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申し訳なさそうに俯いた後、唇を噛んだ。
一河は本当に誰にも平等に接するいいやつで、悪口なんて聞いたこともないし、足が動かなくなる時も弱音を吐かず激痛のリハビリにも手術にも耐えてきた。
だから、相手が人外に見えるなんてきっと申し訳ないんだろう。
「一河」
「憧れすぎて、目の前に先輩が現れた瞬間、ああ、結婚できるのかなってこんな素敵な人と結婚していいのかなって思ったら、直視できなくなって」
「……一河?」
「亜里沙先輩ってコーラス部で歌声も綺麗だから、気づいたら人魚に見えちゃった」
これは。
一河は恋愛結婚憧憬症候群なの? 重症なの?
相手が好きだけど人外に見えたって、それは恋愛に憧れてハムスターに見えた私より軽症にしか見えないけど。
「……俺、この人と恋愛じゃなくてお見合いなんだって思ったら、……人魚にしか見えなくなったんだー」
寂しそうに笑う一河を見て、やっと理解した。
一河は、子どもを助けて両足を負傷したけど、それって。
それって憧れていた先輩の妹だって気づいたから咄嗟に体が出たんじゃないの。
「難しいね。亜里沙先輩は、俺さえよければ人魚に見えたままでもお見合いを勧めましょうって」
「それ、うちと全く同じ。あ、そうだ」
一河は自分の話をあまりしたくなさそうで、でも苦しくて話そうと重たい口を開けているように見えた。
ので、私も話を変えてみた。
「花巻一慶が、私のことを知っているみたいだったんだけど、幼馴染の一河はどう? 見覚えがある?」
「俺、中学まで部活と家の往復だったでしょ。流伽ちゃんは帰宅部部長って言うほど、速攻で家に帰ってたから、家で何をしていたのか分からないんだよねー」
「う。確かに。一河はサッカーしか興味なかったもんね」
小学校の時だって、サッカークラブが休みの日は、ほとんど眠っていて偶に一河の家族とバーベキューしてるときとか、後から眠たそうにやってくるか、食べながら眠るかで、お互いよくわかってないかもしれない。
「でも花巻さん、あの左腕の傷、なんていうか……」
「んん?」
「痛々しいのに、花巻さんは明るい人だね」
「んんん?」
傷跡は私には見えなかったから分からない。なので一河が何を言おうとしているのか私には読み取れなかった。
「きっと花巻さんは優しい人だよ。俺、流伽ちゃんのお見合い相手があの人で安心した」
「なんで一河が安心するの」
「流伽ちゃんは、女の子って感じのふわふわしてる人だから。彼なら、ふわふわした流伽ちゃんを心から受け入れそう」
ふわふわしている?
私の頭が人よりちょっとお馬鹿だと言っているのか。
恋愛漫画に夢を見すぎて、結婚憧憬症候群になってしまうような馬鹿な私を、彼はそれでもいいと受け止めてくれたのは確かなんだけど。
「あとは私の気持ちなのに、難しいね」
「うん。難しい。恋愛結婚って実は失ってはいけない文化だったんじゃないかな」
二人してお見合いは、うまくいかなかった。
上手くいくはずなかったんだ。
お見合いした瞬間から、この人を好きか嫌いか判断しないといけない。
それなら生まれた瞬間に、この人と結婚するんだよって決めてくれていた方が、いざ結婚する歳になったとき、こんな幻想に憑りつかれなかったかもしれないし。
一緒に過ごす時間で、好きになってしまっていたかもしれない。
「一河―、遅くなってごめんね。流伽ちゃんも乗って」
二人して、空を見上げていた時、一河の家の車が止まった。
ドアが開いて、座席の下からモーター音と共に滑り台のような緩やかな傾斜の床が下りてくる。私が床を車椅子を押して上り、車の中に乗り込むと一河のお母さんは目を輝かせていた。
「お見合い! どうだった?」
助手席には一河の一番下の弟くんが幼稚園の制服のまま爆睡している。
「えっと……二人して恋愛結婚憧憬症候群でした」
一河のお母さんは一度目のお見合いで結婚し、一河は兄と姉、そして妹と弟がいる五人兄弟。お見合い結婚の上に五人も生んで育てている一河の家は国からの補助金が多く、私の家より裕福だ。
