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第99話 〚心臓が選んだ現在〛(澪)
胸が、静かに痛んでいた。
でもそれは、
嫌な痛みじゃなかった。
(……大丈夫)
澪は、そう心の中で呟く。
◆
夏の夕方。
校舎の影が長く伸びる帰り道。
隣には、海翔がいる。
特別なことは話していない。
今日あったこと。
宿題の愚痴。
くだらない話。
それなのに。
胸の奥が、
じんわりと温かい。
◆
(前は)
澪は思い出す。
予知が来るたび、
怖くて、
逃げたくて、
正解を探していた。
未来を間違えないように。
傷つかないように。
◆
でも今は――
未来を「当てる」より、
今を「選ぶ」方が、
ずっと難しいと知った。
◆
ふいに、
胸が、きゅっと鳴る。
一瞬だけ、
映像が流れかけた。
誰かの背中。
夜の気配。
不安の影。
(……)
澪は、目を閉じる。
でも、
追いかけない。
◆
「澪?」
海翔の声。
振り向くと、
心配そうな顔があった。
「どうした?」
澪は、小さく首を振る。
「ううん」
そして、
はっきり言う。
「今は、大丈夫」
◆
海翔は、
少しだけ驚いたあと、
優しく笑った。
「そっか」
それだけ。
聞かれない。
無理に踏み込まれない。
それが、
今の澪には、何より心地よかった。
◆
(これが……現在)
澪は思う。
予知が教えてくれる未来じゃない。
誰かが決めた正解でもない。
自分が、心臓で選んで立っている場所。
◆
澪は、
ゆっくり息を吸って、
吐いた。
胸の痛みは、
もう、警告じゃない。
進むための、
合図。
◆
「海翔」
「ん?」
「私ね」
少しだけ迷ってから、
澪は続けた。
「先のこと、全部分からなくても」
「今、ここにいたい」
◆
海翔は、
一瞬言葉を探してから、
真っ直ぐ答えた。
「俺も」
「今がいい」
◆
その言葉で、
澪の心臓が、
確かに鳴った。
――選んだ。
未来じゃなく、
今を。
◆
夕焼けの中、
二人の影が並ぶ。
澪は知っていた。
これからも、
不安は来る。
予知も、
完全には消えない。
でも。
心臓が示す現在を選び続ける限り、
未来は、怖くない。
澪は、
一歩踏み出した。
その足取りは、
迷いなく、
ちゃんと“今”を踏みしめていた。
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