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✧≡≡ FILE_045: 正義 ≡≡✧
「母が恋しいか?」
唐突にキリスが問いかけた。
ローライトは少し体を起こすと、爆弾を抱えたまま、キリスを見つめた。
「恋しいです」
「母に会いたいか?」
「会いたいです」
「会ってどうしたい?」
「頭を撫でてもらいたいです」
「温もりがほしいのか?」
「はい」
「温もりを求めて、自分が冷えてどうする」
「……それくらい、私は寒いんです」
「寒さは、誰にでもある」
「でも、私のは──中から凍っていくんです」
「中?」
「心の中です」
「……」
キリスはわずかに視線を落とした。
爆弾の微かな熱が、ふたりの間の空気をゆらす。
「だからといって、自分を犠牲にしていい理由にはならない」
「犠牲なんかじゃありません」
「じゃあ、なんだ」
「還り道なんです」
キリスの眉がわずかに動いた。
「還り道?」
「寒いから、還るんです。あのあたたかいところに」
「……母のもとに、か」
「はい」
「なぜ“ないもの”を求める」
「私には“あるはずだったもの”だからです」
「……」
「いなくなったのは、私のせいじゃないのに──どうして“忘れる”ことまで私がしなきゃいけないんですか」
「……」
「ねぇ、キリスさん」
顔を上げた瞳が、まっすぐに彼を射抜いた。
「母に会いたいと思う感情は──罪ですか?」
沈黙。
ローライトは続けた。
「父に会いたいと願うのは──弱さですか?」
「…………」
声が震えた。
「父と母に会いたいと思ってしまったこの心は──悪ですか?」
空気が止まった。
冷気も、風の音も、鼓動も。
キリスの瞳が、ほんのわずかに揺れた。
「……悪じゃない」
その声は、喉の奥で掠れた。
「けれど、救いでもない」
「…………」
「今のお前が──」
キリスはゆっくりと視線を落とした。
「自らを犠牲にして、父と母の温もりを求めるように。人は、“愛”の名の下でいちばん愚かな選択をする」
「…………」
「……賢いお前なら、もう分かっているはずだ」
低く、重い声。
「父と母を忘れて生きることこそが──遺された者の、唯一の“幸せ”なんだ」
「…………」
ローライトは小さく首を振る。
「それでも、私は温もりが欲しいんです──それくらい、私は寒いんです。亡き父と母に縋るほど……心が……寒いんですよ……」
「ならば、さみしさに慣れればいい」
「慣れても消えません」
「……それでも、人は生きていける」
「はい。でも、そんなの幸せじゃないです」
「…………幸せじゃない、か」
ローライトの唇が震える。
「温もりのない世界で、どうして幸せが得られると思うんです……?」
「…………」
「心が冷たいまま生きるぐらいなら、私は凍って死んだ方が、ずっとマシだ」
その言葉に、キリスの呼吸が止まった。
風が静まり返る。
それは、子どもの言葉に見せかけた、あまりにも残酷な“真実”だった。
「──私の帰るところにお母さんがいたら
──お父さんがいたら
──キリスさんがいたら
──きっと、そんなふうには思わなかったです」
「……もし、母が今ここにいたら、どうしてほしい」
「──抱きしめてほしいです」
「……もし、父が今ここにいたら、どうしてほしい」
「──話がしてみたいです」
「……では、私にどうしてほしい」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
長い長い沈黙──
少年は拳を握り、ハッと息を吸い込むと、真っ直ぐキリスを見つめて言い放った。
「──名前を付けてほしいです」
「名前?」
「はい。名前です──」
「…………」
「名前──それはきっと、誰かが自分を大事に思って、受け入れてくれて、初めて貰える“愛しいもの”だと思うんです。それがキリスさんのいう、『無償の愛』だと思っています」
「…………」
「もし、私が名前を持てる日がくるとしたら──それはきっと、“初めて人に愛されて”、“その人が、心から私を愛している”と、そう言ってくれた時だと思うんです」
「…………」
少年はゆっくりと息を吸い、震える声で続けた。
「……一度でいいんです」
「…………」
「キリスさんに──」
声が掠れ、指先がかすかに震えた。
「──名前を、呼ばれてみたい」
静寂が落ちた。
冷えた教会の空気が、ふたりの間だけどこか温度を帯びる。
キリスの瞳がわずかに揺れ、しかし表情は崩れない。
「……俺には」
「…………」
「──その資格がない」
今度はローライトの目が揺れた。
「……俺は、お前の名を呼べるような人間じゃない」
「…………」
「名前を与えるってことは、その人間を“愛する覚悟”であり、“生”に責任を持つということだ。そんなこと、俺に出来るわけがない」
少年が小さく息を呑む。
その瞬間、キリスの声が、音を立てて崩れた。
「──だって、だって」
ローライトを見抜くように見つめ、キリスは1歩1歩確実に歩み寄った。
「お前の両親を奪ったのは、俺なんだから……!」
──一歩。
「どの面下げて──お前の名前を呼べば良かった……!?」
──一歩。
「どんな顔をして──お前を抱きしめてやればよかった……!?」
──一歩。
「どんな愛をお前に与えればよかった……?」
──一歩。
「……どんな顔で……」
キリスの声が震えた。
「どんな顔で──“生まれてきてくれてありがとう”なんて言えた……!?」