そして一河の足は麻痺しているが、下半身麻痺ではなく左足だけ麻痺。つまり『生殖機能』はある。
ので、車いすや足の手術は、国が全て負担してくれている。
この先、一河は生活するうえで不便なことはない。
「あら。緊張しちゃったの。でも三回はデートするんだし気を落としちゃだめよー」
「恋愛結婚憧憬症候群があまりに重度の場合、リハビリテーションセンターもあるって言うんだけど、あ、おばさん」
「なにー?」
「花巻一慶って知ってる?」
五人も育てて忙しかったおばさんが、彼のことを知っているのかと思ったら不思議だったけど、信号で車が止まるとおばさんは急にテンションを落とした。
「花巻……その苗字は知らないわね」
「やっぱり? うーん。誰だろー」
「一慶くんが、流伽ちゃんを指名したのね」
おばさんは、眠っていた一河の弟の康河くんの額を撫でた。
「そうなの。指名されたんだけど、私ハムスターに見えちゃって」
そういうと、おばさんはプッと吹き出し、またテンションを上げて笑顔になった。
「やだー。あんな高身長の男の子がハムスター?」
「え? おばさん、今、知らないって」
「花巻って苗字になっていたのは知らなかったの。でも、当時のことは貴方より知らないわ。流伽ちゃんが大声で泣いてくれたから、私たちは初めて彼の存在に気づいたの。貴方よりは彼を何も知らないのよ」
信号が青になって、おばさんはにこにこの笑顔で右折する。
それでもまた康河くんの頭を撫でて、愛し気に微笑みかけていた。
「流伽ちゃんは、きっと蓋をしちゃったのね。泣くほど怖かったのか泣くほどショックだったのか――泣くほど悲しかったのか。自分が壊れないように、過去に蓋をしちゃうのは人の防衛反応なのよ」
防衛反応。
だったらお見合い相手が動物に見えちゃうこの症状だって防衛反応なんじゃないの。
小さいころから私は人一倍臆病だったってことなのかな。
「一慶くんは、貴方を忘れていなかったってことは貴方との記憶が大切だってってことは、あの瞬間が一番、幸せだったのかもしれないわね」
「あの瞬間?」
「……流伽ちゃんと一慶くんは、お見合いを抜きにしても時間がかかるかもしれない。ハムスターに見えるなら軽症でしょ。ルームシェアするんだったら、絶対にするべきよ」
流石、一河のおばさん。ルームシェアのシステムがあるのも知っていたんだね。
「……つまり私のお見合い相手は、自分で見つめて自分で輪郭を探し出さないと大人は教えてくれない。けれど時間がかかるってことか」
「当たり前だよー。結婚するのは俺たちなんだから。誰にも頼らず最後は自分たちで決めようよ。どんなふうに見えても」
少し気の抜けた声で言うと、ため息を飲み込むように下を向く。
一河もこのお見合いで、私たちには絶対に言わないけど心にダメージがあるんだ。
「おばさん、少女漫画とか見る?」
「見るわよー。おばさんの時代は、戦場に行く旦那さまと結婚した明治時代のお嬢さんたちの話が流行っていたわね」
「私は、昭和、平成時代の恋愛して結婚する話が好き。憧れちゃう」
どうして私たちには法律が恋愛を阻むの。
人口が八千万人を切った時点で、もっと子どもを育てる環境を整えばよかったのに。
それに、今だって機械の発達で人口は減っても文明や社会はちゃんと回ってる。
「その昔、海外では一人っ子対策もしていたらしいわ。日本は真逆で、今のままでは百年後には三千万人になるんじゃないかって」
「……亜里沙先輩は」
重い口を開けた一河は、車の窓に人差し指でぐるぐると円を書く。
「亜里沙先輩は、そうして人が減っていき最後の一人になれば解放されるのかしらって言ってたよ」
「ええええ。アダムとイブみたいに残るなら二人が良い!」
「でも人口が減ると、男女の比率も変わるって本当なのかなー」
話の話題はふわふわとどんどん確信から飛んでいき、離れていく。
皆、心のどこかで不満と不安を抱えているのに、法律が補助金で殴って殺していくんだ。
車の中で段々と無口になるころ、康河くんが目を覚まして『おやつたべたい』と第一声に行ったので少しだけ和んだ。
ち ょ こ 。
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