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第四話 最初の原稿はひどくて、めちゃくちゃで、でも忘れられなかった
それは新人賞の下読みをしていたときだった。
一次選考の山。
大量の原稿。
机に積み上がる応募作。
どれも誰かにとっては人生の一打で、それを読む側は一日に何本も裁かなければならない。傲慢にならないほうが難しい仕事だと、新田は思っていた。
大半は途中でわかる。
文章が生きているか、死んでいるか。
上手いかどうかとは少し違う。生きている文章には、その人間にしか見えていないものがある。逆に整っているだけの文章は、いくら器用でもつるりと滑っていく。
その原稿は、構成が悪かった。
起伏も弱い。
商業的に見れば不親切で、説明も不足していた。
人物の整理も甘いし、読者サービスの気配も薄い。
選考会に上げればおそらく「未熟」の一言で終わる。
なのに、新田は読む手を止められなかった。
雨の匂いの書き方。
誰かを待つ沈黙の描写。
台所で冷めていく味噌汁の、どうしようもない侘しさ。
そういうものが異様に良かった。
この書き手は、人間の取り返しのつかなさを知っている。
そう思った。
結局、その作品は最終候補に残らなかった。
会議でも大きくは取り上げられなかった。
だが新田は、応募票に書かれていた連絡先を見て、しばらく迷った末に、編集部経由で連絡を取った。
会って話がしたかった。
初めて会ったその男は、拍子抜けするほど普通だった。
少しくたびれたコートを着て、髪は伸びかけ、目の下に薄い隈があった。受賞を逃したショックで荒れているわけでも、野心に燃えているわけでもなく、ただ所在なさそうに座っていた。
「原稿、読ませてもらいました」
新田が言うと、
「落ちましたけどね」と男は答えた。
その言い方が妙に印象に残った。
拗ねてもいない。強がってもいない。ただ、自分で自分を先に見放しているような声音だった。
「落ちました」
新田は認めた。
「でも、気になる文章でした」
「気になる、ですか」
「正直に言うと、今のままだと売れません」
「でしょうね」
「でも、直せば届く可能性がある」
「……」
男は少しだけ黙って、それから笑った。
自嘲に近い笑いだった。
「編集の人って、もっと夢のあること言うのかと思ってました」
「夢の話なら営業部が嫌がります」
「最悪だ」
その瞬間だった。
新田がこの作家とやっていけるかもしれないと思ったのは。
夢だけを食わせる人間は信用できない。
現実だけを突きつける人間も続かない。
その間で、笑えるぐらいみっともなく、それでもまだ文章を捨てきれない人間。
新田は、そういう書き手が嫌いではなかった。
いや、好きだった。
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