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本当はその翌日には自分の部屋へ戻る予定だった。しかし、もう一晩一緒にいたいと言う宗輔の甘い言葉に抵抗できなかった。結局、彼の部屋着を借りて過ごすことになり、今はここに来て二度目の夕食を済ませた後だ。
ソファで寛いでいる私に、雑誌を眺めていた宗輔がふと思い出したように言った。
「明日から元日にかけて、佳奈は実家に帰るんだったな。車で帰るのか?」
「電車で帰るわ。午後早めの電車に乗るつもりよ」
車を持ってはいるが、雪道が心配だから運転はやめておこうと考えていた。
「それなら、帰りは俺が迎えに行くよ」
「ありがとう。だけど大丈夫よ。雪だと時間もかかるし危ないから」
「佳奈の実家まで、たいした距離でもないよ。後で実家の住所と、念のために近くの目印を教えてくれ。この機会に君のご両親に顔を見せておきたいんだ。少し時間を作ってもらうことはできるかな」
私は少し迷った。元日早々、家族を驚かせることになるのもどうかと思ったのだ。しかし宗輔がせっかくそう言ってくれているのだ。彼を両親に紹介しておくのもいいかもしれない。
「それじゃあ、家に電話して聞いてみるね」
「あぁ。この流れで、うちの親父たちにも会ってもらっていいか?」
「もちろん」
にっこり笑って頷いた私だったが、早くも緊張してくる。完全にプライベートで、しかも宗輔の彼女として社長夫婦と顔を合わせることになるのだ。
「佳奈の会社、仕事始めっていつ?」
「四日よ。マルヨシさんは?」
「うちも四日だ。それなら、忙しい年始になってしまって悪いんだけど、三日はどうだ?うちで軽くお茶を飲むくらいにしてさ」
「私はそれでも構わないけど……」
言葉尻を濁らせた私の顔を宗輔が覗き込む。
「何か気になることでもあるのか?」
私は微笑みながら首を横に振る。
「気になるんじゃなくて、あまりにもスムーズに物事が進んでいる感じがして、まるで夢でも見ているみたいだと思ったの」
「佳奈が『夢みたい』って言うのは、確か二回目だな」
「そうだったかしら?全然覚えていないわ」
「俺は、佳奈のことならなんでも覚えてるよ。なぁ、佳奈。これが現実だってことを実感できるように、二人の部屋を探さないか?」
「え?」
「このままここに住んでもいいけど、せっかくだから新しい部屋の方がいいだろう?」
「お家に入った方がいいんじゃないの?だって、宗輔さんは長男でしょ?」
「佳奈がそうしたいのなら、それでもいい。部屋はたくさんあるからな。でもそうなると、夜はあんまり鳴かせられないな」
「夜?鳴く?」
私はきょとんとして宗輔を見つめた。
彼の顔ににやりとした笑みが浮かぶ。
「広い家ではあるけれど、やっぱり気を遣うだろ?そうなると、佳奈を思う存分鳴かせることができなくなるじゃないか。それはつまらないんだよな」
「なっ……!」
その意味するところをようやく悟り、私は熱くなった頬を手で覆う。
「変なこと言わないで!」
「あはは」
宗輔は声を上げて笑う。
私は彼を上目遣いで睨んだ。もちろん本気ではない。
彼は私の表情に気づいてすぐに笑いを収め、目元を緩めた。
「俺としては、できるだけ長く佳奈と二人だけで過ごしたい。今の俺には、うちの親たちと一緒に住むっていう選択肢はまだないな」
「宗輔さんと、社長たちがそれでいいのなら」
「それは、いずれそういう時が来たら考えるってことでいいだろう。それよりも今は」
彼は私の体に腕を回し、私をソファの上にゆっくりと押し倒した。
「しばらく会えないんなら、もっと佳奈を味わっておきたい」
「しばらくって言っても、二日くらいよ」
「その二日が長いんだよ」
私は宗輔の唇に指を伸ばした。
「明日の朝になったら、私をちゃんと部屋まで送って行ってくれる?」
「もちろん。本当は嫌だけど」
彼の鼻の頭に軽くしわが寄る。
拗ねたようにも見えるその表情に愛しさがこみ上げてくる。私は微笑み、彼の首に手を回した。
それを了解の合図ととらえて、彼は私の顔に、首筋に、柔らかなキスを落とし始める。
前夜以上に熱く、優しく愛されて、私は甘い吐息で応えた。
翌朝はその名残のせいで気怠さが残っていた。しかし今日はもう帰らないわけにはいかない。シャワーを浴びて頭と体を目覚めさせ、二人で軽い朝食を口にする。その後は、名残惜しそうな顔を隠さない宗輔にアパートまで送ってもらった。バタバタと帰省の準備をし、身支度を済ませて駅に向かう。昼食分として食べる物を適当に買い込んでから、無事に電車に乗り込み実家へと向かった。
