それでも、あの日の出来事と、「名前を聞いておけばよかった」という後悔だけは忘れてはいけないと思い、物語にしました。
まだ広島に居た頃、8月6日に笹木さんのお見舞いに行きました。
あの日の話を、私は忘れません。
私のことを忘れてしまっても、あの子の名前を思い続けてほしい。
そして、読む誰かが、ほんの少しだけ立ち止まってくださったなら幸いです。
小さな記憶のかけらから生まれた物語です。
すべてが正確ではないかもしれません。
けれど、「あの日、確かに誰かが生きていた」ということだけは、確かだと信じています。
本作に描いたすべての命に、静かに哀悼の意を表します。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
コメント
3件
あの日のことを、原爆の話を曖昧な点があろうと無かろうと教えてくださった事を心より感謝致します、本当にありがとうございます
あ、