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「まもなく電車がまいります。危ないのでホームの内側まで下がってお待ちください」
月曜日の朝。
地下鉄のホームに電車が滑り込むと、我先にと人がドアへと詰め寄る。
人混みの流れに押されながら、私も新宿行きの地下鉄に乗り込んだ。
スーツに身を包んだ会社員で混雑した車内は、クーラーが効いていて、来週から9月が始まるというのに肌寒い。
30分ほど満員電車に揺られ、会社の最寄駅である新宿に到着するやいなや、私は鞄から薄手のストールを取り出し、半袖のブラウスの上から羽織った。
会社は駅からは歩いて10分のところにある。
私、並木百合《なみきゆり》が働く会社は、「大塚フードウェイ」という食品メーカー。
あらゆる食品を取り扱う国内では大手の会社で、創業100年を超える老舗。
創業者一族が代々経営していて、老舗なのに若手にもどんどん仕事を任せてくれる風土。
現在は国内だけでなく、海外への販路拡大にも取り組んでいる。
27歳の私は、新卒で入社して6年目。
入社から現在まで、広報部に所属し、プレスリリースの発信や取材などのマスコミ対応、社内報の発行などを担当している。
華やかな仕事に見られがちだけど、実は地道な作業や調整が多い仕事だったりする。
とはいえ、人に会うことも多く、会社の顔として見られるので、清潔感を心がけて外見にも気を配るようにしている。
実年齢より若く見られがちな私は、社会人として信頼感を得るため、髪は胸上までのゆるくパーマのかかったロング、前髪は少しかき上げて大人っぽく。
服装は、女子アナっぽいオフィスカジュアルで、どの年代の方と接する時にでも好感をもってもらえるように意識している。
モテるためというより、仕事で外部の方と接するにおいて、信頼感と好感はマストというのが私の信念だ。
駅から会社へ向かう地下通路を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「百合、おはよう」
「おはよう、響子《きょうこ》。今日はいつもより早いね」
「そうなの。来週から入社してくる人が何人かいるから、その受け入れ準備が忙しくって」
そう言いながら少し顔をしかめたのは、私の同期の西野響子《にしのきょうこ》。
軽やかな明るめの茶色のミディアムボブが、ハツラツとした印象をもたらす。
響子とは、新卒で入社した時の新入社員研修で同じグループになって、一緒に課題に取り組むうちに仲良くなった。
それ以来、今現在まで仲良くしている。
響子は総務部に所属していて、会社への入退社がある時はその対応で忙しい。
総務部で様々な部署の人と普段からやりとりがあり、気さくで明るい性格の響子は人脈が広く、社内情報における私の貴重な情報源となっている。
「ねぇ百合、今日忙しい?ランチ一緒に食べない?」
「うん、今日は打合せも少ないし大丈夫そう!」
「やったぁ!ちょうど今日オープンのハンバーグのお店があって行きたかったんだよねぇ」
「ハンバーグいいね。週始めからお肉でパワーチャージしよっと」
「太一《たいち》くんにも声かけとくね」
太一くんも仲良くしている同期で、響子と太一くんと私はよく集まるメンバーだ。
響子と今日のランチについて話しているうちに会社に到着。
混雑するエレベーターに乗り込み、フロアが異なる響子とはエレベーター内で別れ、広報部のあるフロアで降りる。
周囲の社員と挨拶を交わしながら、自分のデスクに辿り着く。
(さぁ、今週も頑張るか‥‥!)
週始めの月曜日は気が重い。
自分に喝を入れながら、椅子に座わり、パソコンの電源を入れた。
立ち上がるのを待ちながら、まずは会社で定期購読している新聞を手に取り、経済面を中心に目を通す。
その後、パソコンでも各種ニュースサイトをチェックしていく。
自社の情報が掲載されているか、どんなふうに書かれているか、同業他社の動向はどうか‥‥などを確認するのが目的。
これが私の毎朝のルーティンで、始業前までに状況を把握するため、少し早く会社に出社するようにしている。
しばらく集中していると、始業のチャイムが鳴り、1日が始まった。
今日は午前中アポイントはなく、デスクでメールチェックや資料作成に集中した。
私の所属する広報部は8人。
女性部長が率いる部署であり、男性は2名だけで女性が多い。
部長の安西《あんざい》さんは、小学生のお子さんがいる42歳のママ社員。
家庭と仕事を両立していて、40代でも美貌は衰えず、スラリとした長身と黒髪の前下がりボブとパンツスーツがビシッと決まる姉御肌なキャリアウーマンだ。
仕事も早くて丁寧で的確で。
こんなふうに年を重ねたいなと憧れる存在でもある。
今日はみんな外出か打合せで席を外しているようで、社内には私と安西部長だけだった。
(よし!資料作成がひと段落!)
