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下野国 川崎城 塩谷天的(孝綱)
「父上、父上!」
「なんだ孫四郎、こんな隠居の老いぼれに何か用か?」
庭で植物の世話をしていると廊下から儂の次男で現在塩谷家の当主を務めている孫四郎義尾が大声を上げて儂を呼んでいた。
「父上、そこにいらっしゃったか!」
「声が大きすぎて鼓膜が破れるだろうが。そんな大声を出さなくても聞こえるわい」
「それは申し訳ありませぬが一大事なのです!多気山城が小山の軍勢によって落城いたしました!城主の弥六郎兄上は消息不明でございます!」
「なんだと、多気山も落ちたのか!?」
この間、壬生綱房の鹿沼城と塩谷傘下の猪倉城も落ちたと聞いたばかりではないか。しかも儂の長男で宇都宮良綱と名乗っていた弥六郎が消息不明だと。ただ討ち死にが確定していないということだけまだましか。
「この非常事態ゆえ今すぐ評議を開く予定なのですが、是非父上には同席していただきたく思います」
「儂が、か?儂はもう一線を退いた老いぼれぞ。今の当主はお前なのだからいつまでも儂に頼るでない」
「し、しかし某は若輩者ゆえ悔しいですが此度のような事態で家臣をまとめる自信がございませぬ。父上のお力が必要なのです」
元々孫四郎は弥六郎が宇都宮家の家督争いに手を挙げるまで川崎城の支城である乙畑城の城主でしかなかった。弥六郎が宇都宮姓を名乗ったことで孫四郎は急遽塩谷の本家を継ぐことになり、まだ若い孫四郎は家中を掌握しきれていなかった。
それに飛山宇都宮との戦のことで孫四郎に厳しい視線を向ける者もいると聞く。仕方あるまい。
「わかった。儂も同席しよう。だがあくまでもお前が当主であることを忘れるな」
「ありがとうございます、父上」
小姓を呼び、準備を整えると孫四郎と一緒に家臣が待つ大広間に向かう。隠居して一線を退いていた儂が姿を見せると家臣たちは驚きの表情で出迎える。中には儂が登場するほど事態が逼迫していると勘づいている者もいた。そんな中、孫四郎がまず口を開く。
「待たせたな。皆もすでに知っているだろうが、鹿沼城が落ちて城主の壬生中務少輔は斬首、さらに塩谷方だった猪倉城と多気山城も陥落して多気山城主の弥六郎兄上の消息が掴めていない。人も派遣しようとしたがすでに猪倉城では落ち武者狩りが、多気山城も小山の支配下になっていて捜索は厳しいものとなっている。はっきり言って兄上の生存は厳しいと見るしかないのが現状だ」
周囲を見渡すと家臣たちはすでに情報を把握しているようで大きく取り乱す様子はない。ただやはり孫四郎を軽視している者もいるようで、その者たちは孫四郎より儂に視線を向けている。
見た限り、大貫、印南、油井あたりか。彼らの親はかつて儂に謀反を起こして陳謝したが、息子たちも親の良くないところを継いでしまったみたいだな。本来孫四郎に向けるべき敬意を儂に向けている。孫四郎は経験不足だが家臣に見限られるような愚者ではない。儂が当主を務めていたときは若い頃を除いて大きな問題は起きなかったが、世代交代するとここまで不安定と化すか。たしかに孫四郎が弱音を吐くだけあるな。
弥六郎がいたときは宇都宮姓を名乗ったあとも弥六郎が実質的な当主として君臨していたため孫四郎はいわゆる名ばかりの当主だった。本来なら弥六郎は実権を孫四郎に移行すべきだった。だが弥六郎は塩谷家の当主の上に君臨したため、孫四郎は弥六郎の指示に従う存在と化してしまった。ここは儂の失策だな。隠居したといっても弥六郎の暴走を本気で止めるべきだった。
弥六郎もあの綱房の甘言にまんまと乗りよって。たしかに五代前の当主の三男である儂の嫡男ならば宇都宮忠綱の庶子でしかない飛山宇都宮弥三郎元綱より血統に正当性はある。だが当主が討ち死にして、本拠地も奪われた宇都宮家を継いだところで得られるのは宇都宮家当主という栄誉だけだった。
結局得られたのは火事場泥棒同然で奪った猪倉城と多気山城だけ。宇都宮旧臣の寝返りには成功したが、それもあっという間に小山に鎮圧されてしまった。そして孫四郎が弥三郎と小競り合いを起こしている間に鹿沼城の綱房は小山に滅ぼされ、猪倉城は日光の逆襲を受け落ちてしまった。最終的には多気山城も弥六郎も失うことになった。
「それで今後の方針についてだが、皆の者、何か意見はあるか?」
孫四郎が家臣たちに意見を求めるが、家臣たちは顔を見合わせるばかり。その中でようやく家臣のひとりが声を上げる。あれは忠臣だった安藤光忠の跡を継いだ駿河守光盛だったな。
「やはり先代様の弔い合戦をやるべきです。小山も度重なる戦で疲弊しているはず。ここは那須家に援軍を依頼して猪倉城と多気山城を奪回するのです」
だが駿河守の主張に同意を示すのはわずか数名に過ぎなかった。多くは難しい表情を浮かべて顔を俯かせる。そしてひとりの者が駿河守に異を唱える。
「安藤殿の気概は買うが、こちらも飛山との戦があったばっかりだ。それにこれまでも言い訳ばかりで一兵もこちらに寄越さなかった那須が果たして本当に援軍を出してくれるだろうか」
那須に対して毒が含まれているのは散々こちらの援軍要請を無視した那須への不信感の表れだろう。那須は今現在、壱岐守殿と修理大夫殿との間で内紛が続いている。小競り合いも多く、こちらに兵を寄越す余裕があまりないのは理解しているが、ここまで蔑ろにされては家臣たちに不信感が芽生えても不思議ではない。
だが駿河守もこのまま言われっぱなしではない。
「しかしこのまま何もしなくても我々は小山の標的になっておるのですぞ。ここは塩谷武士の意地を見せて小山を退かせるべきです」
「だが我々だけでは小山に到底太刀打ちできませぬぞ」
次第に評議の場に熱が帯びてくる。最初の静かな雰囲気は完全に過去の物となっていた。そんな中だった。
「では御隠居様の意見はいかがでしょうか」
油井備前守の発した一言で場は再び静けさを取り戻し、家臣の視線が儂に集中する。孫四郎すら儂に何か言ってほしそうな表情を浮かべていた。
「儂は、小山に降るべきだと思っておる」
儂の言葉をきっかけに評議の場が紛糾する。