テラーノベル
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「日下はまだ飲み足りないんでしょう? 悦子と参加してきなよ。ねー、悦子。一人は嫌だよね?」
その一言で、悦子の肩がピクリと跳ねる。
日下は一瞬ぽかんとしたが、すぐに悦子へ視線を向けた。
「あー……木嶋、一人で参加すんの、寂しい?」
「……う、うん! 寂しい! ――だっていつも三人で参加してたでしょう?」
ぎこちない返事だが、目には切実な願いが込められていた。
「あー、もう、仕方ないなぁ」
「やったぁ!」
ギュッと自分の腕を掴んできた木嶋に引っ張られながら、日下が
「小笹ぁ、タクシー呼んでやるからそれ乗って帰れよ?」
と携帯を手に叫ぶ。
瑠璃香はその様子を見て、「そんなの気にしなくていいから前向いて歩けー!」と満足げに微笑んだ。
遠ざかっていく同期二人を見やりながら、「悦子、ファイト!」とつぶやく瑠璃香を見て、晴永はホワリと胸が温かくなる。
出来れば自分も木嶋の恋には全力で助け舟を出したいくらいなのだ。
(ま、俺のは小笹みたいに純粋な気持ちからじゃねぇが……)
「課長、タクシー来ましたよー!?」
田貫に呼ばれて、晴永が振り返ると、「あ、あれ? なんでだろ。二台来た。田貫、二台も呼んだ?」と保城の戸惑った声がする。
「いや、一台だけだけど……」
田貫の声に、周りを見回してみても他にタクシーを呼んだと思しき社員の気配はない。
向こうのほうで日下が「一台は俺が小笹のために呼んだやつー!」と叫ぶ声がして、瑠璃香が真っ赤な顔になる。
(おい、日下。小笹は目立つのが嫌いなんだぞ?)
そう思ったけれど、酔っ払いには通じそうにない。
「小笹ぁー、気ぃ付けて帰れよぉー!」
ブンブン手を振る背の高い男から隠れたいみたいに、瑠璃香が逃げるようにタクシーへ乗り込んだ。
走り去る瑠璃香のタクシーのテールランプを見やりながら、晴永も新人たちが呼んでくれたタクシーへ乗り込んだ。
行き先は――。
***
タクシーのドアが静かに閉まり、短く「ありがとうございました」の声が夜風に流れた。
晴永がタクシーを降りたのは間口の小さな小ぢんまりとしたバーの前。
――バー『Misoka』まで。
タクシーへ乗り込むなり、自宅ではなくそこを目的地へ指定した晴永の胸の奥にいは、小さなざわめきがくすぶっていた。
今日の飲み会は瑠璃香が気になって全然飲んだ気になれなかった。
かといって、瑠璃香が参加しない二次会に行くのも何かが違うと思ったし、そもそも新人たちを気兼ねなく帰らせるためとはいえ、不参加表明をしてしまった。
ならば、行きつけのバーに一人で飲みに行くしかないではないか。
どの道、今日は金曜日。
明日、明後日と会社は休みだ。少々羽目を外して飲んだからといって、問題はないだろう。
(ここ、落ち着くんだよな)
ふと見上げると、ただの丸い白地に手書きみたいに味のある太字の筆記体で『Bar Misoka』と書かれた、控えめな突き出し看板が見えた。中にはLEDライトが入っているうらしく、夜に見るとまるで朧月みたいにぼんやりと宙空に浮いて見える。
この辺りはちょうど街灯の切れ目で暗いのも相まって、小さな看板なのにまるで誘蛾灯のように人々を引き付ける。
厚みのある重い扉を押すと、小さな〝カラン……♪〟というベルの音が夜に溶けた。
店内はいつもと変わらない。
薄暗く、すべてのものが琥珀色の光を纏っている。
グラスの底を揺らす氷の音、聴こえるか聴こえないかのクラシック。
客の話し声は小さく抑えられ、静かな夜の底のような雰囲気だった。
バーカウンターに立つ店長、バーテンダーの――通称〝マスター〟と軽く目が合う。
マスターは、わずかに視線を動かして「お好きな席へどうぞ」とでも言いたげに晴永へ会釈した。
割と常連だ。晴永も心得たもので、座れそうな席を求めて店内をぐるりと見渡した。
いつも通り……のはずだった。
だが、視線が自然とカウンターの一席へと吸い寄せられる。
(……小笹?)
一〇席あるカウンター席のうち、やや奥寄りの六番に、瑠璃香がひとり、静かにグラスを揺らしていた。
歓迎会の折はきっちり着込まれていたスーツの上は脱がれていて、壁際に用意されたハンガーのひとつへ掛けられていた。
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