凝り固まった肩をほぐすため、グーッと伸びをしていると、ふいに安西部長が私を見た。
「並木さん、社内報の件だけど、今回は9月から入社してくる方々の紹介を掲載したいと思ってるから誌面割する時によろしくね」
「はい。今回は入社される方の人数がそんなに多くないので、1ページで考えてます」
「ダメダメ!今回は3ページでお願い!どどーんと見開きで2ページ使って紹介したい人がいるから!」
「紹介したい人‥‥ですか?」
まるでファンの芸能人について話す時のように、少し興奮ぎみな安西部長を見ながら、私は意味が分からず困惑ぎみに首を傾げる。
見開きで紹介するなんて、普通の社員ではありえない。
社長や専務をはじめとした役員を紹介する時くらいの誌面スペースだ。
そんな特別扱いで紹介する人なんていただろうか。
「そうなのよ。まだ人事通知がイントラネットに上がってないから詳しく話せないんだけど、とりあえず誌面だけ確保しといてね!」
「分かりました。予定しておきます」
きっと近々何かしらの人事通知が発表されるのだろう。
私は深く考えることなくあっさり了承すると、改めて誌面割を検討するため、パソコンに向き直り作業を始めた。
「あの人のあの容姿は絶対に誌面映えすると思うのよね。見開きはマストよ。今回の社内報は女性社員が泣いて喜ぶわね」
安西部長が小さな声でつぶやいたその独り言は私には聞こえなかった。
集中していると、いつの間にかお昼の12時になっていた。
パソコンの画面に社内チャットのメッセージ受信のポップアップが立ち上がる。
社内では社員同士のコミュニケーション用としてチャットが導入されていて、電話やメールするほどではないちょっとした会話をするのにとても便利だ。
特にフロアが違う他部署の人と連絡をとるのに役立っている。
“響子: 予定通りランチ行けそう?私はそろそろ会社出れるよ。ハンバーグ!ハンバーグ!”
“太一: 俺も出れる”
“百合: 私も大丈夫。じゃあ5分後にエントランス集合ね!”
“響子: 分かった!あとでねー!”
“太一: 了解”
チャットでのやりとりが終わると、私は財布を持って席を立つ。
今朝の電車の中のクーラーの効き具合をふと思い出し、ハンバーグのお店も寒いかもと思い、念のためストールも持っていくことにした。
「安西部長、外にランチ行ってきます」
「今日は立て込んでないから、ゆっくり行っておいで~」
「ありがとうございます。安西部長もあんまり無理されず、キリの良いタイミングでお昼食べてくださいね」
「ありがとう。今日はあとで社食に行くわ」
大塚フードウェイには、ビルの最上階に社員食堂があり、お昼の時間帯はそこに向かう社員でエレベーターが混み合う。
皆が上に向かう中、私は下に向かうエレベーターに乗り、待ち合わせ場所のエントランスへと急いだ。
エントランスに着くと、すでに響子と太一くんが待っている。
先に着いていた響子と太一くんが私に気付き、振り向く。
「2人ともお待たせ!ごめんね」
「百合、お疲れ」
「太一くん、何か久しぶりだね。出張だったんだっけ?」
「そう、ニューヨークに1週間の短期出張。先週金曜日に帰ってきたんだけど、マジ疲れたわー」
同期の|長谷太一《はせたいち》くんが所属するのは、海外での販路開拓に取り組む海外営業部。
中でも、太一くんは北米を担当している。
大塚フードウェイが力を入れている部分なので、いわゆるみんなが憧れる花形部署である。
しかも太一くんは、180㎝に近い長身、整った顔立ちと人懐っこい笑顔で、社内でも女性に人気。
外見だけでなく、営業成績も良く、仕事ができるからモテるのに長らく彼女がいない。
海外出張も定期的にあり、いつも忙しそうなので、それが原因なんじゃないかと密かに思っている。
「あ、これ2人にニューヨーク出張のお土産ね。向こうのスーパーで見つけたチョコレート。仕事の合間にでも食べて」
「わぁ!ありがとう!」
私は思わず笑顔になった。
こうして海外出張に行く度に、現地のスーパーマーケットで発見した現地の人が普段使いしているものを買ってきてくれる。
なかなか海外に行く機会がない私にとって、海外が身近に感じられるから、THEお土産よりもこういった品は毎回嬉しい。
チョコレートを受け取りながら響子が意味深にチラッと太一くんを見て口を開いた。
「本当に太一くんって気が効くよね~。百合のツボを押さえているというか。彼女いないのがもったいないわ~。その気になればいつでも私が紹介してあげるからね?」
「うん、まぁ‥‥。その時はよろしく」