実家に到着してからは、久しぶりに両親とのんびり過ごす。近況を話す中、母から宗輔とのことを訊かれた。会わせたい人がいるということは事前に電話で伝えてあったが、詳しいことは何も話していない。馴れ初めを訊かれて少し迷ったが、仕事で出会った人と答えておいた。父親がマルヨシの社長だということは伏せておく。彼が老舗企業の御曹司であることを先に話してしまったら、その結果、両親が変に身構えることになってしまいそうだと思ったのだ。それに、その人となりは、彼に直接会って実際に見てもらった方がいい。
年が明けて、いよいよ宗輔と両親が顔を合わせる日がやってきた。
マルヨシの名前を聞いた時、やはり両親は驚いた。どうして先に教えておいてくれなかったのかという目で、母が私を軽くにらむ。笑ってごまかしながら見た父は、朝と変わらない固い笑みを浮かべたままだ。それでも場の雰囲気は穏やかなもので、私は心の中でほっとしていた。
小一時間ほどもいただろうか。そろそろ帰ろうかという時間になり、宗輔が両親に挨拶をして立ち上がった。彼を促し、その後に続くようにして皆で玄関に向かう。
彼が靴を履いている時、母が私の傍に寄って来た。耳元に顔を近づけ、小声で心配そうに言う。
「マルヨシなんて、そんな立派なお家、あんたに務まるの?」
それについては、私自身も少々心にかかっていたことだった。しかし、今から心配しても仕方がないとばかりに笑って返す。
「彼がいるから大丈夫よ、きっと」
母は小さくため息をついて、そっと宗輔の方に目を向けた。
「高原さんがあんたのことを大事に思ってることは、話してみて分かったけどね」
「お父さんはなんだかずっと不機嫌そうだったね。反対なのかな」
顔を曇らせる私に母は笑った。
「気にしなくて大丈夫よ。お父さん、あんたを取られたような気になってるだけで、反対ってわけじゃないから。あんたも色々と忙しいだろうけど、もう少し帰って来て、お父さんに顔を見せてちょうだい」
「うん、また来るよ。彼が来ること、急に決めちゃってごめんね。早い方がいいかなって思ったから」
「びっくりはしたけどね。でも、新年早々嬉しい話を聞けて良かったわ。また、二人でいらっしゃいな。あらあら、高原さんをお待たせしちゃったわ」
宗輔は私と母の話が終わるのをじっと待っていてくれたようだ。
「高原さん、お待たせしてごめんなさいね」
「いえ、大丈夫です」
父はと見ると、母の少し後ろで複雑そうな顔をしている。
私は父の前まで行き、笑顔を見せた。
「お父さん、今日はありがとう。また来るね。今度は美味しいお酒持ってくるから、私と一緒に飲もうね」
私の言葉に、父の表情が少しだけ明るくなったように見えてほっとする。
「そうか、待ってるぞ。……高原君」
父が数歩前に出て、母の隣に立った。
「はい」
宗輔はすっと背筋を伸ばして、父に向き直る。
「今日はわざわざ来てくれてありがとう。……佳奈のことをよろしく頼みます」
頭を下げる父の声が微かに震えているようだと思った。
涙ぐみそうになったが、結婚するのはまだ先のことなのだからと、顎を上げて涙を散らす。
宗輔は私の両親を真っすぐな目で見て、しっかりとした口調で言った。
「色々とご心配なのは十分に承知していますが、佳奈さんのことは私にお任せください。また改めて伺います。慌ただしくて申し訳ありませんが、今日はこれで失礼します」
「あぁ、気をつけて。あなたのご両親にも、どうぞよろしく伝えてください」
「ありがとうございます。さぁ、そろそろ行こうか」
「はい」
宗輔に促されて私はブーツを履き、彼の隣に並ぶ。
「お父さん、お母さん、また来るね」
「気をつけて帰るのよ」
二人の声に見送られて、私たちは玄関を出た。
私は車に向かう彼の後に続きながら、宗輔と両親の初対面が無事に終わったことに安堵していた。帰りの車で、彼の横顔に改めて礼を言う。
「今日は、本当に色々とありがとう。うちの親たち、きっと安心したと思う」
「ちゃんと認めてもらえたのか、心配だけどな」
「大丈夫よ。だって、お父さん、ありがとうって言ってたもの。私のこと、頼むって」
「少なくとも信頼はしてもらえたと思っていいのかな。また二人で来よう。次に来る時は結婚の申し込みになりそうだけど」
「ふふっ、そうなるのかしらね。さて、次は明日ね」
「あぁ。悪いな」
「全然悪くなんかないわ。ふわぁ……」
思わずあくびが出てしまい、慌てて口元を隠す。
「ご、ごめんなさい」
「疲れたんだろう。寝てていいぞ」
「でも……」
「着いたら起こしてやるよ」
運転してくれている宗輔に申し訳ないと思った。しかし眠気には勝てない。素直に彼の言葉に甘えることにして目を閉じる。暖房の温かさと車の振動のせいで、私はあっという間に眠りに引き込まれた。