「姉ちゃん、なんでこんなしょうもない男の言いなりになってるのさ? まさかほかにも嫌なことされたりしてるの?」
「嫌なことって?」
「体を触られたり」
彼女は沈黙した。どうして否定してくれないのかと腹を立てたけど、そういえば屋上から落とされそうになったとき助かろうともがいて思わず彼女の胸に手が当たってしまったことがあったのを思い出した。でもあれは事故。ノーカウントにしてもらいたいのだけど……
「こいつに無理やり体を触られてるの? こいつの彼女になったといっても、死んだらかわいそうだから同情して彼女になってやっただけなんじゃないのかよ?」
しょうもない男呼ばわりの次はこいつ呼ばわり。傍若無人という点で、弟は姉に負けていないようだ。
「私は同情で誰かの恋人になるような偽善者じゃない」
「ということはこいつとの関係はこの前の自殺騒ぎからだと聞いてたけど、本当はもっと前から? そういえば去年の秋頃、自分のことをボクっていうのをやめたよな。それもこいつにやめろと言われたから?」
自分のことをボク? 知らなかった。ほんの半年前まで彼女はボクっ娘だったのか?
「はずかしいからやめてくれっておれがいくら言っても、誰にも迷惑かけてないからほっといてくれって聞く耳持たなかったくせに、こいつに対してはずいぶん素直なんだな。まさか――」
まさかと言ったきり、菊多は顔面を紅潮させたまま押し黙った。
去年の秋なら僕じゃなくてリクという男が彼氏だった頃だよと教えてやりたいが、それをバラせば 彼女が爆発して収拾がつかなくなる だろうから黙っているしかない。せっかく僕が口を閉ざしているのに、事態は収拾がつかなくなる方へとどんどん進んでいった。
「こいつに体を触られたりしてるそうだけど、まさか姉ちゃんもう処女じゃないのか?」
「処女じゃないよ! 処女でなければ何だって言うんだ?」
「とりあえずそいつが死ぬことになるんじゃないか」
そいつって誰のことだろう? と思ったら、急に首が苦しくなった。いつのまにか僕の背後に回った父親に首を片腕で絞められている。今まで味わったことないようなものすごい力で。必死にもがいたけど父親の腕はビクともしない。
そのときハッとした。彼女は父親に全然似ていないと思ったが、この馬鹿力は間違いなく彼女にも引き継がれている、と。
後ろから絞められて父親の顔は見えないが、明白な殺意を感じた。彼女に殺されずに済んだと思ったのに、結局彼女の父親に殺されるのか?
これは柔道の絞め技? でも柔道って立った状態で絞め技をかけていいんだっけ? レスリングにもある技だよな。スリーパーホールドというんだっけ?
と思っているうちに気が遠くなった――
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!