ちょっと苦笑いしながら答える太一くんだったが、その話題には触れて欲しくないのか、「そろそろハンバーグの店に向かおう」と私たちを促した。
会社のビルをエントランスから出て、私たちは歩き出す。
お昼の時間帯とあって、周囲のオフィスビルに勤める人々で外は賑わっていた。
目的のハンバーグ店は、会社から歩いて5分ほどのところにあった。
大通りから少し路地に入った目立たない場所で、ちょっと隠れ家っぽい雰囲気がある。
ここなら会社の人にも会うことは少なそうだ。
まだあまり知られてないからなのか、本日オープンなのに待つことなく私たちはすぐ席につくことができた。
「よくこんな穴場なお店見つけたね。さすが響子」
「ありがとう~。彼氏がね、このお店の内装を担当したみたいで教えてもらったの」
響子の彼氏はインテリア系の会社に勤めている2つ年上の男性だ。
付き合って2年になる2人の付き合いは順調なようだ。
オーダーしたデミグラスソースのハンバーグが運ばれてくると、私たちは料理に舌鼓を打ちながら近況報告や会社の話をし出した。
今日の話題は、太一くんの海外出張の時の出来事と、9月から入社してくる新しい社員の話が中心だ。
この3人だと聞き役になることが多い私はあいづちをうちながら話に耳を傾ける。
すると、ふと思い出したように響子が私に問いかけてきた。
「そういえば百合、彼氏とそろそろ半年なんじゃない?百合の誕生日も近いけど、何か予定してるの?」
「‥‥‥‥」
その言葉に思わず口ごもる。
そして先週金曜日の出来事を思い出した。
「お別れしました‥‥」
「「えっ!?」」
響子と太一くんの声がハモる。
2人ともハンバーグを食べていた手を止めて私を凝視してくる。
「「いつ!? なんで!?」」
またしてもハマる2人。
私は少し居心地が悪くなりながら、2人に視線を向けて答えた。
「先週の金曜日。向こうから別れようって言われました‥‥」
「ちょっと、なんで教えてくれなかったの!今朝でも、今でも話すタイミングはあったのに!もう、百合はいつも自分のこと話してくれないんだから」
「ごめんね。なんかタイミング逃しちゃって」
確かに私はあまり自分から自分のことを話さない。
聞かれたら答えるけど、いつもこういった付き合う・別れるなどの話は事後報告のことが多い。
今回は先週の金曜日の出来事なので、まだ割とタイムリーな方だった。
「で、何が理由で別れることになったの?」
「うーん、私が相手のことを本当に好きか分からないって言われちゃった。別れを受け入れたら受け入れたで、余計になんとも思ってないって風に感じたみたいだし‥‥。好きだから付き合ってたのに、なんでだろ?」
響子からの追求に、燻ってた本音が思わずポロッと漏れた。
(ちゃんと好きだったと思うんだけどな‥‥)
「百合は本当に、来る者拒まず去る者追わずだね」
「私はそんなつもりないんだけどな‥‥」
すると、それまで私と響子の会話を黙って聞いていた太一くんがおもむろに口を開く。
「俺、百合に彼氏がいない状態の時に居合わせるの初めてかも。いつも別れたって報告される時には次の男がいるもんな」
「そうだっけ?」
「そうだっけじゃないって。大体いつも事後報告じゃん」
「そんなに私の話なんて面白くないでしょ?」
「いや、面白いとか面白くないとかじゃなくて百合のことは知りたいし!」
思いの外強く言われてちょっとビックリする。
太一くんの目がいつもより真剣みを帯びていて熱がこもっている気がするのは気のせいだろうか。
「ちょっと太一くん!百合がびっくりしてるってば!」
「あ、ごめん。なんていうか、ただ百合のこと心配なだけだから」
響子の言葉に、太一くんがやや気まずげに私を見やった。
(そうだよね。同期として気にかけてくれてるんだよね。いつも事後報告で申し訳ないな‥‥。心配してくれる2人にはもっと自分のことをオープンにしなきゃいけないかもな)
「百合はさ、彼氏途切れないけど、期間も短いよね。取っ替え引っ替えしてる感じはしないけど。会社に入社して以降の私が知る限りだと、最長1年くらいな気がする」
「‥‥うん。いつも振られちゃうからね‥‥」
「ねぇ、今までで一番長く続いたのはどれくらいなの?」
「‥‥‥」
響子からそう問われ、また私は口ごもる。
さっきもっとオープンになろうと思ったばっかりなのに。
「‥‥‥3年くらいかな」
「学生時代の話だよね。それは何で別れちゃったの?」
「‥‥‥なんでだったかなぁ」
重くなった口をゆっくり開きながら、これ以上話が続かないように私は曖昧に微笑んだ。
そして同時に過去を思い出す。
ーー#続けられなかったあの恋を。