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平和な1週間を終えようとしていた。
真衣香は壁の時計を見上げる。17時半になろうかというところだ。
(今日はそろそろ帰ろうかなぁ)
パソコンに視線を戻して、カチカチとマウスを動かし社内システムの画面を閉じた。
その様子を見ていたのか、隣から八木の声。
「もう帰れるか」
「そうですね、トイレットペーパーの注文だけ終わらせたら帰れます」
「そうか」と何やら考え込むように答えた。
イスをガラガラと引く音に混じえて、何となく憂鬱そうな息遣いが聞こえる。
「何がありましたか?」
八木はキッチリと閉めていたネクタイを怠そうに緩めながら答えてくれた。
……何でもないことのように。
「まだ当分先だしもちろん内示もでてねぇけど。俺4月に異動になるから」
「……え?」
「まだはっきりしねぇけど、補充はもちろん増員もなさそうなんだよ。俺の仕事丸々お前に引き継ぐわ」
「……え、え? そんな、どこに」
突然の発言に驚いた真衣香はFAXを送ろうと立ち上がったものの、そのままストンと座りなおし八木を見つめた。
「本社にはいるから、まあいつでも顔出すし、つーかまだ先だけど。ゆっくり引き継いだ方がいいと思ってな」
「補充が、ないって。私と課長だけになるんですか?」
「まあ、そうなるわな」
平然と言ってのけるので二の句がつげない。
真衣香は、ただ八木を眺めるのだが。クスッとたまに見せる柔らかな笑顔で真衣香の頭をグシャグシャと撫でた。
「大丈夫だって、お前なら1人でこなせる。まぁ、ただ……」
「な、なんでしょうか」
珍しく歯切れ悪く口元に手をやって、何やら言いにくそうに口籠もる。
「営業所とな、やり取りが多くなるっつーか」
ああ、と真衣香は納得する。優しい八木が心配してくれそうなことだった。
「えっと、咲山さん……ですか?」
「そうだな」
「大丈夫ですよ。この1週間ほとんど顔も合わせてなくて凄く落ち着いたんです、気持ちが」
それは、嘘ではない。
平和な1週間だったと思い返したとおり、坪井とはたまにすれ違ってしまうことこそあれ、関わりはなかった。
けれど、心に少しも彼がいないのかと言われれば、それはもちろん嘘だ。
多少のつよがりは、必要だと思う。
あえて誰とは声にしなかったが、八木はホッとしたように「そうか」と笑った。
「咲山にこの間会った時、釘指しといたし。 そんな絡んでこないとは思うけどな、仕事だし」
「……すみません」
謝った真衣香を見て八木は急に立ち上がり、真衣香の目の前で止まる。 見下ろしながら、ぺちん、と軽く頭を叩かれた。 もちろん痛くはないのだけれど。
(八木さんにはお世話になり過ぎてる)
つよがりたい理由の大部分は、これだ。
仮にも好きだと気持ちを告げられてしまった。 その気持ちに応えるつもりはないのだからこれ以上頼っちゃいけない、と真衣香は強く思っている。
その気持ち自体が、本物ではなく、優しい八木の同情心からくるものだとは……もちろんわかっているのだけれど。
「はー、しょうもねぇな。お前が何考えてるか当ててやろうか」
「え?」
顔を上げると、眉間にしわを寄せまくり不機嫌マックスな顔が視界に入った。
そして、不機嫌そうに低い声のまま言う。
「気持ちに応えられないのに、これ以上頼るわけにいかない。 とか何とかアホなこと考えてんだろが」
「あ、アホって!」
いざ冷静に口に出されてみると、ものすごく恥ずかしく、そして何様だと思う考えだった。誤魔化すように八木の言葉に言い返すと。またもや頭を叩かれる、というか押さえつけられたと表現する方が正しいのか。
そして、声に少し優しさが戻って、ゆっくりと真衣香に言い聞かせるように話した。