それは──自分自身の喉を焼くような、罪と渇きの爆発だった。
「……わからなかった……」
「…………」
「……だから、俺はお前が一人で食べられるようになったら、離れようと思っていた。──俺に父親をやる資格なんて……はじめから、ないんだから!」
少年は、何も言わずに立ち上がった。
そして、ゆっくりとキリスの前に歩み寄る。
「キリスさん……」
怯えるように顔を上げたキリスに、少年は言った。
「その全部──ずっと、してほしかったです」
「ッ……!?」
「名前を呼んでほしかった。抱きしめてほしかった。撫でてほしかった。──“愛してる”って言ってほしかった」
その言葉はまるで、ひとつひとつ、小さな針のようにキリスの胸を刺していく。
「あなたが私の両親を奪ったというのなら、責任を持って、私を愛してほしかった!」
息を荒げながらも、少年の瞳は輝いていた。
詰めるようにキリスに近づく。
「──あなたは、逃げていただけだ」
その目があまりにも真っ直ぐで──
「……ッ」
「キリスさんは、私を愛するのが怖かったんでしょう。私を知ったら、きっと情が湧くって思っていたから。名前を呼んでしまったら、“愛してしまう”って分かってた」
キリスは動けなかった。
ローライトの言葉ひとつひとつが、胸の奥に突き刺さっていく。
「だから、あなたは逃げた。“愛してしまった先”にある未来──自分が傷つのが怖かったから」
一歩──
「私を愛して、もし私が死んだら」
一歩──
「私を育てて、もし私があなたを恨んだら」
一歩──
「私を見つめて、あなた自身が許せなくなったら──」
静寂。
空気が張り詰めている。
言葉一つが、世界を裂く刃になる──そんな重さを孕んでいた。
「自分自身を、愛せなくなる──それが怖いだけだ」
キリスの目が、ゆっくりと揺れた。
「こんな爆弾を設置し──世界を脅迫して、多くの人を怖がらせたあなたは“正義じゃない”!」
ローライトはまっすぐに、キリスの目を見上げた。
その瞳は、貫くほど真っ直ぐで、それでいて純粋の色だった。
「……………」
間。
キリスは何も答えられなかった。
いやかける言葉がない。
何も言い返せない──
「あなたは私の父と母を奪い──」
言葉に凶器はない。
ただ、そのまま。
「その罪滅ぼしの為だけに爆弾を利用した──」
飾らず、誤魔化さず。
「……どんな理由を並べても──」
8歳の少年が持てる、限りなく澄んだ真実だった。
「私の信じる正義の前では、あなたは悪だッ!!」
その瞬間、キリスは気づいた。
──ああ、これが、“Lawliet”の本当の顔か、と。
法律を信じ、己の光のもとに生きる者。
それが、この少年の“正義”。
「私が……悪、だと……?」
だが──同時にキリスもまた、光だった。
人類を導くための光。
愚かな者たちに“啓示”を与えるための、灼けつくような光。第三次世界大戦を未然に防ぐために、彼は自らを“闇”に投げ、光の恐ろしさを世界に知らしめようとした。
「お前はまだ世界の“本当の影”を知らない!自分の手がどれだけ綺麗なまま保たれているか、理解していない──!だから、俺が悪だなんて軽々しく言えるんだ」
「──いいえ。分かってます。光があれば影が出来ることくらい、足元を見ていたら分かります」
少年は、一歩も退かなかった。
その声は震えていない。幼さもない。
「だからこそ、法があるんです」
キリスが笑った。
乾いた、諦念の笑いだった。
「法? そんなもので世界を救ったことがあるか」
「あります」
少年は即答した。
「法は、未来を“救う”ための道具じゃありません。今、生きている人間を殺させないための枷です」
空気が張り詰める。
「あなたの言う未来は、誰の未来ですか」
「……」
「あなた自身の未来でしょう!?」
キリスの瞳が燃え上がる。
「ならどうする! 何もしなければ、もっと多くが死ぬ! 俺は“選んだ”んだ! 少数を焼いて、多数を救う未来を!」
少年は、首を横に振った。
「それは“正義”じゃありません。あなたが一人で決めた“処刑”です」
言葉が、刃のように突き刺さる。
「未来を語るなら、なおさら法の下に立つべきです。法は完璧じゃない。遅くて、愚かで、何度も間違える。──でも」
少年は一歩、前に出た。
「“神”よりも法律の方がよっぽど私達を守ってくれます!」
キリスが歯を噛みしめる。
少年は、まっすぐにキリスを見据えた。
「あなたの思想は、ここで終わらせます」
それは宣告だった。
憎しみでも、怒りでもない。
人間が人間であるための、冷たい正義。
キリスは、しばらく黙っていた。
やがて、低く呟いた。
「……なるほど。お前は“未来”を掲げない。人間を掲げるんだな」
「はい」
少年は答えた。
「それが、“私の正義”です」
光は、光を焼く。
正義は、正義を殺す。
──それがこの事件の、あまりにも皮肉な構図だった。
ひとりは“法”を掲げ、ひとりは“未来”を掲げ、どちらも、世界を照らそうとしている。
二つの光が交わる時──必ず、影が生まれるだろう。
これはその影を賭けた勝負だ。
勝ったほうが世界を変える。
勝ったほうが“真実”を証明する。
勝ったほうが、“正義”になる。
──そうだ、正義とは常に、“勝者の名前”だ。
──親と子。
──光と光。
正義が、正義を撃つだろう。
そして、二つの声がぶつかる。
それはどんな光よりも眩しく、白い──
──私は、正義だ!!